しんと静まり返ったその場で、息を呑んだのは――町人だけではない。
他でもないキカが、スマイルの言葉に衝撃を受けていた。
そして。
否定するようにふるふると首を振って。
言うべき言葉を探して、あ、とか、う、とかいくつも零して。
それから。
「う、――嘘だよ!!あたしは妖怪だもん!!!」
渾身の力を込めて、否定した。
「嘘なんかじゃない。キミは人間だ」
「違うもん!!あたしは妖怪だ!!」
「違わない。僕と比べてよ、色も体の造りも人間と同じ。ただ顔形が少し違うだけの普通の女の子だ」
「嘘!!嘘嘘嘘!!」
「成長速度だって、たかだか10年でそんなに成長する妖怪なんて居ない」
「違うもん!!!妖怪なんだもん!!」
「―――じゃあ言うけど!!キミの母親は人間だ。なら時期的に妖怪との子なんて生まれるはずが無い。可能性は一つも無いんだ!!」
それは、今まで言う事のなかった事実。
彼女を否定する刃。
妖怪だと思うからこそ生きてくることが出来た彼女を、情け容赦なく切り捨てる残酷な言葉。
けれどそれと同時に、…今までの不条理を町人達へ叩きつける言葉。
しかし幼い少女は、並べ立てられたそれらを受け止めきれず、がくがくと震えた。
「嘘だよ。―――嘘だよ!!だって、…だってあたしが妖怪じゃないなら、何で怖い事されたの!ころすって言われたの!!逃げなきゃいけなかったの!!」
「……」
「何でおかーさんはここで死んだの!あたしはさびしいの!!?」
「――――何でよ!!!」
涙が、零れた。
だって、あたしは、強いはずだ。
それはあたしが、妖怪だからだ。
妖怪じゃないなら、あたしは何で生きてこれた。
妖怪じゃないなら、どうしてここに居る。
妖怪じゃないなら。
―――あたしは、一体何だ。
「何でそんな事いうの……!前も聞いたじょーだんだよね、あたしが嫌い?ずっと、嫌いだった?」
やっと受け入れてくれる相手が居た。スマイルだ。
そのスマイル本人から、裏切られたような気がした。
――仲間なんかじゃない、と。
人間の仲間にもなれない、母は別としてもまず目の前のこんな人間達と同じにされたくない、でも妖怪でもないと言われた、なら自分は……何だ。
だから泣きじゃくりながらでも、叫んだ。
「あたしは!!!妖怪の!!!キカだ!!!!」
涙で視界が悪かったから、気付かなかった。
――スマイルの表情が、見た事ない程苦しそうに歪んでいた事。
「違うよ。……キミは、人間だ。小さくてか細い、少し変わった形をしただけの、人間の女の子だ。…だから、大人の男3人なんて、殺せるわけない」
キカの顔も見ず、噛んで含めるようにして、彼はそう言った。
● −┼―――−- last promise _10 -−―――┼− ●
「―――よ、妖怪の言う事なんて、誰が信じるか!!」
隠れている内の誰かがそう言った。
そうだそうだと、頷く声がいくつも飛び出す。
スマイルの赤い瞳がそちらへ向くと、再び全員がしんと黙った。
「…ふーん。認めたくないんだ。そりゃそうだよね、何の罪も無い人間の女の子を迫害して挙句殺そうとしてたなんて、認めたくないよね。でも全て事実。大体親が人間ならハーフだし、でもハーフを疑うとしてもキカが生まれる頃に世界は開いてなかったんだから、妖怪と人間の子ができるなんて不可能なんだけど」
「黙れ!!惑わそうとしても無駄だからな…!!」
そうやって撥ね付ける言葉にも勢いが無い。
筋の通った話に困惑しているのは手に取る様に分かった。
だからもうひと押し。
そう思って口を開いた、けれど。
「――…やめて」
つん、と服を引っ張られて、低い位置から細い声が聞こえる。
開いた唇が、吸った息が、止まった。
けれど下は見ない。
今見てはいけない。
早く、早く次の言葉を。この子を人間だと証明できる事実なんていくらでもある。
「……いやだ……やめてよう…スマイル…」
再び声がする。
引っ張られていた服が両手でぎゅうっと握られる。
それでも下は見ない。彼女を見ない。
早く。 ……早く。
――あたしは、妖怪だよ。
蚊の鳴くような、ともすれば聞き取れないような声が聞こえた。
ぐず、と鼻をすする音がした。
視線が、揺れる。
駄目だ、駄目だと頭では分かっているのに。
心ごとその両手に引っ張られるように、苦しくて。
息を詰めたまま、今度こそスマイルは、そちらを……見てしまった。
事実を言うと決めた瞬間から、今どんなに彼女が傷つこうと全て言おうと決めた。
その方がきっと、彼女がこれから幸せになれる。
だから恨まれても何をされても、彼女の今までの事実を否定しきるつもりだった。
――それなのに、彼女が泣くから。
今まで沢山強がってみせた彼女が泣くから。
悲しそうな声で止めるから。
見上げる彼女と、視線を合わせた。
――喉に詰まって、言葉が出ない。
彼女を守る為に必要な、けれど彼女を傷つけてしまう言葉が、――もう出ない。
その隙を突いて、鋭い声が飛ぶ。
「騙されないで!!ありもしない事で同情を誘って、このまま逃げるつもりよ!!私達が何をされたか思い出してっ」
それは、婚約者を殺されたという女の、恨みの籠った言葉だった。
町人達は、はっとしたように女を見た。
「青い妖怪は、話の通り居た。なら、こいつが私の婚約者を――町の人間を殺したのよ!!そんな奴の話なんて聞く事ないわ!!」
「…そうだ、逃げる為のデタラメに決まってる」
「予定を思い出せ、妖怪は両方討伐するんだ。惑わされるな!!」
――みるみる内に、彼らのその瞳へ妖怪に対する憎しみの色が戻ってくる。
ああ…、とスマイルは思う。
思ってキカをもう一度見下ろす。
…少女は、落ち窪んだ目と、突出した目、両方からぼろぼろと涙をこぼして歯を食いしばっていた。
――僕が甘かったから。
今ここでキミを救う事が出来なかった。
スマイルの瞳にどうしようもない後悔と悲しみが浮かぶ。
それを取り囲む人間達が、武器を構えて一斉に走り出そうとしていた。
「死んで償いなさい!!!」
女が、怒号を飛ばした。
それが合図になって、町人達が駆けてくる。
二人は数の暴力に押し潰されようとしていた。
「――ごめんね」
その時ぽつりと零れた、スマイルの言葉。
それがキカの耳に届いて、どういう意味なのかを考える―――その前に。
ふっと、スマイルの姿が消える。
……それは何の比喩でもない。忽然と、居なくなったのだ。
驚いた町民達は走る勢いを弱めてたたらを踏んだ。
周囲を見回して探すも、その姿は無い。
キカも何が起こったのか分からずきょろきょろと視線を巡らせる。
…けれどそういえば、両手に握った服の感触がそのままある。
それでふと、脳裏にスマイルと出会った当初の事が思い出された。
――そうだ、スマイルは。
思い至るか否かの所で、キカの両手がそっと解かれて、代わりに全身がふわりと包まれる。
温かい、と思った次の瞬間には、ぐんと視界が高くなって思わず「きゃぁ!」と声を上げた。
その様子を、口をぽかんと開けながら大勢の人間が見ている。
何もない空間にぽっかりと、少女が浮遊する。
それは大人の目線の高さほど。
そうして、少女が空中に浮いたまま、素早く町民達の方へ突っ込んできた。
状況を理解できない町人はそれを突然の攻撃と勘違いしてぎゅっと縮こまったり、逃げたりした。
そんな彼らに正体不明の何かが衝突して、町人の作った輪を突き進んでゆく。
少女の妖怪も多少ぶつかったりはしたが、大半は違った。
強いて言うのなら、何もないはずの空間がぶつかってきて、それに吹っ飛ばされた。
それでも落ち着いて空飛ぶキカを捕まえようと構えていた勇敢な男は大幅に迂回され、咄嗟に対応しきれていない町人達の群れを選んで突き進まれた。
彼らが何が起こったのか状況を理解しようと必死になっている間に、少女の妖怪は浮いたまま森の中へ消えてゆく。
あっという間の出来事だった。
事態の把握も追いつかないまま、妖怪が二匹とも消えた。
「何だったんだ?青い妖怪はどこだ?」
「知らん。しかし小さい方は飛んだぞ。やっぱり人間だなんてのはデタラメだったな」
「お…おい、逃げたじゃないか、追わなくていいのか!!」
我に返った順に、ひとまず追うべきだと駆け出してゆく。
ばらばらと、各々「こちらだ」と思う方へ。
しかし町人達が森へなだれ込む中で、その場から動かない者が一人。
――妖怪を一際憎んでいるはずの、若い女だった。
「どうかしたのか?」
森の中へ向かおうとしていた町人の内一人が、そんな彼女の様子を見て一旦足を止め、尋ねる。
それでも妖怪の行方が気になるようで、ちらちらと森を見ていたが。
女は何やら深い思考に沈んでいた。
ぶつぶつと何かを呟いて、声かけに気付く様子も無い。
「おい、逃げられるぞ。仇を討つんだろ?」
他の町人も気に掛けて時折振り返りながら、それでも誰か一人ついているのならと彼らを避けて森へ入ってゆく。
返事は無い。
普段無視など決め込むような人物でないはずなのだけれど。
何か思いつめているのだろうか、と思った町人は、「大丈夫か?」と彼女の肩へ手を置く。
―――瞬間、ぐるんと振り返った彼女のその瞳が、鋭利な刃物のような獰猛な光を湛えて町人へ切っ先を向ける。
「――っひ、」
引き攣った声が漏れた。
殺される。
本能的にそう思って、背筋が凍った。
…けれど、そう思ったのはほんの一瞬。
気が付いた時には普段の彼女に戻っていて、不安そうな顔があるだけ。
「……ごめんなさい。こんなにあっさり逃げられるなんて…私、悔しくて。……追いましょう」
よくよく見れば…何の事は無い、妖怪を倒すと意気込んでいた彼女のままだ。
気のせい、だったのだろうか。
…そうだ、自分でも気付かない内に緊張していたに違いない。
妖怪を二匹も同時に見たのだから仕方が無いのだろう。
彼はそう思う事で納得しようと努めた。
…実際、自分で見たものが信じられなかったからだ。
「妖怪は、絶対に倒さなきゃならないわ。皆の為に…亡くなったあの人の為に」
敵意をあらわにして、女は美しい髪を翻し駆け出した。
町人はそれをしばらく視線で見送る。
そうやってしばらく茫然としていた彼も、やがて「待ってくれ!」と女を追うように遅れて森へ入っていった。
「――そう、必ず殺す。私の手で、確実に」
誰にも聞こえないような声で、女が低く言っていたのを、知る由も無い。
***
「……、スマイルー!」
実体が見えないせいで自分がどういう風に運ばれているのかは分からなかったが、それでも運ばれている間揺れるし速いしで若干無理な体勢になっていたのは確かだ。
それを訴えようと必死になって名前を呼ぶ。
涙は既に乾き切って、ごわつく髪と一緒に頬へ張り付いていた。
不思議と、抵抗して降りようとは思わなかった。
あれだけ色んな事を言われて、悲しくて、嫌われたのかとすら思った。
けれど、……最後の「ごめんね」があまりに優しくて、何となく今まで一緒に居た優しいスマイルも嘘ではなかったのだろうなと思ったのだ。
「スマイル、まって、落ちそう」
どこにどう手をついていいのか分からなかったから適当に手に触れたものを掴んで、もぞもぞと動いてみる。
掴んだものの、不安定。多分服だ。
そんな状態では上下の振動には勝てず、どうやってもこのままでは落ちてしまいそうだ。
そうしていると、ようやくゆっくりと速度が落ちて、適当な木の陰で止まった。
「……ここまで来たら、少しくらいは大丈夫かな…」
誰に言うでもなくスマイルが呟いて(そういえばずっと無言のままだった)、すうっと色がつくように姿を現す。
そこでようやく、キカは自分が肩に担がれていたのだと知る。
少し体勢が崩れてしまっていたから、スマイルは慎重にキカを地面へ降ろした。
降り立ったキカはスマイルをじっと見上げる。
彼はせわしなく周囲へ視線を巡らせて、町の人間が追ってきていないかを確かめているようだった。
…その表情は、いつも自分へ向けてくれていた楽しそうなものや、悪戯っぽいものではなくて、……ほとんど無表情に近い。
そのくせ目だけはとても鋭くて、最早別人のようだった。
さっきの、無感情な声でキカを人間だと断言したスマイルが思い起こされて、キカは不安になる。
「…スマイル」
「……ん」
名前を呼ぶと、探りを入れていた視線をちらりと下ろしてキカを見る。
こちらに向いたスマイルの目は、幾分か和らいで見えた。
それでもじっと見ていると、自分より大きくて指のすらっと伸びた手が、頭の上にぽんと乗った。
「…ごめんね」
さっきも聞いた言葉。
でも、それよりもっと悲しそうな響きだった。
「…何の、ごめん?」
「……僕の力が足りなくて、逃げてくるしか出来なかった分の、ごめん」
「でも、町の人怖かったもん」
キカが以前追い払っていたあの時の様子とは、違った。
だから逃げるのも仕方がなかったのだろうと思う。
けれどスマイルは、首を左右に振った。
「あのままキカが人間だって証明出来てれば…キカはあの家でまた平和に暮らせてたかもしれない」
「…あたし、妖怪だもん」
「完全に人間扱いとまではいかなくても、少なくとも町の住民の、キカを見る目が変わる」
「…?」
「キミは濡れ衣から免れて、安全に生きることが出来て。きっと今より幸せになれる。……そう、したかった」
町の人々が変わったとして、それで何なのだろう。
そう考えて分からなかったから、考えている間にスマイルが続きを話した。
それでも更に分からなかったから、やっぱり尋ねる事にする。
「それって、どうなるの?」
「キカが町の人に優しくされるようになってたかもって話」
「……?」
町の人が、優しい。
そんなもの想像がつかなかったから、傾げた首が元に戻らない。
「まぁ、もう無理なんだ。僕のせいだよ」
「なんで?」
「キミが人間だって、きちんと説明できなかった」
「しなくていいよ、妖怪だもん」
やっぱり人間にしたいんだ、と残念な気持ちが広がる。
その訴えかけるような視線から逃げるように、スマイルはまた辺りを見回した。
「…僕のせいで幸せを逃したんだ。責任持って、ちゃんと安全な所まで送るよ」
「スマイル」
「……何?」
「あたしの事、もう仲間だって思ってくれないの?」
寂しかった。
あの不気味な笑い方も、でたらめな歌も、…約束も、仲間だから出来た事。
妖怪だから、共有できた物。
そこから比べると、もう随分他人行儀になってしまったような気がしていた。
スマイルはそれを聞いて口を閉じて。
…数秒の間、噛み締めるようにゆっくりと瞬きを繰り返して。
「……元々、仲間だなんて思っちゃいけなかったんだよ」
そんなことを言うから、キカはまた首を傾げた。
「誰がいけないって言ったの?」
「――…」
スマイルの視線が戻ってきた。
――どこか、驚いているようだった。
「ねぇスマイル。あたし、人間じゃないと幸せじゃないの?…あたしは町の人が怖くても、優しくなくても。ずっと森に住んでても、食べるもの少なくても。…スマイルが出て行って、あたし一人になっても。妖怪だから…スマイルの仲間だから、ずっと、幸せよ?町の人に優しくされるよりずっと、うれしいよ?」
分からないなら分からないなりに、思っていることを全部。
今の自分達には、会話が足りていない気がした。
妖怪でいて不幸なことなど無いのだと、訴える。
じっと見上げて答えを待った。
――スマイルは、
「―――…ごめんね」
膝をついてその両腕でぎゅっと抱き締めて、そう一言零した。
…いや、零すというより、絞り出すと言った方が合うような、そんな。
きつく抱き締めるから、スマイルの表情が見えない。
力の込めすぎで震えているのか、……それとも。
「…今度は何の、ごめん?」
「……ん」
ぽん、ぽん、と背中を打つ彼の手が温かい。
「仲直りしたい、のごめん」
「?……変なのー」
そんなごめんもあるんだ、と初めて知った。
だから、
「じゃあ、あたしも。…ごめんね」
同じ言葉で返した。
何故か痛いほど、抱き締められた。
***
「今から、どこいくの?」
尋ねれば、スマイルは少しだけ困ったような顔をした。
あれから何度か人の気配や声がして、その度にスマイルが姿を消してキカを担ぎ、逃げた。
二人見えているのとではやっぱり違うから、自分だけでも透明になる方がいいだろうとスマイルは言った。だから、逃げる時は透明。
そうやってあちこち走っている内に、キカも来たことのない場所までやって来た。
元々木の実を取る範囲でしか走り回っていなかったから、こんなに遠くまで来たことがない。
周囲には相変わらず木々が生い茂っているが、どこからか水の音が聞こえている。近くに川があるのだろう。
一方スマイルは「森なら旅で歩き慣れてるから」と、走った距離でキカの家から大体どれくらい離れた位置なのか把握できているようだ。
でも家に戻る様子は無いから、キカはスマイルがこれからどこに向かうのか気になった。
今は透明化を解いて、キカが地面に降りて休憩中。
スマイルの姿は見えているのでキカは簡単に目を合わせる事ができた。
「…そうだねぇ。ほとぼりが冷めるまでどっかに隠れてやり過ごそうかな、とも思ったけど」
「ほとぼりってなぁにー?冷ますって、今あったかいの?」
「うーん。あったかくはないけど、デッドヒートはしてるよね」
「??」
首を傾げるが、それに対して答えをくれるつもりはないらしい。
スマイルは町の人間が居ないかぐるっと見回して、それから言った。
「…でも、やり過ごした所で、キカも僕ももうあの家には戻れない」
「……えっ、……戻れないって、…帰れないの?」
「うん」
「なんで?…なんで!?今日帰れないってこと?明日は?」
「明日も」
「じゃあ、その次の日は?」
「その次の日も。…ずっと」
「なんで!!?やだ!!」
驚愕と混乱でいっぱいになってしまったキカを、スマイルが頭をなでて宥めようとする。
…けれど、キカはぶんぶんと首を振って「なんで!!」と答えをせがんだ。
「…キカ。町の人が、誰かに殺されたんだ」
「……!?」
ころされた。
死んだ。
誰かにそんな風にされてしまった。
…大変なことが起こったのだと、キカの中で想像が組み立てられてゆく。
ころす、と言われたことはあったから、きっとあんな怖いことがあったのだろう。
「酷いやり方だったから、町の人は妖怪のせいって事にしてる。…それで、人間を殺した妖怪なんて死んじゃえって、言ってる」
「?……?? あたしも、スマイルも、ころしてないよ?」
「うん。でも町の人達は想像以上に妖怪のことが嫌いみたいだ。勝手に決めつけてる。…全員、それを信じてる」
「…どうしてよー。おかしいよ」
「……そうだね」
ふ、とため息をついて、スマイルは傍にあった木に寄り掛かる。
キカも同じ木に背中をとんっとつけた。
「でもね。妖怪がやった事になった。…今は僕がやった事になってる。それなら僕だけが出て行けば済むんじゃないかって話だけど、あの人達『両方討伐する』とか言ってたからね。キカも危ない」
「とーばつ?」
「平たく言えば殺すって事かな」
「……んん」
情報量が多くて、キカにはうまく飲み込めない。
でも、町の人間達がスマイルと自分を良く思っていない事は分かった。
「多分、キカも僕も戻れば大変なことになってしまう。…それは時間をおいても、ずっと」
「ずっと……」
「うん。町の人達が、自分の仲間を殺された事を覚えてる間、ずーっと」
覚えている間。
―――殺されたわけではないけれど、キカは死んでしまった人の事をまだ覚えていて、そしてこれからも覚えているだろうから、何となくそれがとてもとても長い間なのだろうと思った。
ずっとずっと、長い間。
…だから、もう帰ることは出来ないのだろう。
――でも。
「ねえ、ねえどうしようスマイル。……おかーさんのお墓、おいてくの?」
振り仰いだキカの表情は、やっぱりいびつで読み取りにくかったけれど……とても複雑な表情をしている気がした。
本当は今日行く筈だった場所。
一人ではうまく作れなかった墓。
…大切なもの。家族が眠っている所。
「……時々なら、町の人に見つからないように来よう」
「時々って、どのくらい?」
「分かんない。…とにかく町の人達が来ないような場所まで逃げて、落ち着いてから考えないと」
「ねえ、じゃあ見つからなければたくさん行ける?あんまり、人来ないよ。だから大丈夫」
「…どうだろう」
「なんで!?だって今までずっと誰も……」
「キカ。…今まではキミが居たから。妖怪が居る森には誰も近づかなかったんだ。でもキミが居なくなれば町の人達は好き勝手に行動するよ。そんな中で、見つからずにっていうのは…どのくらい難しいのか、僕にもわからない」
頂点を越した日が少しずつ、ずれて傾いてゆく。
そういえば昼食なんて思考の外へ追い出されていた。
「……年に一度くらいは、絶対に連れてくるから。このまま僕と、旅に出よう」
「や……、いや!!あたし帰りたい!!」
「駄目。帰ったら危ない」
「やだ!やだやだ!!いや!!ねえ行くって言ったよね、おかーさんのお墓、一緒に行くって言ったよね!?」
「…うん。でも行けなくなった」
「やーーー!!」
キカが大声を出したことでこちらの居場所が知られなかったか、スマイルは辺りを見回し耳を澄まして、素早く探りを入れる。
…今はいいとしても、あまり良くはないだろう。
スマイルは屈んで、尚も騒ぎ立てようとするキカの口にそっと手を当てた。
「しー、騒いだら見つかっちゃう」
「んむう……、でも、やだ」
手を被せられたまま口の中でもごもごとまだ反論する。
もう大声を出す様子もないので開放すれば、その口は子供らしく尖っていた。
キカは、こんな事になる前だったら旅と聞いて嬉しかったのに、と思う。
でも今あるのは……後ろ髪を引かれるような気持ちばかり。
「ごめんね。…僕のせいで、大切な物を沢山置いていく事になった」
「…スマイルのせいじゃ、ないー」
「ううん。僕が見つからなければ、真っ先に疑われることもなかったし、キカを巻き込む事もなかった」
「でも、でも。スマイルは、何もしてないよね?」
「……それは確かだけど」
「じゃあやっぱり、町の人達がおかしいんだよ」
だからスマイルは悪くない。
何の迷いもなくそう断言するから、スマイルは苦笑した。
それに実際の所、スマイルという妖怪が見つからなかったとしても殺人が起これば(ましてやそれが人間の仕業とは思えないような有り様だったら)、やはり妖怪のせいだと騒ぎ立てられていた可能性も無くはない。
今回はスマイルが見つかったから矛先が向いただけで、そうでなければキカが犯人に仕立て上げられていたかもしれなかった。
…実際、さっきまで犯人にされそうになっていたけれど。
何もしていないのに追われているという点では、キカは間違ったことを言っていなかった。
スマイル自身被害者で、あらぬ罪を着せられて困惑している状態だから。
「……でも、もう、帰れないの?」
雨が降っていたことなど嘘のような午後の木漏れ日を見つめながら、キカがぽつりとそう呟いた。
スマイルは少し間を置いてから、「そうだね」と小さく返した。
「僕らは無力だから。…全部を捨ててでも、逃げなきゃならない」
「……―――」
言い聞かせるような…けれど辛そうなスマイルの言葉に、キカはふと思い出す。
何も捨てるものがあるのは自分だけではなかったはず。
それに思い至った瞬間、心の底から焦燥にかられた。
「スマイル。ねえ、…ねえスマイル!!がっき……置いたままだよ!?」
「………」
スマイルは、何も言わなかった。
だから余計に胸が騒ぐ。
だって、あれはとても大切なはずだ。
スマイルが唯一持っていた物。
それがあるだけで家に戻ってくるのだと分かるくらい、彼にとって必要なもの。
「どうしよう…スマイル、あれ大切なんでしょ?」
「……いいよ」
「なんで!?」
今日だけで何度言ったかわからない問い。
いいと言う割には、その声も顔もあまりに悲しそうだったから。
そうだ、お母さんの作ってくれた服、お母さんのくれた針、あの家、お墓。
置いて行くなんて自分はどれも胸が潰れてしまいそうな程悲しいのに。
――スマイルがたった一つ持っていた大切な物を、置いてきて平気なわけがない。
それに。
「スマイル、すごくすごく練習してきたんでしょ?あんなに上手になるくらい。たくさんの人に聞いてもらいながらここに来たって言ってたし、ずーっと持ってたんだよね」
「……」
「約束も、したよね。ねえ。…もっと色んな人に聞いてもらうって、…あれがないとスマイル、」
「……キカ」
スマイルがしゃがんで、正面からキカのぎょろついた瞳を見詰める。
「―――キカが無事でいる方が、いい。だから、もういいんだ」
彼はまたそうやって言うのだ。
今度は目こそ合わせていたけれど。
……苦しそうにしながら、噛んで含めるように、言うのだ。
「…でも」
「楽器はまた買えるよ。大丈夫、約束だって果たせるから」
「……」
「ね」
「…うん」
彼が促すような様子で言ったから、キカはようやっと頷いた。
それと同時に、思う。
――スマイルが楽器のことを諦めるなら、自分も全部置いていく事を悲しいなんてこれ以上言えない。
スマイルが透明になって走っていけば、きっと見つかることなく楽器くらい持ち出せるのだろう。
…それをしないのは、自分が居るからだ。
自分は透明になれないからついて行くにも危ないし、でも一人で残っていればもっと危ない。
だから大切な物を…諦める事になった。
分からない事だらけのキカにもそれくらいは分かって、胸が締め付けられる。
「スマイル」
「んー?なぁにー」
「……ごめんね」
「………」
それは、どちらの意味なのか。
「…大丈夫」
どちらだって構わなかったから、スマイルはキカの頭を一つ撫でてから立ち上がる。
「さて、と。何の気配もないけど、そろそろ移動しよう。水の音がするし、川かな。近寄れそうなら水を飲もう。ついでに何か食べられそうなものが見つかればいいけど」
すっかり慣れた動作でキカと手を繋ぎ、歩き出す。
川までは近そうだ。それに町の人間が来る様子もない。
だから姿を出したまま並んで歩いた。
「…あ。ねえスマイル、これからどこ行くの?」
「そういえばそんな話してたなぁ。隣町とか…ここからどれくらいかかるかな。僕の来た道を戻るのでもいいけど、前の町まで随分遠いんだよね。他はどうなんだろう」
「んー……おかーさん言ってたけど、ほかの町はどれもすごくすごく遠いんだって。あたしが歩いて行けないって」
「あ、そうなんだ……だから森にずっと居たんだね。じゃあ…うん、多分だけど町より近い場所があるから連れて行ってあげる」
にーっとスマイルが笑う。
その『いつもの笑み』に、キカは首を傾げて返す。
彼がどこに行くつもりなのかは分からない。
「それってどこー?」
「んーっとね。……妖怪の世界」
「ええー!?」
スマイルが妖怪らしく意味深な笑みを浮かべてみせながら答えると、キカは零れ落ちそうな瞳を更に見開いて驚愕した。
そしてその表情は目に見えてキラキラと輝き出す。
先ほどまでの鬱々とした雰囲気は一瞬にして吹き飛ばされた。
スマイルは更に続ける。
「すんなり受け入れられるとは限らないけど、どうせならそっちの方がいいんじゃないかな。どう?」
「いく!いくー!!」
繋いだ手をぶんぶんと振り回しながらキカがはしゃぐ。
それに満足して、スマイルは「ヒヒヒ」と笑った。
キカも「ヒッヒッヒ!!」と返す。
川のきらめきが見えてきた。
――そうだ、『手を繋いでなら、どこへだって行っていい』のだ。
だから大丈夫。
この手を繋いでなら、どこへだって行ける。
見た事の無い妖怪の世界を思い描きながら、笑う。
―――その時。
「―――ああ、やっと見つけたわ。妖怪」
まるで亡霊のように音も気配もなく、ゆらりと木の陰から現れた一人の女。
待ち伏せでもしていたのだろうか。
その女は――銀色に光るナイフを持って、そのナイフと同じくらいぎらついた瞳で二人を正面から見据えた。
凍ってしまったかのように立ち竦む二人へ、笑みを向ける。
「ずっと、探してたの。……早くその口塞がせて?」
この場に似つかわしくない、きらきらと綺麗なハニーブロンドが、風に舞った。
―も、もう少し!―
**後書き**
えれぇ長いぜ!!スクロールバー働き過ぎ。
そうですよ、予定してた所まで押し込んだらこんな長さになっちまったんですよ!(笑
ちなみになんですが、キカちゃんの青い服は別に容疑を着せるために用意してたわけではないです。予定外。
人間、人間じゃない、の押し問答はずっとやりたかったシーンでしたが。
…そして押し込んだわりに予定してた場所ギリギリまでしか入ってないですよ。具体的に言うと『あの女性に発見される所』までですが。
どうしよう、まさかの再延長とかあったりして……(不吉
あ。更にちなみに。(変な日本語
もしスマイルが見つかってなかったら例の女はそもそもあんな大胆な犯行をしてなかったはずですが、いずれ男は何らかの形で殺害されてたので同じ。
ついでに森に捨てられる事になるので結局妖怪のせい。
スマが居ようが居まいがいずれこんな結果になってました。
…という、見え透いたスマイル弁護(笑
でも書きながらずっと気になってたので想像した結果です。何事もない平和なルートなぞ存在しませんでした。我ながら切ない。
そう考えると対応ができるスマがいる分まだまし…?(混乱
スマって不器用なんだと思います。(唐突
その人の為を思って行動するのに、そういう意図がある事は伝えないとか。
大切だと思ったら突き放してでも大事に大事にするとか。(矛盾というか本末転倒ですけど
恨まれてもいいから幸せになってほしい、という独善的な所があるイメージ。いざとなったら相手だけでも陽の下へ押し出して、自分は陰に置き去りでもいいとか言うような。
悪くないのに敵を作るタイプですね。きっと人への愛し方を全く知らない感じ。
寧ろ自分が愛されてると思ってないから多少無茶して傷つけて離れていっても、相手の心の中に自分は残らないんだろうと思ってるんじゃないかと。
…というわけで今日も妄想爆裂中ですね。スマ大好き。