どん、と突き飛ばされ、床に激突する。
 そんな町長を助け起こそうとする者は、ここには居なかった。

「聞いたぞ、あんな重要な事を町の皆には黙っとくつもりだったんだってな」
「しかも今までそんな凶暴な妖怪を野放しにして、狩るつもりもなかったんだろ?」
「お前の失策のせいで、3人も死んだ!!」
「この無能が」

 捲し立てられ、町長は会議室の床に手をつき起き上がる。
 この部屋に入ってきている者以外にも、部屋の外や建物の外に町民が群がっていた。

 ――町長に手をかけた者も含め、彼らの殆どは連日この部屋に集まっていた者達ではなく、一般人。


「…全ては、町の住民を思っての事。危険を回避させるのも町長としての務め」
「どこが、危険を回避してるんだ!!妖怪を退治する事にも尻込みばっかりして、ちっとも前に進まなかったって言ってたぞ!!それに――死んだ奴ら、凄い有様だったってな」
「ぐちゃぐちゃに掻き切られてたらしいぞ」

「……彼らには、酷い事をしてしまった。が、これで危険の度合いが分かった。これから対策を――」
「っ、お前の言葉なんて、もう誰も聞かねえよ!!」

 叫ぶように言われた言葉に、何人もが力強く頷く。

「俺らは俺らで動く。……妖怪は、何があっても退治するからな」

 ――死んだあいつらの為にも。
 町民の一人が苦しそうにそう言って、他の者と一緒にぞろぞろと部屋を出て行った。


「町長、あんたはお払い箱だ。邪魔になるからこの部屋に居ろ」

 ばたんと扉が閉まり……ドアノブに何か細工をしているのか、がちゃがちゃと乱暴に音が鳴る。
 鍵は内側からも開けられるが、見る限りどうやら単純に鍵をかけているわけではないらしい。

 空いている椅子にのろのろと腰掛け、……町長は深く溜息をついた。






 −┼―――−- last promise _08 -−―――┼− 







 ――――……婚約者『だった』人物を思い描きながら、私は捨てずに仕舞っておいたナイフを眺める。


 ずっとあの男を愛していた。

 そう、愛していた。


 …最後まで。



 同棲した途端に態度が冷たくなろうと。
 唐突に朝帰りが増えようと。
 仕事仲間との付き合いだからと何度も繰り返されたそれが、どこからか流れてきた噂でどうやら違うのだと分かっても。

 問い詰めればあの男は開き直った。自分の人生を楽しんで何が悪いと。
 愛しているから許せなかった。
 食い下がれば、それ以上の言葉は耳障りだとばかりに殴られた。

 金が足りないからと、生活に必要な金を使われ始めた。
 嘆いても拒否しても返ってくるのは冷たい態度と暴力。
 だから、私は生活費の為に仕事を増やした。

 それでも彼を愛していた。
 いつか我に返ってまた愛してくれると信じて。
 だって以前はあんなに優しくしてくれていたのだ。
 きっと性格が変わってしまうくらい、何か思い悩んでいるのだと、思っていた。


 次第に私が増やした稼ぎまで毟り取られるようになって、どうしようもなくなって。
 そんな折だった。

 数少ない休日を使って買い物に行っていた時だ。
 偶然店の前を通りかかった私を果物売りの少女が捕まえ、声を潜めて聞かされた言葉。


 ―――ねえ、貴女でしょ、婚約者ヅラしてる人。早く別れてくれませんか。昨日の夜の責任を取って、あの人、私と結婚するって言ったんですよ。

 ―――他の人にも言ってるみたいだけど、私は本気です。


 言葉が出なかった。
 ショックだった。
 それと同時に、理解した。

 ………あの男の道楽に、私の思うような理由などない。

 怒りは、不思議と湧いてこなかった。
 少女をどうにかしようとも思わなかった。

 あるのはあの男へのやり場のない感情と、窒息しそうなほどの苦しさだった。

 もう彼への抵抗はやめた。
 一切口を挟まなくなった。
 だから暴力は受けなくなった。

 代わりに夜毎出掛ける回数を数えるようになった。
 希望を日に日に絶望へ塗りかえるようになった。
 もう、婚約者だとも思わなくなった。

 町の人々から積極的に噂を取り入れるようになった。
 随分沢山の、黒い噂を聞く事になった。
 それでも心のどこかが醜くなっていくだけで、何もしようと思わなかった。

 愛していた。
 だから絶望した。


 ある日、生活していけないほど金を抜き取られて、私は事実のままに「生活が出来ない」と述べた。
 抵抗するでもなく、もう夜中出掛けるなと言うでもなく。
 ――けれど、彼は「最近は無くなったと思ったのになぁ」と気怠そうに言った後、今までで一番酷く私を痛めつけた。


 その瞬間、私は壊れたのだろう。
 頭の中でどろりと何かが溶けきった気がした。


 抜き取った金をポケットに突っ込んでそのまま仕事へ行ってしまった彼を、床に這いつくばりながらじっと見た。
 ――愛しているから。彼のこんな姿をもう二度と見たくなくなった。

 私は異様に冴えた頭で荷運びである彼の仕事場付近へ人目を忍びながら向かった、彼が一人になるまで待って他に誰も居ないか確認してから適当に重そうな荷を持ち上げ振りかぶった、もう二度と会いたくないという思いを込めて力いっぱい彼の頭を殴った、彼は倒れた、もう一生かかっても今日ほど力は出ないだろうというくらい力を振り絞って森の中を引きずって歩いた、近くを流れる川へ彼を放り入れた、彼はジャボンと音を立てて川へ沈んだ、

 もう会う事などないだろうと、川を流れてゆく彼を見ながらほっとした。


 ふらふらと森を出て、もうそこからはどういう道を辿って帰ったのか覚えていない。
 帰りついた私は夜まで、ぐっすりと寝入ってしまった。

 まさかそいつが、帰ってくるとは思わずに。


 驚愕と絶望がばれないようにするのに、必死だった。
 何せ、彼には私がやった事が知れていないようだったから。

 けれど思わぬ情報が一緒についてきた。
 ――妖怪。

 凶暴かどうかも分からないのなら、……凶暴だという事にしてしまおうと思った。
 今度こそ、――どんなふうに殺してしまっても、大丈夫。

 天は、不幸な私に少しだけ味方をしたのだ。

 妖怪など、いつかは退治されるもの。


 ならば―――私が最大限に活用してあげる。
 ただ、それだけの事。



 ***



「あー、今日、雨だねー」

 朝。
 ドアを開けてキカは残念そうに言った。
 部屋の中が薄暗かったから大体の予想はついていたのだけれど。
 ぽつぽつと、入口に立っているキカの青いスカートの裾にいくつかの雨粒が染み込む。

「んー。…何かリクエストがあったらまた町から食べ物を買ってこようかと思ったんだけど。まぁ、雨でも構わないや、食べたいものある?」
「えー?たべものー!?」
 一瞬キカのぎょろりとした目が輝いて、けれどすぐに首を振る。

「…ううん、スマイルが雨でぬれちゃうから、いい」
「そんな事気にしないのー。どうせ今日食べるには外に何か取りに行かなきゃならないんだし」
「んー、でもー。…今日はやだ、ここにいて」

 雨を見ると、思い出すのは家を作り始めた初日。
 母と一緒に作りかけの屋根で雨宿りをした。
 …懐かしい記憶。隣に誰か居た記憶。

 それから、今朝からのスマイルの服装も気になっていた。
 ――なぜか、この家にやってきたあの日と同じようにコートを着込んで口布をつけている。
 『服で隠れている』のだ。
 まるで……知らない者同士だったあの時みたいに。

 今日町へ行くつもりでその準備をしていたのかもしれないけれど、キカは何だか違うような気がしていた。

「ねぇスマイル。…何で、そんなにいっぱい服、着てるの?」
「ああ…うん」
「ねぇ」
「…んん。何となく」
「……、約束はー?」
 あまり言いたがらないスマイルに、約束を振りかざす。
 そう、昨日約束した。
 だから本当の事を聞かせてくれるはず。

 僅かな、焦り。……もしかしたら今日出て行くつもりだったのではないかという勝手な想像に胸騒ぎがして。
 ――そう思った所で、そういえばスマイルがここから出て行くのは自然な事だったのだと思い出す。
 何せ本人が言っていたのだから。
 それでも、こんないきなりは、嫌だった。

 じっと見つめると、スマイルは軽く両手を上げて『降参』のポーズをとる。

「…参ったよ。キカ、僕は昨日『もしかしたら人が来たのかもしれない』って言ったよね」
「うんー」
「もし僕の姿を見られたら…ちょっと困った事になるから。用心してこれ以上見られないようにしようかなと思ってる」
「なんで困るのー?」
「うーん。僕は妖怪だからねぇ。見つかったら、どうなるか分からない」
「……」

 キカは、口を半開きにしたまま体を硬直させた。

 ―――見つかったら。
 キカ自身、初めて町で見つかった時には恐ろしい目に遭った。
 引きずり出された、沢山怒鳴られた、怖い目で見られた。

 ……今度は、どうなる?
 今度は『スマイルが見つかる』のだとしたら。

「…スマイルが、怖い事されるの?」
「怖い事って、」
「やだ。せっかくスマイルがおにーちゃんになってくれたのに、あたし、スマイルが怖い事されるの、やだ!!町の人、怖いんだよ?いっぱい、いっぱい…逃げなきゃいけない。そんなの…やだよう!!」
「――…キカ」

 キカの表情ががらりと変わったのが分かった。
 必死に訴えかける彼女に、過去何があったのかは…知らないけれど。
 それでも怯えている様子なのはありありと分かった。

「やだ、やだ、怖いのやだ、スマイルが怖い事されるのもっとやだ!!」
「キカ。少し落ち着いて」
「うー!!」
「キカ」
 動揺が収まらない様子のキカに、スマイルはしゃがみこんでぽんと頭に手をのせた。

 きょろ、と、その瞳がこちらを向く。

「大丈夫、こうして姿を見られないようにしてるから。…次に誰かが来ても、誤魔化すよ」
「…ほんとに?」
「ん。約束してるから、本当の事しか言わないよ」

 ヒヒヒ、とスマイルが笑う。
 だからキカは、無意識の緊張を解いて同じように笑う。

「…ヒヒヒ。そっか、大丈夫だよね。だってスマイルは凄いもん」
「んー?何がー?」
「えーっとね。お魚とれるし、布も買ってきちゃうし、うたをつくれるし、―――あたしと、約束できる!」
「…ヒッヒヒ」

 してやられた。何となくそう思う。
 確かに、彼女と『約束』を出来るのは――今、一人だけ。

 静かに笑った後、スマイルは開いたドアの向こうにある曇天をそっと見上げた。
 それまでずっと晴れていたせいか、今日の雨は容赦ない。

「……そうだね。僕は、約束出来る」

 立ち上がってドアをゆっくり閉める。
 部屋の中で二人、雨に閉じ込められたようだった。

「うん!だから大丈夫!!」
「そうだねぇ」

 薄暗い部屋の中で二人、ヒヒヒと不気味に笑い合う。
 それが実に妖怪らしい気がして、何だか余計に笑えた。

 笑いの延長で歌い始めて、丸太のテーブルに寄りかかりながら座る。
 キカはスマイルにぴったりと寄り添うようにして隣へ座った。

 くるくるくーる、ぱらりんとん。
 …糸と、弦楽器の事を、そのまま合わせた適当な歌が、適当に歌われる。
 そこに二人の約束が重なってゆく。

 その歌が一周した所で、ふと途切れる。


「…あ」
「え、なぁにースマイルー、どうしたのー」
「そういえば朝ご飯を取りに行かなきゃならなかったねぇ」
「あ、そうだったー」
「ヒヒヒ、うっかりー」

 よいせ、とスマイルが立ち上がると、キカもひょこんと立ち上がった。

「…でも、この雨だと釣りは難しそうだねぇ。木の実を取るにしても視界が悪いし…」
「んー、木の実ならあたし、出来るよ?」
「危ないよー?」
「えー、ひとりの時はやってたのにー」

 …それは確かに。
 そうは思うが、この雨の中キカに木登りをさせる気にならない。

「…まぁ、最終手段にしよっかな。やっぱり手っ取り早く買ってきた方が良くない?」
「それって、あたしもついてっていーい?」
「………うーん」
「手を繋いでたら、いいのかなぁ」
「やっぱ行くのやめた。危なくない所で何か適当に探すよ」
「えー?なんでー?」

 急に意見が変わったのに頭がついてゆかず、キカは目を白黒させる。…元々ぎょろぎょろしているから、慣れていなければ分からないけれど。
 スマイルはキカを見下ろして、肩を竦めた。

「一緒に居たいんでしょ?」
 言外に『町へは一緒に行けない』と言われた事に僅かに気付いたものの、キカはそんな事などよりスマイルが一緒に居てくれる事の方が嬉しかったのでどうでもよかった。

「うん、いっしょ!!」
「ヒヒヒ。…んじゃあまぁ、足元に気をつけながら出かけよっか」
「あい!」
 元気よく片手を上げて、いざ出発………と、その前に。

「あ…ちょっと待って、スマイルー」
「んー?」
「これ、着て行ったら、濡れちゃうー」
 少し不格好な空色のワンピースを見下ろして、キカは(多分)困ったような顔をする。
 汚れなんかは気にせず地面に寝転がったりするわりに、ずぶ濡れになる事は気になるらしい。

「替えの服あるじゃん。僕が畳んでそこに置いたけど。…帰ってから着替えたらいいんじゃない?」
「んー!でももう少し着てたいー!」
「ふーん。んじゃあ、外に出てる間だけ着替えたらいいんじゃなーい?」
「そっかー!!」
 こくこくと頷いて服を探し始めたから、スマイルが「あっち」と部屋の隅を指さす。
 そこは丁度、糸が積んである場所の隣。
 キカが青いワンピースを着た後、部屋の中に放り出してあったのを畳んだものだ。

 キカはぱたぱたとそこへ駆けて行って、白いワンピースを一枚広げる。
 そして今着ている青いワンピースへ手を掛けようとして。

「…あれ。今家の中だけど、着替えていーんだよねー?」
「……あー。じゃあ僕後ろ向いてるから」
「なんでうしろー?」
「キカがレディだからだよ」
「えー。妖怪だから、そういうの無いんだけどー…、何で家の中ならスマイルが後ろ向くのー?」
「いいから。ほら今の内、早くー」
 くるりとスマイルが背を向けて、「よーいどん」なんて言われたから、キカは競争の様にあわあわと慌てながら着替え始める。

 青いワンピースを脱いで、それから白いワンピースに体を通す。
 着なれた、母の手作りワンピース。
 そしてそのままスマイルの方へ走りだそうとして…そういえばこの白いワンピースは綺麗に四角く畳まれていたなと思って、四苦八苦しながら脱ぎ捨てた青いワンピースを畳んでみる。
 …中々、うまくいかない。

「キカー、まだー?」
「うーんっ、わかんなぁいー」
「えー?分かんないって何?」

 ぐっちゃぐちゃにしてしまいながら、上手く畳める方法を探す。
 元々四角い布なら、(わりと)畳みやすいのだけれど。

 …などと格闘していたら、ふと影が落ちてきてひょいと青いワンピースをつまみ上げられた。
 そうして眺めている間もなくてきぱきとスマイルの手によって小奇麗に畳まれてしまった。

「あれー、スマイル、後ろ向いてなーい」
「着替えた後ならいいのー」
「ふーん」

 よく着替え終わったのが分かったなぁ、といつの間にかそこにいたスマイルに感心しながら、畳まれた空色ワンピースに手の平をぽんと置く。

「さーて、じゃあ行く?」
「あーい!!」
 置いていた手をすぐさまぴんっと上げて、入口の方へばたばた駆けだした。

「どこからいくー?」
「うーん。そうだねぇ」
 スマイルはせめてもの雨避けとしてキカにフード付きのコートを着せようとボタンを外しかけ…そういえばこれを脱いでしまったら自分の姿が見えてしまうと気付いて仕方なく留め直す。
 自分が町の人間に見つかったら見つかったで、きっと彼女は先程のようにパニックになってしまうから。
 透明化してもいいけれど、それではキカが見えないからどっちにしろ困る。

「スマイルー?」
「…ん。ごめんごめん。近場から行こうか」
「わかったー」
 考える暇もなく今度はスマイルを待たずに外へ出てしまったから、スマイルも少し急いで外へ出た。


 しとしと降る雨の中を、危ないからと手を繋いで歩く。



 ***



 ざわめきの中、3つの棺が町の中を通る。
 雨が降っているにも関わらず、参列者は随分と多かった。


「ああ…どうしてこんな事に…」
「惨いねえ……」

 家族や知り合いだけならば、こんなに多くはない。
 けれど、妖怪に殺されたという話はあまりに衝撃的すぎて、様々な人の心を揺さぶったのだ。


 町の者達が青い妖怪の存在を知らされたのは、昨日の晩だった。
 そして偵察隊である3名が惨殺されていた事を知ったのは、そのすぐ後。殆ど時間を置いていない。

 戻ってきた第二の偵察隊の話によれば、遺体はどれも正視に堪えないほど無残な姿だったそうだ。
 原型こそとどめているものの、ありとあらゆる箇所をめった切り。
 …とても人間の所業とは思えない、惨たらしいやり口。
 3名を発見した彼らは、妖怪の仕業だろうと迷わず断じた。
 ――それほどまでに、酷かったのだ。

 妖怪を偵察した3名が、森の中で惨殺された。
 その話は町中へ波及した。

 本当ならばこの話も『第二の偵察隊』と称される彼らと、報告を受けた町長までで止まっているはずだった。
 混乱を避けるため一時的に情報を止めておくべきだと町長によって口止めが成されたからだ。
 けれどそれをどこからか聞きつけた誰か――正確には召集がかかる前に早すぎの集合をしていた町の有力者の一人だったのだが、彼はこのまま町長に任せていては埒が明かないと踏んだらしい。

 それで、町全体へ触れ回った結果。

 町は恐怖のどん底へ陥り、いつ襲ってくるかも知れない妖怪に戦慄した。
 と同時に、今すぐにでも妖怪を討伐するべきだと狂ったように騒ぎたてた。

 今までの出来事も直前まで隠していたと町長は非難の的にされ、そして町の人々が興奮するにつれてそれはエスカレートしていった。
 町の長に値しない、とまで言われた。
 …今では、むざむざ3人も殺させた張本人として、会議室だったあの部屋に監禁されている。


 町民達が暴走しだしたのは昨晩、事実を知って間もなく。
 もう日も暮れていたというのに武装した十数名が森の中に踏み込んだりもした。
 それは妖怪討伐と、遺体回収の為。
 第二の偵察隊は、遺体を発見はしたものの、場のあまりの凄惨さにすぐ逃げ帰ってきてしまったから。

 ……けれど、意気込んで森へ入った十数名は、討伐に向かうと言っていた者まで時間を置かず全員戻ってきた。

 森の浅い位置――誰もが通らざるを得ない場所に伏していた3人の遺体の、あまりに惨すぎる姿。
 ある者は怯え、ある者は絶望し、ある者はもっとまともな武器を集めてからの方がいいと判断し。
 そうしてやっとの事で遺体を連れ帰るのみに終わった。

 連れ帰ってきた遺体を見て、町の者達も森から出戻った面々を責める事なく状況を把握した。良くも悪くも。

 だから文字通り一晩かけて、森へ攻め込む準備をしてきたのだ。
 そうしている間にも妖怪が町までやってくるのではないかと、怯えながら。
 一晩中、森の近くへ見張りを立てて。


 明け方、戦う為の準備を終えて、ようやく少しだけ落ち着いた頃。
 ――昨晩命を落とした3名の葬儀が執り行われた。


 誰も彼もが気の立っている時だからこそ、今からの戦いを勝って終わらせるという誓いを込めて参列する者も多かった。
 今回のような事はもう起こさせない。…そんな、思いをのせて棺は進む。

 その長い長い行列の先。
 棺を抱え歩く者と隣り合わせて歩く人物の中に……蜂蜜色の髪の、若い女が居た。


 彼女は口をハンカチで押さえながら歩く。
 どうしても抑えきれない感情を、そのハンカチで抑えるように。

 ―――口紅がついてしまっても構わないとばかりに、殊更ぎゅうと口を押さえた。
 …彼女の口角が、どうしようもなく上がっているという事に、……誰も気付けない。

 何しろ彼女は、今町の中で誰もが同情する、悲劇のヒロインなのだから。


 亡くなった猟師の、その妻が、彼女の肩をそっと抱いた。






 葬儀が終わったのか、窓の外の町民達が散ってゆき、思い思いの武器を取ってゆくその様子を見ていた。
 部屋に閉じ込められた町長は、彼らの瞳に宿る色に深い深い溜息をつく。

 ――何もかも、手遅れとなってしまった。

 町民の信頼は失い、最早誰も聞く耳を持たない。
 このままでは危険だというのに。
 ……あの3人だけではない、町全体を危険に晒してしまっている現状に町長は目を覆った。


 妖怪の力が危険ならばそれに合わせた策を練るべきで、無暗に挑んだ所で死人が増えるだけ。
 初めの偵察隊の中で、あの若者は普通の男としても、猟師も鍛冶屋の男も身体能力としてはずば抜けていたはずなのだ。
 それが容易く切り裂かれたとなると――何の考えも無く束になってかかったところで危険は避けられない。
 ――今の彼らは策もなければ纏まってすらいない、ただ妖怪のもとへ押し寄せる烏合の衆、なのだから。

 けれど、窓を開け放ち叫んだ所で話を聞く者はないだろう。
 ドアの外に居る見張りも黙っていはいまい。
 現在の殺気立った状況では何か一つでも彼らの意に反する事があれば殺されてしまいかねなかった。


 町長は誰にも信頼されず押し込められ。
 権力者達も我を見失って突撃を待つだけ。
 町の住人達は妖怪を倒す事だけを考えて。

 集団としてはてんでばらばらで、町としての形を崩しつつあった。

 それは、町の緩やかな死を見届けるようだ、と町長は思う。



 降っていた雨が徐々に弱まって、光が差す。
 まるでこれから行う妖怪討伐を歓迎しているかのように見えて、……酷く胸が苦しくなった。



 森の付近に、人々が集まる。

 昼より数時間前、妖怪討伐が始まる。






 ―もう少し続く―






**後書き**

なんか10話くらいの予定だったのが若干伸びそう(早くも察知したらしい)

今回は血表現こそないけど暴力多少。
何で私が書くと鬱表現多いんだろう。いや、元々鬱小説だけども!!(

来る所まで来たなぁという感じです。だいぶ終盤。今思えば予定よりキャラの濃くなった人物が数名。
・猟師…無個性でいくつもりだった。最終的に理知的優男になった。
・鍛冶屋の男…彼も無個性のつもりで。最終的に『根は優しくてぶっきらぼう』になった。
・町長…出番ほぼ無いはずだった。最終的に策士になった。(でも策通りに行かない)

愛着って確かに湧くものですが。……どうしてこうなった。

ちなみに書きたい場面に向けて着実に動いてるって事で四苦八苦しながら書いてたら大筋の設定忘れてミスったりなんかして、添削してたら数日かかりました。
でもやってみればほとんど直しが要らなかった上になぜか添削に関係無い所でシーン追加二つくらいあって謎の増量キャンペーン。
…もっと文章力と記憶力と語彙力が欲しいです。切実に。

……ってここ書いてる間にこの話関連のファイル整理してたら【没シーン】のファイルがもう3つになってた!!やだ、多い!?
え、衛生兵!!早急に私の文章力を補修せよー!!