「おや、旅芸人さん。あんた旅立ったんじゃなかったのかい」
市場の一角にある店の女主人からそんな事を問われ、『謎の楽師』は少し考えた。
「所用がありまして」
「へぇ。…ああ、そういえば居なくなる前にあんた、『妖怪』の事を詳しく尋ねてたそうじゃないか。まさか、そいつの所に行ってたりなんかしないでしょうね?」
「はて、興味はありますが、私の仕事はあくまで皆様へ音を届ける事でして」
そんな風に質問をぼやかしつつ、楽師は女主人から紙袋を受け取り、代金を支払う。
時折、自分に関する話を背後の通りに聞きながら。
用も終わったとばかりに踵を返そうとしたが――ふと思い立って楽師…スマイルは、女主人に問い返す。
「その『妖怪』というのは、そんなに恐ろしいものなのでしょうか」
「何言ってんだい、妖怪なんてもんはみーんな凶暴なものなのさ。隣町の猟師なんて、馬鹿でっかいのに雄叫び上げられながら追い回されて、生きた心地がしなかったって話だよ。町外れのあいつだって、いつこの町に人を襲いに来るか分かったもんじゃない」
「……左様ですか」
今度こそ踵を返し、軽く礼を言って去ろうとする。
その去り際に、女主人は言葉で背を追った。
「妖怪に興味なんて持っても、良い事ないよ!」
ひらりと、片手を上げて応じる。
紙袋からはみ出た布が、空と同じ色をしていた。
● −┼―――−- last promise _03 -−―――┼− ●
朝起きたら、毛布の中でひとりぼっちだった。
キカはぱちぱちとまばたきをするような動作をして、突出した目が蠢いただけだった。
もしかして、今までの事が全て夢だったのかもしれない。
少し長かっただけの、ただの夢。
寂しかったから、と理由をつければそんな夢を見てしまうのも道理なのではないかと思った。
寂しい。
そう、さみしい。
(おかーさんが死んで、どのくらいたったかなぁ)
考えを巡らせかけて、やっぱいいやと中断する。
笑っていた方が、得。
それならこれは、考えない方がいい。
全部全部、何でもない事。
今までの事が夢ならそれでもいい、と思いながら上半身を起こす。
でも家の中を見回せば、隅の方に見覚えのある弦楽器があって。
「…ゆめ、じゃないやー」
スマイルは確かにここに居たし、そしてここに戻ってくるのだろう。
だってあの楽器は大切なものなのだろうし、それを置いていっているのだから。
立ち上がると、毛布がずり落ちた。
毛布は隣にあった一人分の隙間へと落ちて、しかしそれを気にすることなくもう一度きょろきょろと見回す。
他に何か、彼が居た痕跡がないかと。
―――すると、丸太のテーブルの上に、何やら紙切れが置かれているのに気付いた。
キカはそれを拾い上げ、黒く走った線を見る。
「……なんだろー、これ」
そこに書いてあったのは確かに文字だったのだけれど、文字を読めないキカには意味不明だった。
今まで文字を目にした事はあっても、読み方を教えられた事は無いので、『読むものだ』と理解できた所でキカにはそれが綺麗な模様にしか見えなかった。
キカは紙切れを置いて、家の外に出た。
木の葉の隙間から朝日が差し込んで、キラキラ綺麗だった。
大きく伸びをして、それからぐるりと森の中を見渡す。
スマイルの姿は見えなかった。
そして、居るような音もない。
「んー」
どこに行ったのだろう、と想像するも、そんなものは分からず。
まぁ戻ってくるのならいいやと思考を切り替えた。
朝食用の木の実を集めてこなければ。
スマイルが戻ってくるかもしれないから、多めに。
自分一人の時より多く用意しなければならない事が、誰かが居る証明のような気がして、キカはにーっと笑んだ。
心の端が、むず痒い。
「今日は、何をとってこようかなぁ」
食べられる木の実のある場所は、大体頭に入っている。
キカはギザギザの歯をむき出しにして笑みながら、駆け出した。
***
スマイルがキカの家に戻って扉を開けると、そこには誰も居なかった。
首を傾げながら、どこへ行ったのか考える。
すると。
「あ、スマイルー!」
背後から元気な声がかかって、スマイルはドアを開いた姿勢のまま振り向いた。
「キカ」
「でかけてたのー?」
「うん、そーだよー?ただいまー」
キカの間延びした言葉づかいをそっくりそのまま返せば、キカは口を半開きにして見詰めてきた。
「そっかー、おかえりなさいって、言えるんだー」
ぽろりと零すようにそんな事を言うから、スマイルは一瞬苦笑して、それからにーっと笑う。昨日もやってみせた、キカの真似。何となく好きな、笑み方。
「じゃあまた約束。ただいまと、おかえりは、絶対に言う事」
「はーい!」
危ない所へ行く時は手をつなぐ、に続いて二つ目の約束だった。
キカは木の実の沢山詰まった籠を抱えたまま、片手を元気よく上げた。
余程沢山詰めてきたのか、そのせいで取り落としそうになったが、寸での所で抱え直す。
「キカ、沢山とってきたんだねぇ」
「うんー。スマイルが食べると思ってー」
「ああ、やっぱり読めなかったんだね」
「?」
スマイルは出掛ける前に、どこへ行くのかという事と、どのくらいで帰るという事と、それからついでに食べ物も買ってくるという旨をメモに残していた。
ただし、キカがそれを読めるかどうかは分からなかったから、敢えて自分の相棒である弦楽器を残してきたのである。
これなら少なくとも帰ってくる事は何となく分かるだろうと。
「実は、お土産があるんだー。じゃんっ」
片腕に抱えていた紙袋とは別に、大きな紙袋を持ち上げる。
そこからはみ出しているのは、長いパン。
それを見たキカは元々零れ落ちそうだった目を更に見開いて、身を乗り出した。
「え、えー!!それって、パン!?」
「中にはもっとあるよ」
「ええー!!!ほんと!?」
わーい、と籠を持ちながらくるくる回りだす。
「木の実を合わせれば、朝と昼の二食分はありそうだね」
「うんー!今日は食べるものいっぱいねー!」
「後で晩ご飯用に魚も釣ろう」
「やったー」
くるくるくる。
更に回りだすものだから、スマイルは思わず笑みを零した。
**
「そんでね!そこのリスが頭にぴょんぴょんって乗ってきたの!すぐに木に乗ってどっか行っちゃったけどー」
「へぇー」
家の中でパンやソーセージ、たまごサンドやチーズなどなどに加えて沢山の木の実を次々食べながら、二人は色んな事を話した。
主にキカが自分一人で話しているようだったが、スマイルは興味深そうに相槌を打つ。
そして不意に、キカは想像より早く食べ物が消えているのに気付いて首を傾げた。
「スマイル、おなか減ってた?」
「ああ、うん。食べなくてもちょっとやそっとじゃ死にやしないけど、元々沢山食べる方なんだよね」
「そうなんだー」
感心しながら、残りのパンに手を伸ばそうとして…何となく止まる。
「これ、まだ食べる?」
「んー?遠慮なんかしちゃ駄目だよ。食べたいものは、早い者勝ち!キカは伸び盛りなんだから」
「いいの?」
「いいの。ほら食べちゃえ食べちゃえ」
「はーいっ」
伸び盛り、が何なのか分からなかったけれど、とりあえず食べてもいいのだろうとパンを手に取る。
こんな食事はいつぶりだろうか。
ここに来る前だから、キカにはとっても前。
森の中の物だけでは味わえない多彩な味に、キカはワクワクしながら食べ物を口に運んでいた。
そして森の味が恋しくなれば、木の実をぱくつく。
「んー…!もう食べられない、でも食べたいなぁ」
「気持ちは分かるけど、体調崩したらいけないし、ちょっと休めば?」
「んんん」
「大丈夫、食べ物は逃げないし、流石に僕も全部は食べられない」
「分かったー」
少し残念そうに頷いて、キカは食べるのをやめた。
「こんなにお腹いっぱいになったのって、ひさしぶりよー」
「そっか。なら、よかった」
「うん、しあわせー」
容貌のせいで猟奇的に見える笑みが、徐々に普通に見えてきた。
慣れてきたなぁ、とスマイルは思いつつ赤い木の実を口の中に放り込む。
甘酸っぱい。
一段落ついた、といった様子で両手を後ろについたキカに、スマイルはそろそろいいかなと後ろに置いておいた未開封の紙袋を引っ張り出す。
「キカ、実はお土産はもう一個あるんだよ」
「え?なにー?もう食べられなーい」
「ううん、食べ物じゃないんだよね」
言いながら、少し重たい紙袋をキカの方へずずいと差し出した。
キカはそれを受け取って、床に置いた。
その端からはみ出る空色を、凝視するように固まる。
それから我に返ったように急いでガサガサと紙袋を開封し……今度は「きゃー!!」と叫び声を上げた。
中に入っていたのは、色とりどりの布たち。
「布!!」
「うん」
「これ、あたしに!?」
「そうそう」
「え、え、…縫っていいの!?」
「うん。じゃんじゃん縫っちゃってよ」
「えー!!!」
がばり、と立ち上がる。
一番上に乗っていた青い布を胸に抱きしめて、何とも言えない表情を浮かべて。
「スマイル」
「ん、何?」
「あたし……」
布を持ったまま、スマイルのすぐ近くまでとたとたとやってくる。
「あたし、すっごーく嬉しい!!!」
がばり。
布ごとぎゅうぎゅうに抱きついてきて、スマイルはバランスを崩しそうになった。
かじっていたサンドイッチからレタスが落ちそうになって、慌ててもしゃもしゃと口の中に押し込む。
口の中がいっぱいだから何も言えなかったけれど、そもそもこういう事にどう対応していいのかスマイルにはよく分からなかった。
だから初めてキカを抱きしめたあの時のように、ぎこちなく撫でるだけ。
けれどキカにとってはそれも嬉しい事で、殊更ぎゅうっと抱きつく。
骨の浮き出るような細腕だったからさほど力はない。それでも、精一杯。
「これで、布も糸もいっぱいになったよ!」
「ん、そうだね」
「いっぱい縫えるー!」
「練習も沢山出来るね。――そうだ、」
スマイルはやんわりとキカの腕を解いて、正面から向き合う。
「僕はもっともっと楽器の練習をして、色んな人に聞いて貰えるようになるよ。だから約束。キカも練習して、誰からも認められるくらい上手くなっちゃえ」
「誰からもって、だれにー?」
「ぜーんぶの人」
「そんなこと、出来るかなぁ」
「僕は出来ると思ってるよ。だってほら、僕は妖怪だけど沢山の人達に歌や曲を聞いて貰って旅をしてきたんだ。キミがやって出来ない事は無いよ」
「…そっかー」
「そうだよー」
頷き合って、笑う。
「えへへへ」
「ふふ」
そうしている内に何か思いついたようで、キカは「あー」と声を上げた。
スマイルは「何?」と目の前の少女に尋ねた。
「あのね、あたし、思うんだけど。妖怪なのに『ふふふ』って、笑い方おかしくないー?」
「ん?何でさ」
「妖怪って、ブキミなんだってー!じゃあもっとブキミな笑い方がいいよね!」
「ええ?じゃあキカだって普通の笑い方じゃない?」
「んんー!!」
キカは腕を組んで数秒間考えた後、ばっと顔を上げて提案した。
その表情たるや、パンを見つけた時くらいに輝いて。
「ヒヒヒって、どうかな!!ブキミ!!」
「えー?ヒヒヒって、笑うの?」
「そー!だってあたし達、妖怪だもんねー!!」
そう言って、彼女は「ヒヒヒヒヒ!」と笑い始めた。
その様子がおかしくて、しばらく眺めていたスマイルも、やがてにーっと口角を上げて笑いだす。
「ヒヒヒヒ!」
「ヒーヒヒヒ!」
悪戯仲間を見つけたような風だった。
おかしなことをするのなら、一緒の方が楽しい。
おかしな笑いが家の中に満ちて、キカがはしゃぎだす。
そんな楽しい雰囲気をスマイルの楽器がさらに盛り上げる。
「イッヒッヒ!」
「ヒヒヒッ」
スマイルがでたらめな曲を弾いて、そのまわりをキカがでたらめに踊る。
そんな、朝の事。
***
「くるくるくーる、ぱらりんとん」
「くるくるくーる、ぱらりんとん!」
「手をつなげーば、どこにでもー」
「てをつなげーばーどこにでもーっ」
朝のでたらめな曲に歌を乗せて、二人して歌いながら、森の中を歩く。
そのでたらめな歌には、二人の約束が詰まっていた。
スマイルとキカが交わした、他愛ない約束達。
「くるくるくーる、ぱらりんとん」
「くるくるくーる、ぱらりんとん!」
「ただいまにはー、おかえりなさーい」
「ただいまにーはーおっかえりー」
川へ行く道のり。
道、といってもほぼ獣道なのだけれど。
時刻は昼過ぎ。
馬鹿騒ぎをして転げ回っていたら、いつのまにか時間が過ぎていて、笑いながら昼食を食べた後。
今日も天気がいい。
「くるくるくーる、ぱらりんとん」
「くるくるくーる、ぱらりんとん!」
「細い糸を使ってさー」
「ほそーいいとをーつかってーさー」
「誰より上手くなるのさー」
「なるのさー」
「きっといつか、出来るはずー」
「できるーはずーっ」
空っぽの籠をぶんぶんと振り回しながらキカは歩く。
その隣を、水汲み用の深い容器を持ってスマイルが歩く。
手を繋いで。
何度か歌をループして、やがて川についた。
「さーてキカ、今日は川に落ちちゃ駄目だよ?」
「はーい!手をつないでからのぞくー!」
「んー。…まぁ、いっか」
ヒヒヒ、と二人して笑い合う。
スマイルが周囲を見回すと、昨日置き忘れた釣竿がそこにあった。
何とか、形を崩さずにそのまま川岸に。
それをひょいと持ち上げ、点検する。
餌さえ付ければ大丈夫そうだった。
「ちょっと餌探してくるから、キカはここで待っててよ」
「えー?ミミズだったらあたしも手伝うー」
「ん、じゃあこの近くを探してー」
「あい!」
石の裏や、葉っぱの下。
柔らかな土の中。
二人で探せばすぐに見つかった。
川岸に掘っておいた穴の中に集めて、手を洗う。
手を繋ぎながらは出来ないから、スマイルが先に洗ってキカの両手に水を掛けた。
それから、スマイルが釣りを始める。
キカはその隣に座った。
「何が釣れるかなぁー」
「ヒヒヒ。何が釣れるだろうねぇー」
釣り針を垂らして、川の流れを眺める。
キラキラ、木漏れ日を反射して川面が光った。
「キカはさ、」
「んー?」
「…町に戻りたいって、思わないの?」
「んー…」
考えているのかいないのか、返事はどこか上の空。
「もどれないよ、あたし妖怪だもーん」
「……」
「おかーさんも、いないしー」
その口調は、残念そうでも悲しそうでもなかった。
ただ、ありのままの事実を話しているような。
「じゃあ、『おかーさん』が居たら、戻りたい?」
「んー……」
今度の思考は、長かった。
答えを待つともなしに待って、別に返ってこなくてもいいかと思い始めたその時。
「わかんないや」
「……そっか」
頷いて、直後に釣り糸がぴくんと動いた。
様子を窺いながら釣り上げて、一匹目の魚。
「でもね、あたしさびしくなんて、ないの。妖怪だから、つよーいの!」
「…ん」
寂しいかどうかなんて、聞いていないのだけれど。
必死に主張するキカの言葉を聞いていたら、言えなかった。
細くて、小さい体で、強がる少女。
「ここにいて、いつでも笑えて、隠れなくてもよくて、たのしーの!」
「うん」
「妖怪だから。大丈夫。あたし何でもできる。大丈夫、大丈夫。…えへ、へへへへ」
「…キカ」
もう一度釣り針を垂らして、キカの方へ紅の瞳を向ける。
「違うでしょ」
「え」
「ヒヒヒ、でしょ」
「……」
キカは、ぽかん、と呆気にとられたような顔をして。
それから。
「…ヒヒヒヒ!ヒーヒヒヒ!」
ようやっと彼女らしく、にーっと口角を上げて笑い始めた。
それを見たスマイルも、ほっとして同じようににーっと笑う。
スマイルが釣りを続けて、暇なキカは二人で作った歌を鼻歌で歌って、過ごした。
――そうして、何匹か魚が釣れた頃。
川岸を行ったり来たりしながら色んな所を眺めていたキカは、何か見慣れないものが視界を掠めた気がしてそちらを見る。
瞬間、弾かれたようにスマイルのもとへ駆け戻り、今見たものを必死に訴える。
「スマイル、スマイル!!」
「ん、なぁにー」
「えと…えっと、」
「どうしたの?」
「……あっち、」
「人間が、流れてきたの」
黒い上着。
茶の髪。
ずぶ濡れになって川を流れてきたのは、……人間の男だった。
スマイルは釣竿を置いて立ち上がる。
―――微かに、嫌な予感が、した。
―続きます―
**後書き**
ちびっとずつスマイルがスマイルらしくなってきました。
個人的にスマは痩せの大食いだといいななんて思ってます!(ぇ
一体あの質量どこにいくんだろー、っという感じ。
それはいいとして、多分今回がこのお話の中で一番幸せな部分です。