沈黙の意味



「本当にもう、直らないの?」
 少女は泣きそうな声で父に問う。が、父は困ったような声で「そうだよ」と返すのみ。

 父の隣に立っている背の高い『人形』は、少女とその父を交互に見ている。…尤も、『人形』には顔が無いので「見る」という表現はおかしいかもしれないが。

 少女の父は、この町切っての『人形職人』だ。
 だからこそ少女は、自分の友達であり、家族である『人形』を父に修理してもらおうと昨夜頼んでおいたのだが……どうしても修理できないという。

「つらいのは分かる。…けど、もう直らないんだ。今日中に動かなくなるだろう」
「でも、だって……お父さんは、町一番の職人なんでしょ?」
「八年も遊びに連れ回せば、どんなに丈夫な人形でも壊れてしまうよ」
「……そんなの…」

 自分の意見を押し通して何が何でも『人形』を直してもらおうと一生懸命言葉を選ぶ少女は、中々うまく父を説得できず、視線を床に落とした。
 諦めがつかない。納得がいかない。ここで何とかして父を説得しなければ、八年間も共に過ごしてきた友人を失う事になる。……焦りが募る。

「これでも寿命は長かった方だよ。いいかい、新しい人形を作ってあげるから、もうこの人形の事は忘れるんだ」
 優しく宥める父に、少女は激昂した。
「お父さんの馬鹿!無神経!そんな簡単に『忘れろ』とか『作る』とか言わないでよ!」
 きっ、と父を睨み上げ、少女は唇を噛んだ。
 物心ついた時から傍にいた友人を、父がさっさと捨てようとしているのが許せなかった。少女にとって父のその言葉は、今までの楽しい思い出を全否定するものに他ならなかったのだ。

「すまない、そんなつもりじゃ…」
「知らないっ」

 少女は、父の隣に居る人形の手を掴んで駆け出した。父が制止の声を掛ける間もなく、少女と人形はリビングのドアを開けて出て行ってしまった。
 数秒の間を置いて、玄関の扉が開閉する音が聞こえる。外へ出たようだ。

 少女の父は、嘆息した。
 リビングのドアを見詰めて……それから、言葉にならない鬱積した感情を、再び溜息として床に落とした。


 ***


 少女は、家から随分離れた丘の上で立ち止まった。
 目の前には古い大木。ここは少女のお気に入りの遊び場だ。

 少女は人形の手を放して、木の根元に座った。人形もそれに倣って少女の隣へ座る。
 座っても、人形の背の高さは目立った。何しろ少女の父よりずっと高いのだ。


 木漏れ日が当たって、人形の表面がぽつぽつと照らされる。少女はそれをじっと見詰めた。
 人形の関節部分は全て球体になっていて、絵を描く時に使うデッサン人形そっくりだ。(ただしデッサン人形は自分の意志で動かないし、口も利かないが)

 電球に似た形のその顔には、耳や口等の顔のパーツは全く無い。代わりに、胸の小さな穴から音を受け取ったり、言葉を発したりしている。
 以前、目の機能は一体どうなっているのだろうかと疑問に思って父に説明を求めたが、その内容は少女にはちんぷんかんぷんだった。すぐに理解する事を諦めたのを覚えている。

 ああ、自分は八年間も一緒にいて友人の目の事も知らなかったのか、と、少女は少し悲しくなった。
 彼(人形に性別は無いが、少女は声と口調で判断して人形を男だと思っている)と、そんな状態で今生の別れを告げるのは、あまりにつらい。
 今まで一緒に居るのが当然だっただけに、失う恐怖に気付きもしなかった。


「……何で直らないなんて言うのよ…お父さんの馬鹿」
 呟いて、少女は膝を抱え込んだ。
 人形はそんな少女を慰めるように、木製の手で少女の頭をそっと撫でた。

「ねえ、あなたは本当に直らないの?……壊れちゃうの?」
 少女の問いに、人形はぴたりと動きを止めた。
 ……数秒経過。人形は動かない。

 ふと、嫌な予感が脳裏をよぎる。
 父は今日中に彼が動かなくなるだろうと言ったのだ。今がその時なのではないか。
 少女は青ざめて、焦り始めた。
 ……と、その時。

『ウン、ソ…ダネ』
 途切れがちな声が、少女の耳に届いた。
 少女はほっと胸を撫で下ろした。動かなくなったのではなかった。

 言語機能に障害が出ていて既に聞き取りづらかったが、彼は「うん、そうだね」と言ったのだ。
 数日前から、彼が会話の途中で全く喋れなくなったり、喋れても言葉が途切れるようになってしまっていたのを、少女は思い出した。

 しかしほっとしたのも束の間、少女は人形の言葉を頭の中で反芻し、ようやく理解して目を見開く。

「本当に壊れちゃうの?壊れないかもしれないって事も、ないの?」
 少女が尋ねると、人形はこっくりと頷いた。
『体ガ、動カシニク……』
 言いかけて、人形の言葉はぷっつりと途切れた。また喋れなくなったのだろう。

 人形は、言葉を続ける代わりに少女の頭を撫でる動きを再開させた。
 ……しかし、どうも動きがぎこちない。
 少女は人形が「体が動かしにくい」と言った事を思い、彼が手を動かす事で寿命を縮めている気がして、彼の手を掴み、頭から下ろして抱き締めた。

「何でなの……嫌だよ…。どうして直らないの?私がもっと早く気付けば、もっと早くお父さんに直してもらえばよかったの?」
 人形は、何も言わずにただ首を横に振った。違う、と言いたいらしい。
 少女はその反応を予想していたが、納得はいかなかった。

 こうしている間にも彼の寿命は磨り減ってゆく。
 彼を助けたいと心が叫ぶのに、行動に移せない焦り。砂時計を逆さにしたように時間制限をかけられている感覚。残りの砂は、あとどれだけあるのか分からない。
 恐い。嫌だ。…恐い。


「お父さんが直せなかったからいけないんだ。お父さん、実は直すのが面倒だったんだ、そうでしょ!」
 涙が溜まっていくのを感じながら、少女は半ば叫ぶように言った。人形は、再び首を横に振った。

 少女はまた何かを言おうとして、やめた。人形の手を抱き締める力をぐっと強めて、俯く。
 やがて少女は溜めきれなくなった涙を零した。

「……分かってる。本当は分かってるよ。お父さん一生懸命頑張ったんだよね…」
 今朝見た父が、随分疲れた顔をしていたのを覚えている。殆ど寝ていないのだろうと、簡単に想像がついた。
 家に帰ったら謝ろう、と少女は心に誓う。

「お父さんが頑張っても、駄目だったんだね……」
 零れ始めた涙が、止まらない。今までの思い出が頭の中で次々と噴き出して、一層涙を増やしていた。
 思い出の数だけ涙が出るのなら、どれだけの間止まらないのだろう。少女には想像がつかなかった。

 その場で聞こえるのは、風の音と大木の葉がさざめく音、それから少女の嗚咽だけ。
 少女はひたすら、泣いた。悲しんだ。…恐怖した。

 彼の存在が消えるのが恐い。大好きな友達が居なくなるのが恐い。自分の隣がぽっかり空いてしまうのが、恐い。

「やだよ…恐いよ……いなくならないでよ…」
 少女は壊れたスピーカーのように言葉を零した。
 人形は空いている方の手で少女の頭を撫でようとした。……が、


 キュキ、キ、キキキィ


 軋む音がして、その手は上がらなかった。殆ど、動かなくなっていたのだ。

 少女はぱっと顔を上げて、人形を見た。
 腫れぼったくなってしまった瞼を大きく開いて、目を皿のようにした。
 何かを言おうとして、ぱくぱくと口を開閉する事しかできなかった。


『居ナク、ナル、僕ヨリ恐ガッテ、ドウス…ンダイ?』
 不意に、人形が言った。
 少女はその言葉にドキリとした。

「……あなたは、恐かったの?」
 ぽつりと、人形に尋ねる。

 少女は、今まで自分の事ばかり考えていて人形の気持ちを聞かなかったことに気付いたのだ。
 彼は命が尽きることを知って、恐くはなかったのだろうか。

「ねえ、恐かったの?」
『僕、ハ、………』

 途中で、人形は喋らなくなった。
 少女が急かす様な視線を送ったが、全くの無言だ。
 代わりに、

 キュ、キキュ、キキキィィ

 少女が抱き締めていた人形の手が、指をゆっくりと折り曲げて少女の手を緩く握った。
 …そして、ぴたりと動きを止める。

 先刻のようにまた突然喋りだすものと信じて、少女は人形の言葉を待った。
 ひたすら、待った。
 ……しかし、人形が再び喋る事は無かった。

「嘘……」
 少女は抱き締めていた人形の手を放した。
 手は、抱き締められていた時のまま固まっていた。

「動いてよ、喋ってよ、ねえ」
 震える声で言っても、人形は微動だにしない。

 少女はふるふると首を振った。ぼろり、と大粒の涙が零れ落ちる。
 五粒目の涙が地面に落ちた時、少女は声を上げて泣き始めた。


 ***


「それで、結局答えは聞けなかったの」
 ベッドで横になりながら、少女は父を見上げた。
 人形が壊れてしまってから一週間、寝る前に本を読んでもらう役割を人形に代わって父がしていたが、今夜は父が本を読み始める前に少女が話をし始めたのだった。

 ベッドサイドの椅子に座った父は、聞き終えてから「そうか」と一言呟いた。
 少女から人形が壊れた時の話を聞いたのは、初めてだった。
 少女が帰って来て父に伝えたのは、謝罪と、感謝と、悲しみの気持ちだけだったのだ。


「ねえ、お父さん。私、自分の事ばっかり考えてたと思うの。だから、あの時の答えも……今まで幸せだったのかどうかすら、聞けなかった」
 少女はうっすらと涙の気配を漂わせる声で、まるで懺悔のように訥々と語った。

 食事の時も一緒に買い物に出た時もどこか思いつめたような顔をしていた少女と、今聞いた話を照らし合わせて、少女の父はようやく彼女の気持ちを理解した。
 きっと、彼女はその小さな胸に入りきらないくらい色々な事を思っていたのだろう。
 そして同時に、今回の事で少し成長したのを見て取れた。『彼』は……間違いなく、娘に良いものを残してくれた。

「大丈夫だよ、幸せだった事には違いない」
「……何で分かるの?」
「本人が言っていたんだよ」
「え……?」
「修理の途中にね。……色々と、話をしたんだ」
「何て?何て言ってた?」
「今まで楽しくない日は無かった、作ってくれてありがとう……ってさ」
「……」
 少女は少しほっとしたように、半分瞼を閉じた。

「…じゃあ、自分が壊れるって分かって、恐がってた?」
「それはご想像にお任せするよ。僕には言えない。……『彼』にとっては知って欲しくない事、だったのかもしれないからね」
「何それ?」
「何でもないさ。…ただ、彼が最後に黙ったのは、本当に故障のせいだったのかな…ってね」
「………」

 少女が小首を傾げたが、少女の父はそれに構わず持ってきた本を開いた。人形の代わりに、少女に読み聞かせる為だ。


「……お父さん」
「何だい?」
「本、もう読まなくても寝られるよ」
「……」

 父は、少しだけ黙って、

「…そうかい」
 少女に微笑んでから、本を閉じた。


「それじゃ、お父さんは部屋に戻るよ。…お休み」
「お休みなさい」
 カチリ、と音がして、部屋の明かりが落とされた。続いて、ドアが優しく開閉される。

 父親の居なくなった部屋で、少女はゆっくりと暗闇を見詰めた。
 そしてぼんやりと、あの時『彼』が黙った理由を考え始める―――。





――― 終 ―――




<アトガキ。>

えーと。まずこれは、学校の授業(小説表現)と部活(文芸)に提出したブツです。
使い回しです。(うわ、最悪!!)
授業の方では、わりと高得点くれたくせに「前半がもたつく」とか「閉塞的だ」とか言われてちょっと凹んだものだったりします。
文章力が欲しい…ぐすんぐすん。

普通の小説を書くと主人公が少女な設定が多いですねー。別に意図してはいないんですが。
ちなみに今回誰一人として名前を出していないのはわざとです。
出す必要のない話、ってあるじゃないですか。

そういえば「Empty Doll」の事を考慮に入れると、主人公が人形な設定も多いですかね。
今回の話は別の所を意識して書いたのですが。
…実はこれ、ある夢小説の試作品なんですよ。

ポップン10に出てくるキャラで「キリコ」って知ってますかね?
まるでデッサン人形みたいな見た目の。曲は「ダークメルヒェン」で。
キリコの設定を見てから、キリコ夢を書きたいと思いまして。
ダークメルヒェンな文章の試作品です。メルヒェンは書くのが難しいです。
このサイトでこの文章に似た短編夢小説がUPされたら、恐らくそれはキリコ夢ですね。
暇が出来たら書きます。

話をドカンと切り替えますが、この話に出てきた『人形』は決してロボではないです。
どっちかというとピ●キオのようなファンタジック人形。
大柄な優しい人形が喋ったり動いたりするのは、何となく暖かい感じがします。

…気付けばアトガキが随分長く。
では、これにて終了します!

2006.6.10