「キカがまだコレを縫ってなくて良かったよ」
 そう呟きながら、袋の中から一枚の布を取り出す。
 それは比較的吸水性に優れた部類の布で、キカにあげたものの内の一つだ。

 朝食になるようなものを探して戻ってきた頃には二人ともずぶ濡れで、そういえばこの家には体を拭くものが無かったと気付いたのもこの時。
 実は布を買った時にそれでは不便だろうと一枚そういう質の物を買っていたのだが、必要無ければ縫ってしまっても構わないとそのままにしていた。

 …ちなみに帰ってくる段になって雨が止んだのには、二人して苦笑した。


「キカー、これ使っていーい?」
「ん、なぁにー」
 青いワンピースに着替えようとしているのか、畳んであったそれをつまみ上げながらキカは振り向いた。

 スマイルがひらひらと一枚の大きい布を振れば、キカはこてんと首を傾げた。

「あ、それ、くれたやつー?」
「そうそう。丁度いい材質だからもし良ければコレで体拭いてもいーい?」
「んー。スマイル使いたいなら、いいよー」
「何言ってんの、キカも拭くの。風邪ひくよ」
「んえ?かぜってなにー」
「ええっと……」

 スマイルも妖怪とはいえ風邪くらいは引いた事があるので分からないわけではない。
 …というより透明人間は名前の通り人間とほぼ同じで、強いて言うなら透明になれるか否かの違い、あとは寿命と体の色が違う程度。
 他の妖怪からしたら運動神経が少し良いだけのかなり体の弱い種族として映るのだが、それは置いておくとして。

 以前風邪にかかった時の記憶を掘り起こしながら(わりと前の事なのだけれど)、スマイルは事の重大さを説く。

「とっても苦しい病気だよ。体が冷えたり、弱ったりしてる時にかかるのさ。頭が痛くなったり、熱が出たり、ふらふらして歩けなくなったり。そんなの嫌でしょ?この前は何となく流しちゃったけど、今日は拭いて貰うからね」
「………」

 予想外にキカがそこで黙ってしまったから、今度はスマイルが内心で首を傾げる。
 やはり、一度あげてしまったものを使われるのは嫌だろうか。
 子供は独占欲が強いものだ(と、スマイルは思っている)。

 けれどキカは、思っていたよりずっと真剣な声で言葉を返した。


「…その『かぜ』って、死んじゃう?」
「……え」
「ふらふらするんだよね。…苦しいんだよね。……あたしも、それになる?」

 青いワンピースを握りしめたまま、とたとたとスマイルの方へ走ってくる。
 相変わらず表情は読みにくいけれど、感情まで読みにくい事は今まで無かった。

 ぎゅう。
 ずぶ濡れのキカが、ずぶ濡れのスマイルに抱きつく。
 その拍子に握っていたワンピースは床へ落ちた。

「…血、たくさん吐いて、動かなくなるのかなぁ」

 いつもの口調のはずなのに、えらく大人びている声に、スマイルは何となく彼女の思う所を察する。
 『その人』が病気で亡くなったのだと聞いたのは、確かここに来た最初の日の事。

「……風邪じゃ、そんなにはならないよ」
「…ほんと?」
「約束したじゃん。本当の事言うよ」
「……」

 ぽたぽた、家の床に水滴が落ちる。
 スマイルは大きな布をキカの頭から被せて、拭き始めた。
 …他人を拭いた事なんて一度も無いから、多少荒いけれど。

 キカは黙ってそれを受ける。
 ……やがて。

「…ねぇスマイル」
「なぁにー」
「もし、かぜで血は吐かなくても。…それであたしが、死んだら」
「…縁起でもない事言わないのー」
「あたしが、死んだら」

 彼女が、有無を言わせず言葉を続けたのは初めてだった。


「おかーさんと一緒に、埋めて」


 ぴたり。
 スマイルの手が一度だけ止まる。

 …そうして間もなく動きは再開された。


「それは、『約束』?」
「……うん」
「じゃあやだ」
「え?何で、なんでなんで?あたし、おかーさんと一緒がいい」
 被さった布を捲り、顔を上げて必死になって言い募るキカに、もう一度布を被せてわしわしと拭く。

「キカは、まだまだ死なないから」
「…だって」
「ほら、拭こう。それで着替えてあったまって。そうすれば風邪はひかない」
「……」

 こくり、と。
 ようやく彼女は頷いた。

 布をわしりと掴んで自ら拭き始める。
 もう助けは必要なさそうだ。
 …それに、これ以上拭くには着替えなければならない事だし。

「んー。じゃ、僕は後ろ向いてるから拭くついでに着替えて」
「あいー」

 返事をした所で、キカはふと思う。

「スマイルは、着替えないの?」
「僕はコートで大体防いでたから。コート脱いで軽く拭いたらおしまい」
「ふーん」

 そう言ってスマイルはコートを脱ぎ、適当に濡れてもいい場所(入口付近)に置いてから楽器を持って後ろを向いてしまった。
 暇潰しと言うには綺麗すぎる演奏が始まった中でキカは、ワンピースをがばりと脱いで着替え始める。

 縫い目のがたついた、青いワンピースへ。


「ねえスマイル」
「んー?」

 ぽろんぽろん。
 弦楽器の音の合間にスマイルが返事をする。

「朝ご飯たべたら、おかーさんのお墓にいきたい」
「……」

 その声が雰囲気が、いつもの彼女のものだったから。
 スマイルは軽く息をついて。

「…うん、分かった」


 そう、返事をした。






 −┼―――−- last promise _09 -−―――┼− 







 武器を持った町人達が森をぞろぞろと進む。
 真剣な表情で、いつ妖怪が出てきても迷いなく迎撃できるように。

 老若男女関係なく戦う意志のある者を募って森に入ってきた彼らは、どこに例の妖怪が居るのか見当がつかなかったから、ひとまずめぼしい場所として『少女の妖怪』の住処へ向かっていた。
 幸い場所を知っている者が数名居たし、目的地がそこならば迷う事も無さそうだ。

 芋づる式に見つかればそれでいいし、そうでなくとも今回の件で両方の妖怪を討伐する予定だったから『少女の妖怪』だけでも見つかれば無駄足にはならない。


 確実に、両方を、仕留める。


 元々争いとは無縁の町だ、武器を用意してから来たとはいえ持っているのは各々が振り回しやすいもので、鎌や鍬、大ぶりのナイフなどなど。
 強いて言うならば即席の盾や、乗馬の際の防具なんかをつけている人もちらほら居た。
 昨晩用意もそこそこに突撃した時と変わった事は、全員が武器をきちんと考えて持ってきた事と、何かあった時に備えての道具類を揃えてきた事。
 傷薬や包帯、中には火薬なんてものを持ってきている者もあった。

 いくら準備しても足りない気がした。
 妖怪に襲われた人間のなれの果てを知ってしまったから。

 物々しい様相。
 その数は、数十名にものぼった。
 かといってリーダーなどというものは無い。
 目的は一つなのだ、それで充分だと考えていた。

 ――妖怪を倒す。
 たった一つ、それだけ。
 その目的さえあれば、果たす事はみな同じ。

 町長が守ってくれないのなら、自分達で身を守るだけ。


 目的地へ向けて、ひたすら歩く。
 ぎらつく瞳で前を見据えて、時折邪魔な枝を斬り払い、打ち払い、茂みを踏み倒して。

 侵攻してゆく。
 不思議と恐怖の色は無かった。
 皆で行けば何とかなると、そう思った。

 何より。


 ――今回の犠牲者の、遺族も一人参加しているのだ。
 その人物の事を思えば、怯えて前に進めないなどあってはならない。


 他の遺族は悲しみに暮れて討伐どころではなかった。
 それも当然だろう。唐突に家族を失った上に、遺体があの様子では。

 けれどたった一人、―――婚約者を失った、若い女。
 彼女だけは、違った。

 許せない、と。
 婚約者を奪われ悲しみと憎しみに染まった瞳をした、彼女。
 男が殺される前までは、彼女がとても優しく愛情を注いでいたのを、町の皆は見ている。
 不義理な男だったが、彼女が見捨てたなどという情報は無い。きっと、割れ鍋に綴蓋のとても素敵な夫婦になるはずだったのだろう、と。

 それだけに、妖怪への恨みだけを原動力にして立ち上がっているのではないかと危惧した者も多かった。
 これでは彼女の心が壊れてしまう、と。

 けれど、今彼女を止めてしまえばそれこそ壊れてしまいそうで。
 ――結果、彼女の意思を尊重する事となった。
 復讐をしたい気持ちは、痛い程分かったから。

 この戦いが終わったら、皆で支えてやらなければ。


 図らずも、最大の被害者を筆頭に進む事となった大勢の人々。
 恨みの気持ちを持つ者がはっきりとそこに居るから、恐れず迷わず進めるのかもしれない、とその内の誰かがそう思った。



 雨水の残った森の中、一同は開けた場所に出て巨木の姿を見つける。

 未だ知らぬ妖怪が、どんな姿をしていても関係ない。
 大きかろうが、凶暴そうだろうが、…ひ弱な姿に化けていようが。
 如何なる抵抗を受けようと、町への被害が広がる前に、容赦なく討ち滅ぼすまで。


 最低限――殺された町民と同じくらい、酷い目に遭わせてから。

 迷いなど、そこには無かった。



 ***



「―――…」
 何かを感じ取って、スマイルは視線だけを動かす。

 家の中。
 少し遅めの朝食を終えて片付けが済み、もうそろそろキカの母親の墓へ出かけようかと思っていた所だった。


「どーしたの、スマイルー?」
「……」

 問いには答えず、じっと固まって耳をすませる。
 …この森で、聞こえてはならないものが聞こえた気がしたからだ。


 ――人々の、ざわめき。


 本当に微かだったから気のせいかもしれなかった。
 それでも……徐々に鼓動が早まってゆく。胸が騒ぐ。


「…ちょっと…待ってて」
「え?」
 スマイルが、濡れたままのコートを重そうに羽織った所で、一人で出かけるのだと気付く。

「スマイル、一人で行くの?あたしは?お墓はー?」
「…ごめん、確かめたら行くから」
「なにをー?」
「……分かんない。でも、少し待ってて」

 フードを被って口布をあてる。
 キカもスマイルの様子に何かただならぬものを感じ取って黙った。

「…そんな不安そうな顔しないのー」
「……ん」
 キカが眉を下げているのに気付いて、スマイルは口布越しににーっと笑った。
 それを見てキカはほんの少しほっとする。雰囲気だけでも、彼が笑んだのが分かったから。

 スマイルは一度頷いて、それから出入り口のドアに耳をそっと押し当てる。
 何してるの、というキカの声は聞こえないふりをして。


 ―――聞こえるのは葉擦れの音。
 数秒それを聞いて、思い違いだっただろうかと耳を外しかけた……その時。


 いくつもの、足音。
 人々の声。
 それも……一人や二人ではない。


 明らかに大勢の人間が近付いていると分かった時点で、キカもそれに気付いたらしく、弱々しい声で「スマイル」と呼びかけた。

「…どうしよう。町の人、かなあ」
「……」

 珍しくスマイルが返答しなかったから、キカは少しおたつく。
 数名であれば特別怖がる事も無いけれど、こんな人数で押し掛けてくるとしたら、きっと怖い人ばかりだ。

 ……けれど。
 そう、よくよく考えれば町の人間が大勢ここに来る事は以前にもあった。

「スマイル、あたしが行ってくる」
「駄目。それだけは駄目」
 この言葉には素早く反応があって、一瞬驚いたものの、キカは迷いなく続けた。

「だって、おかーさんが居た時もあたしが町の人を追っかけたら逃げたよ。あたし、そーいうの慣れてる」

 追い払った経験があると聞いて今度はスマイルが驚く。
 けれどそうか、と同時に思う。
 あれだけ妖怪を恐れていれば、キカの事も未知のものとして通常の人は近付けないのかもしれない。

「キカ。そういえば沢山の人がここに来た事もあったって言ってたけど。こういうのって、何度もあったの?」
「んー……ここに来てから、何回かあったよ。でも、最近は来てない」
「最近って、どのくらい?」
「わかんないー。でも、こんなに多いのはずっとずっと前だけだよー。もう来ないかなって、思ったんだけどー…」
「……」

 その返答に、スマイルは苦い表情をする。
 …今まで来なかったのに、唐突にここへ来た。
 それの意味する所は、すなわち。

 ―――自分の存在だ。

 今回のこれは、恐らく昨日の昼に見ていたのがやはり町の人間で、自分という妖怪の存在に気付いたからなのだろう。
 ならば話は違う。
 警戒しているのはキカではなく―――自分だ。

 姿を隠すのが、遅かったのだ。

 それまでは小さなキカだから対応が多少甘かったり見逃されてきたりしたのだろうが、『大人の妖怪』である自分を見つけたのであればそれ相応の覚悟も準備もあるはず。
 ならば、危険だ。
 キカに行かせる事などできるはずもない。
 元々キカの存在を疎んでいた彼らのこと、キカに手を出さないとも限らない。


「…行っちゃ駄目。僕が何か方法を考えるから」
 そうは言うものの、足音は近付いてきている。

 …キカで逃げたのなら、自分が目一杯脅かせば何とかなるだろうか。
 憶測混じりの噂で妖怪を怖いと言うような連中だ、きっと今近付いている人間も『妖怪が居た』というだけで過剰反応をしているのだろう。
 それなら…害を成すようには見えない程度の何かをして追い払えば、キカの時同様その内来なくなるだろうか。

 ……否、違う。
 こんな事になってキカに迷惑をかける可能性を見出した時点で、自分は出て行くべきだったのだ。
 見つかったかもしれない、と思ったその時に、危険はあったはず。
 だから、何としてでも追い払った後に、自分は出て行く。―――これが最善なのだろう。

 ああ、でも。
 『妖怪を呼び寄せた』として、この子はここには居られなくなるかもしれない。
 これからも妖怪を呼び寄せる可能性を危惧した町民に何かをされるかもしれない。


 一体、どうすれば。


「スマイル」

 不意に手を取られて、スマイルは大袈裟に肩を跳ねさせた。
 強く握った拳のせいで手の平に食い込んだ爪が、今になって痛む。

「……ん、大丈夫。ヒヒヒ」
「…うん。ヒヒヒッ」
 二人して、笑う。

 そうだ、迷っている暇は無い。
 足音は、もうすぐそこ。

 スマイルは両手に手袋を嵌め、完全に肌を隠した。
 ―――その姿は、町に現れた『謎の楽師』。


「ちょっと話を、してくるよ」

 だから、待ってて。

 一度だけしゃがみ込んでキカの体をぎゅっと抱きしめる。
 コートに染みていた雨が少しだけ冷たかった。
 そしてやっぱりぎこちなさは抜けないままだったけれど、キカは彼のそれがとても気に入っていた。

 こくん、と頷く。
 それを見てスマイルは―――謎の楽師は、扉を開ける。


 今にも戸を突き破って中へ入って来そうな、物々しい雰囲気を阻む為。






 今ここに妖怪が居るのかは、不明だった。
 だから一斉に攻撃を仕掛けて、中を検めるつもりだった。

 破壊しつくすつもりで全員が武器を構えるのを待って、それで待ちきれない誰かが突撃開始しそうになった―――その瞬間。


 扉が、開いた。


 誰もが絶句した。
 こちらが仕掛ける前に出てきたせいもある。
 その姿が予想とは違ったせいでもある。
 そして……この場に居合わせた町民達の内何人かは、出てきた人物に見覚えがあった。

「お前は…楽師?」
 ざわざわとざわめき始めた人々の中で、一人がその人物に問いかける。

 何だ、知っているのか、とどよめく者へ、知っている者が喋る。
 人数が多いせいで正確な情報が伝わりきるには無理があったが、それでも全体の動揺のせいで攻撃をするべきでないと分かる。

「人間の癖にどうして妖怪の巣から出てきやがった」
「まさか…妖怪とつるんでるの?」
「でも人でしょう?」

 人間。だから妖怪とは一緒にいられない。
 危険だから。
 それなのにそこから出てきた。
 ――ちぐはぐな状況に町民は混乱する。

 統率者の居ない集団は、纏まってすらいなかった。
 だからスマイルの声も届く。


「――お待ちください。何の騒動でしょうか」

 緩やかに、しかし凛とした言葉。
 それを受けて水を打ったように静かになる人々。

「何やら物騒な物をお持ちですが。…ここへは何の用で」

「な、何の用は、こっちの台詞だ!ここは妖怪の巣だぞ、どうしてそんな所から出てきた!」
 動揺しながらでも、勇気ある一人が問いを投げた。
 楽師はそっと首を傾げた。

「私の仕事はあくまで音を届ける事。人間、妖怪に隔たりなど御座いません。…それに、ここに住む者は危険などではありませんゆえ」
「妖怪が危険じゃないなんてそんな事あり得ないじゃないの!!」
「いいえ、私は長く旅をして参りましたが、それだけに分かるのです。――人間にも悪人・善人があるように、妖怪にも個体差がある事が」

 大袈裟な身振りを加えながら、朗々と話す。
 まるで吟遊詩人の様な様子は自信に溢れていて、人々は更に困惑する。

 気でも狂っているのだろうか。
 怪物の住む場所へ飛び込んで、危険でないから音楽を聞かせに来たという。
 自殺願望でもなければ理屈が通らなかった。
 けれど、事実彼が生きているのだから理解に苦しむ。
 しかしまさか妖怪が安全であるはずもない。

 ざわめきは収まらない。
 それを良い事に、楽師は尚も言いつのった。

「確かにここには少女の妖怪と、それからもう一人、大人の妖怪がおります。…が、彼らは何の害も及ぼしませんでした。私が生き証人となりましょう。…第一、少女の妖怪もこれまで何もしてこなかったのではありませんか?今回新たに住み着いた妖怪も、同じようなもので、放っておいて何ら害はありません」

 そんな風に言われて、町人は混乱する。
 『大人の妖怪』というのが『青い妖怪』だとすれば(そういえば最初に見つけた男は青い妖怪の事を『大きい』と言っていた)、少女の妖怪だけでなく件の妖怪もここに居るという事。
 それから、害が無いという、町の者からすれば実に矛盾した主張。
 焦り惑い、しかし楽師という人間のせいでどうすべきか迷う人々の中で、一人の女性が声を上げる。

「それはおかしいわ!!だって町の人間が……私の婚約者が、この森に居る妖怪に殺されてるのよ!!」
 言いながら、巨木で出来た家を取り囲むようにしていた町民達の輪から数歩、進み出る。
 湿った風が吹いて、彼女の綺麗な蜂蜜色の髪をなびかせた。

 彼女の言葉に、楽師は初めて僅かな動揺の色を見せる。
 これまでずっと、自信に満ち溢れていたのに。

「私の婚約者を含めて…3人も。……見るに堪えない惨い姿で見つかったわ。それなのに無害だなんて、おかしいじゃないの!!」
「――そんなはずは」

 ――何かの間違いだろう、と楽師…スマイルは思った。
 死人など勿論見ていないし、そんな騒ぎになるような事もしていない。
 強いて言うのなら男が一人紛れ込んだが、彼は生きていたし町の近くまで送り届けた。十中八九生き延びているだろう。
 見間違われようはずも無い上にこちらとしては何の根拠も無いように見えた。

 けれど。

「遺体を連れ帰ったのは俺だ。他にも見た奴、居るよな」
「ああ、俺も見た」
「惨い状態だった…。大の男3人をそんな風にしておいて、無害はないだろう」

 何人もの証人が現れて、言葉に窮する。
 虚言には聞こえなかった。では事実なのだろう。それが一層混乱を引き起こす。
 ――そんな、はずは。

「その3人は、森に現れた青い妖怪を偵察する為にここへ来たわ。それで……そのまま帰ってこなかった。…数時間後には、遺体として見つかった。……っ、あんな姿に、なって…!」
 言葉を詰まらせ口元に手を当てる彼女に、そっと町の人間数名が寄り添う。
 慰められているその様子を見ながら、別の人間が声を張り上げた。

「何度も何度も、深く切り裂いた痕があった。辛うじて誰だか分かるくらいの、惨たらしい姿だった。あんなの、人間の出来る事じゃねえよ。鬼か悪魔か……妖怪だ」

 何人もの人間が、頷く。
 スマイルは、何か途方も無いものに巻き込まれた事を悟って、口布の内側で唇を噛んだ。

「……誤解です。そんな事は…あり得ない」
 無実を証明するとしても何もない。
 対して向こうには証人が大勢。
 呟くようにして言うのが限界だった。
 そもそも何が起こっているのか整理する暇も無かった。
 分かるのは、殺人の罪をなすりつけられようとしている事だけ。


 しかし、町人達は楽師の呟きを聞き逃さなかった。


「どうしてそこまで妖怪に肩入れするんだよ」
 ぽつりと誰かが言った。

 そこから始まって、ざわめきは全員へ広がる。

 おかしい。
 怪しい。
 妖怪の居る場所に居ながら無事なのは何故。
 妖怪を庇うのは何故。
 そして……誰もその事に触れはしなかったが、姿を隠しているのは、何故。

 疑念が噴き出せばとどまることは無かった。

 それを代表するかのように、それまで慰められていた女は再び前を見据えて楽師へ言う。


「…貴方は一体何者なの。得体が知れないわ…素性を明かして。…顔を出しなさい」
「―――…」

 楽師は何も言わず、何もしない。
 焦れたように女は尚も言い募った。

「それとも出せないの?――そういえば例の妖怪は『青い髪に青い肌』だと聞いたわ。もしかしてその中身、青いのかしら」

 女の発言にその場に居た数十名がどよめく。
 ――妖怪に肩入れをするのなら、もしかしたら妖怪なのかもしれない。
 そうすれば、筋が通る。
 楽師の素顔を見た者が誰一人として居なかった事もそれを裏付けた。

 …実際の所、女としてはどちらでも良かった。
 この男、全容は知らずともある程度事実を知っていそうだった。
 ならばあまり喋らせてはこちらのした事がばれてしまう。
 それくらいなら―――ここで口止めをするか、殺す方が良い。
 妖怪本人ならば、本来の予定通り討伐するだけ。


 楽師は何も言わずじりじりと後ろへ下がる。
 いよいよ怪しいと思った町人達が武器を構え始め、場に緊張した空気が走る。


 ―――と、その時。


「やめて!!」
 バン、と扉が開いて、叫びながら勢いよく飛び出す影が一つ。

 町人も、女も、――スマイルまでぎょっとしてそちらを見る。
 そこには、歪な形の顔をした少女の姿があった。

「スマイルに怖い事、しないで!!」
 ぎょろついた目で睨み上げながら、楽師の隣へ駆け寄る。

 少女の姿が近付いた事で町人達は軽い悲鳴を上げながら輪を崩して距離を取った。
 誰も彼女の言葉を聞いてはいない。
 口々に「妖怪が来た」「やっぱり居た」「醜い姿だ」と勝手な事を言うだけ。

「…駄目、出てこないで。戻って」
「やだ」
「お願いだから。ここは危ない」
「いや!」
「早くっ」
「やー!!」
 焦ったようなスマイルの声にも、キカは断固として首を縦には振らなかった。

 スマイルが、危ない。
 何度も取り囲まれた事のあるキカは、それだけは充分に分かったから。

 けれどそんな二人を見ていた町人達は、やはり楽師が怪しいと確信する。

「おい、やっぱり妖怪と通じてやがる」
「音楽を聞かせるだか何だか言ってたが、それでも普通の人間があんな風に出来るわけがねぇ」
「――ねえ、でも、ちょっと待って」

 疑念の渦に、もう一つの疑惑が持ち上がる。

「見てよ、あの妖怪…青い服を着ているわ?」
「それが何だよ」
「もしかして青い妖怪を発見した人、あれを見間違えて『青い妖怪』だなんて伝えちゃったんじゃない?」
「…まさか」
「動転してたら誰でも見間違えるわよ。今だって皆混乱してたじゃない。それに……今まで青い服なんて着てた事ないんでしょ」
「馬鹿言え、どこが『大きい妖怪』なんだ!ガキじゃないか!」
「いや…化け物なんてデカく見えるもんさ。殴りかかってきたなら尚更だ」

 妖怪を見て取り乱す。
 それは人間として仕方のない事だった。
 だから……ひょっとして可能性はあるのだろうかと。


 しかし、だとしたら。


「だったらそいつが…町の人間を殺したって事か?」

 恐ろしい疑惑が、キカに降りかかった。
 小さいから大人を殺せないか、なんて関係ない。
 ―――妖怪なのだから。

 先程楽師が『大人の妖怪も居る』と発言した事など誰も覚えてすらいないらしい。
 都合のいい解釈で危険を排除するだけ。
 それに―――まだこの中に、青い妖怪を見た者は居ない。
 大きいのか小さいのか、大人なのか子供なのか、確かめた人間は今存在しない。
 確証が無いものを信じるより、まずここに存在する妖怪へ疑いの目が向くのは自然な事だった。

 じりじりと、取り囲む輪が戻ってくる。


 キカ本人はわけのわからないままきょとんとしている。
 しかしスマイルには何を言っているのかがはっきり分かって、――このままでは危険だと頭の中に警鐘が鳴り響いた。
 最早、この人間達にどんな弁明をしようが聞き入れては貰えまい。

 周囲にはぐるりと取り囲むようにして数十名もの人間がいる。
 ――逃げ切れるだろうか。


「青い妖怪の正体がどうであれ、元々妖怪は両方討伐する予定だったもの。……まずはこの妖怪を倒してしまっても損は無いわ」

 スマイルが僅かに思案していたその間に、先程数歩前へ出ていた女が決定的な言葉を放った。


 それで、町人達は一斉に攻撃の構えを取る。
 ――刹那。



「―――待ってよ!!!」

 いざ飛びかからんとしていた所に、腹の底から叫んだような大きな声が響く。
 それは、楽師の声だった。

 先ほどとは全く違う口調、雰囲気。


 若干気圧される程の空気を作り出しながら、彼は何故か水を吸って重そうなコートを……ばさりと、脱いだ。



「青い妖怪は、僕だ」



 青い髪、青い肌、紅の双眸。
 脱ぎ捨てたコートと剥ぎ捨てた口布が地に落ちてべしゃりと音が鳴るまでのその僅かな間に、その場に居た町人達は悲鳴を上げ逃げ惑った。
 近くの木の陰に、茂みの中に、隠れる。

 驚愕しながらも退かなかった数名と、それから蜂蜜色の髪をした女だけが、その場に残った。


 全員に聞こえるように、スマイルは叫んだ。


「僕を殺人犯に仕立て上げたいならそれでもいい。…でもこの子は違う。―――妖怪である僕が断言する。この子は…キカは、妖怪なんかじゃない!!人間の、小さな女の子だ!!!」



 ―――切なる叫びに、息を呑む音がした。






 ―もう少し続く―






**後書き**

その物語の一番書きたい所って、「コレジャナイ」感が出るんじゃないかと危惧して書きたくなくなっちゃうんですよね。
でも今回は思い切って書いてみました。
書いてて凄くドキドキしましたよホント。
書いてる時間って長いですから、その間ずっとドキドキしてるのは疲れました。でもイイ。(何

なんかどっかで前回の話を「ラストほのぼの」的な事を言った気がしますが(どこで言ったんだろう)結局今回の冒頭にほのぼの追加しちゃいました。
…え?書いてる方からしたらほのぼのですよ?(『比較的』が付きそうだけどどうなの)

さて。スマイルが思っているより事態は深刻でした。人間として話し合うだけでは済みそうにありません。
ここからが一番書きたかったメインになりますが、どこをどう通って終わるやら。