じゃぼん。
 魚を川から釣り上げる。
 木の枝で出来た釣竿の先でぴちぴちと暴れるそれを、籠の中に下ろした。

「わぁ、お魚!!」
 木の枝を曲げて作った針を魚の口から外すその様子を、キカはきらきらした目で見ていた。
 スマイルはふっと笑いながら、再び針の先端に餌のミミズを付けて川に放り入れる。

「キカは、お魚好き?」
「うん。前は、おかーさんがとってくれてたの。こういう道具じゃなかったんだけどねー?」
「そっか」
 からからに乾いた木の実を浮きにして、それが安定した頃にキカの方を見る。
 籠を覗き込んで、つむじがこっちを向いていた。

 それが不意にひょいと顔を上げて、落ちくぼんだ右瞼に魚からの反撃(水滴)をつけながら笑みを浮かべた。
 実に猟奇的な笑顔、のように見える。

「スマイルは、お魚とるのうまいねぇ」
「まぁ、人間界の通貨すら持たず着の身着のまま来るくらいだから。でもキカだって相当なもんだよ?」
「えー?あたし、お魚とれないよ?」
「いや、魚釣りでなくても木の実の見つけ方とか、それを取りに行ける運動神経とか」
「うんどーしんけー」
「体を動かすの、得意なんだねって」
「うん!でも最近ちょっとおなか減る事多くって、なんか力が出ないんだー」

 さもありなん、とスマイルは木の実の浮きを眺めた。
 魚すらとれないのなら動物を仕留める事も出来ないのだろう。

「じゃあさ。…今日は沢山食べよっか」
「はーい!」
 細い右手を元気よく上げて、キカが返事をした。

 彼女の身体は、骨が目立つくらいに細い。
 まともな食事を摂るのはどれくらいぶりなのだろうと、勝手に推測する。

 妖怪なら、実は食糧が少ないどころか絶食した所で人間ほどすぐに死ぬわけでもない。
 勿論空腹感はあるのだけれど。

 ちらり、とキカを見遣る。
 籠の中の魚に飽きたのか、川の流れを覗き込んでいる。

 ――彼女が妖怪なら、別にこんなにやせ細った所で(まだ)問題は無いのだろうけど。

「……キカ。聞いてもいいかい?キミの『おかーさん』って、」


 ばしゃぁぁん


 言いかけた所で水しぶきが上がる。
 そして隣に居た少女が消えた。

 スマイルはあまりに唐突な事に一瞬唖然として、それからすぐに釣竿を放り出し川の中に両腕を突っ込んだ。
 長い黒髪がワカメのように川面を漂う。
 幸いにもさほど深いわけではなかったから、腕を捕まえて引き上げる事も簡単だった。

 片腕を掴んでひっぱって、そこから両脇に手を差し込んでひょいと持ち上げる。
 川にぴちゃんぴちゃんと雨が降った。
 そうそうこんな妖怪も居たよねなんて、スマイルの思考は一瞬どこかに飛びかけた。

「―――びっくり、したぁー」

 長髪の割れ目からぎょろぎょろと目を動かして、キカが言う。
 びっくりしたのはこっちだ、と言いたい。(色んな意味で)

 そっと地面に下ろすと、あっという間に水たまりができた。
 ――そうして、今まで動転して気付かなかったけれど。

 スマイルは濡れてしまった両手をじっと見る。


 ――…今になって両手に違和感を感じる程、キカの体重は。


「スマイルー、びちゃびちゃになっちゃったー」
「…ああ、うん」
 両手から視線を外して、ぽんぽん、と頭をなでる。
 きゃー、と嬉しそうな声が上がった。

「キカ、あんまり危ない所覗き込んじゃ駄目」
「危ないかなぁ?」
「うん、危ない。水が多ければ流されるよ」
「でもお魚、泳いでるかなーって」
「……」

 ぼたぼた。
 水を垂らしながら、少女は顔を俯かせる。

 だからスマイルは、困ったような顔を隠して笑んだ。
 ――キカのように、にーっと。

「じゃあさ。…手を繋いでなら、どこにだって行っていいよ」

 俯き顔が、口をぽかんとあけて浮上する。
 それから、満面の花が咲いた。

 ……食虫植物、かもしれないけれど。






 −┼―――−- last promise _02 -−―――┼− 








 滞在から二日目。
 見る限り木の実しか食べていないキカに、「他のものを獲れないのか」と問いかけたらあっさりと頷かれたから、魚を釣ってみようと川に連れて行った。
 結局釣れた魚は1匹で、それでも川に落ちたキカの身体が冷えるといけないから戻る事にした。

 川からキカの家までは、そんなに遠くない。
 森の中に水たまりを作りながら歩く。

 手を繋いで。

「早速繋いじゃうんだね、手」
「えー?繋いでくれるんでしょー?」
「うん、…間違ってはないね」

 キカにとって森は危ないのかどうか分からないけれど、危険でなくは、ない。

「手繋いでたら、どこにだって行っていいんでしょー?」
「そうだねー?」

 同じような抑揚でのんびり話す。
 気付けばキカに繋いだ手をぶんぶんと振り回されながら、家まで戻ってきていた。

 …こんな風にされながら、悪い気はしない。


「着替えってあるのー?」
「あるよー。そこに引っかけておいたやつ!」
 言いながら、キカは家の入口付近にある低い枝から、引っかかっていた白い布を引っ張った。

 今着ているのと同じ、簡素な服。

 それを突き出されたから、スマイルは何の疑問もなく受け取る。
 そうすると、キカは躊躇いなく水浸しの服をまくり上げようとした……ので、スマイルは小首をかしげながら、一応ストップをかけた。

「キカ、レディならせめて家の中で着替えようか」
「レディ?レディってなにさー」
「女の子ってこと」
「えー??――あたしは妖怪だから、そんなの無いって町の人が言ってたよー」

 事もなげにそう言ってのけた彼女を、スマイルは無言でじっと見つめる。
 彼女はその様子に気付いたのか、張り付いた服を脱ごうと四苦八苦していた手を止めて、スマイルと視線を合わせた。


 スマイルとしては別に、目の前で着替えられようと困らないし、知った事でもない。
 けれど、何となくキカの言葉が引っかかって。

「無くないの。ほら行った行った」
「えー」
 服を手渡し家の中に追いやる。
 キカは少しむくれた(ような)表情をして、入っていった。

 ぱたりと、扉が閉まる。


「――まったく」
 扉の横…大きな樹木の下に、すとんと腰を下ろす。

 明け透けなのは嫌いではないけれど、あの子の場合は何か違う。
 良いも悪いもわからずさらけ出しているように思えて……どうも、危なっかしい。

 葉のざわめく音を聞きながら、スマイルは赤い両目を閉じた。


 妖怪であるスマイルすら一瞬反応の遅れるような容姿。
 喋りにくそうに出てくる言葉。
 どの人間とも一見して違う存在。

 それでも。

 キカは妖怪のようには―――



「できたよ」
 突然扉がばんっと開いて、着替えを済ませたらしいキカが出てきた。

 けれど、髪に染み込んだ水が服についてじわりと湿ってしまっていた。
 長いから余計に。

「ちゃんと髪、拭かないと駄目だよ?」
「んー。乾くからいいよー」
「だーめ。拭くものある?」
「…んー」
 元着ていた服を家の外で絞って低い枝にかけながら、キカは首を傾げる。

「あったけど使ってなかったから、縫っちゃった」
「……?縫った?」
「おさいほうー!」
 場違いな単語にスマイルは何と返したらいいのか分からない。
 この大自然の中で、まさか裁縫と言われる事があろうとは。
 しかも使わないから縫うとは、どういう行動原理なのやら。
 そんな事を考えていると。

「見る?」

 キカが頬をゆがませて笑むから、スマイルも思考を中断する。
 微細な表情は読み取りづらい。
 けれどこれは多分…期待の籠った目。

「見よっかな」
「わーい!じゃあこっちきてー!」
 案の定、諸手を上げてはしゃぎながらキカが家の扉を開けて、おいでおいでをする。
 スマイルは誘われるまま入っていった。
 髪の事については、一旦忘れる他ないらしい。



 キカの家は実にシンプルな造りで、少し大きい部屋が一部屋。
 中央に丸太で出来たテーブル一つ。
 部屋の隅に、何やら物が積まれている。多分、その辺りが物置なのだろう。

 その中から、キカがごそごそと引っ張り出してきたのは。

「じゃーん!」
 四角形の布に、ヒヨコが歩いたようなたどたどしい縫い目。
 良く見ればまだ縫い針がついていて、途中のようだ。

「…旗?」
「えー!袋だもん!………完成したら」
 自分でもお粗末なものだと思っているらしく、声のトーンが沈み込む。

「キカって、裁縫好きなの?」
「んー、うん。まだ上手くないけどさー」
「…そういえば釣りに使った糸、言ったらキカがどっからか持ってきたけど。そっから出したの?」
「そーだよー?糸ならいっぱいあるから」
 ちらりと視線がキカの背後に向く。
 物の陰に隠れるようにして、市場で売られているような糸が沢山あった。

「それ、どうしたの?町に行ったの?」
「んー」
 キカはぐりんとちょっと怖いくらい首を傾げて、何か考えた。
 先程から質問が多いから、整理したかったのかもしれない。

 数秒置いて、キカは答えを出す。

「行ったよ。糸ちょーだいって。それで、『糸ならやるから帰れ』って、いっぱい貰って帰ったー」
「……」

 多分、度々町に下りてきていると言っていた町人の『度々』の内のどれかなのだろう。
 聞く限り、本人が思うよりは親身なものなどではない。

「針は、おかーさんが使ってたのをあたしが使ってるんだけどね!」
「『おかーさん』も、裁縫好きだったの?」
「うん。おかーさんが裁縫好きだったから、あたしもやりたかったの。危ないからってずっと触らせてくれなかったけど、死ぬ前に『あげる』って言ってくれたー」
「…そうなんだ」
「でも糸も布もあんまりなくて、かいものに行かなきゃいけなかったの。それで、糸は貰えてー…布は駄目だったから、使わない布縫っちゃった!」
 へへへ、とギザギザの歯を見せながら笑う。

 だから髪を拭く布が無かったのか、とスマイルは納得する。
 使わないといっても用途はあるのに、それでも縫ってしまう辺り裁縫が本当に好きらしい。

「まぁ練習すれば上手くなるよ。糸違いだけど、僕も随分練習したからね」
「スマイルも、さいほー?」
「ううん。僕のはアレ」
 ぴっと指をさす。
 この部屋の隅に置かせて貰っていた、一つの弦楽器。

「丈夫そうな糸張ってあるでしょ。ほんとは弦っていうんだけど。使い方次第であんな風になったりするんだよ」
「あれって、なぁにー?」
「知らない?あれは、楽器。僕が大好きで、練習してきたものだよ」
「えー!!」
 聞くなりキカは表情を輝かせ、ぎょろりと突出した左目で弦楽器とスマイルを交互に見た。

「見る?」
 さっき聞いたような言い方で、キカに尋ねる。

「見よっかな!!」
 同じ答え方で、キカが答えた。

 だからスマイルは立てかけていた弦楽器の首をひょいと掴んで持ち上げ、その場に座った。
 キカが正面に座って食い入るように見つめてくる。
 何が始まるのだろう、という目。


 ――スマイルの指先が、弦をはじく。
 不思議な曲が、自然だらけの家の中に満たされた。

 『謎の楽師』として爪弾き、流れてきてそこそこの時間が経つ。
 その前から好きだったとはいえ、どこでも弾けるようになったのは人間界に来てからだった。

 演奏に合わせて歌う。
 自分の中身を流し込むようなこの時間が、とても大好きだった。


 ―――人間界。
 人間。
 面白いと聞いた。次に攻撃的だと聞いた。不思議な事に一貫性の無いその感想に興味が湧いて、実物を確かめに行った。

 確かに面白かった。
 攻撃的な者も居た。
 ただ、…優しい者も楽しい者も、理解不能な事をする者も居た。
 沢山沢山、色んな人達が。

 じゃあ、この町の者は。

 何ら変わりない『人間』という枠組みの中で、町の者が一丸となって少女と“母”を追い出した。
 この者たちを一体何と言えばいいのだろう。

 そして。


 ―――キカは。




 ポロン。
 最後の一音が終わって、家の中が静まり返る。

「―――……っ、…すっ、ごーい!!」
 それまで静かに聞いていたキカが、溜息をつくようにそう言った。

「すっごく、綺麗だった!」
「…ん、ご清聴ありがとうございました」
「ごせーちょー?」
「そーいう挨拶。いいでしょー?」
「わー!いいねいいね!それが楽器?スマイル、たっくさん練習したんだね!」
「楽しいからさ。キカもほら、練習したら裁縫の糸だって上手く使えるようになるよ」
「うん、練習する!」
 元気よく返事して、立ち上がる。

 けれどふと思い出したように「あ」と零し動きを止めた。

「練習もいいけど、そろそろ夜になっちゃう。ばんごはん、早く食べなきゃ暗くなるよー!」
「ああ、そんな時間か」

 火を起こして魚を焼かなければ。
 そう思って、スマイルも弦楽器を置き立ち上がった。




 ***




 キカのとってきた木の実と、それから魚を半分こ。
 …と言いつつもキカがあまりに美味しそうに食べるものだから、魚は殆どあげてしまった。
 物足りなさはあるものの、明日また何かとってきて食べればいいか、とスマイルは天井を見ながら伸びをする。

 部屋の中は、月明かりが差しこむ以外は真っ暗。
 昨日そうしたように、毛布の中にはスマイルが抱き込むようにしてキカが一緒に寝転がっている。
 キカが言うには、『おかーさん』ともこうして寝ていたのだそうだ。

「キカ。『おかーさん』は町によく行ってたの?」
「んー?」
「意外と、自然以外のものがあるから」
「んー。あんまり行ってなかったと思う。でも、おさいほうの物とか、この布団とかは、ここに来た次の日におかーさんが自分の家から持ってきたよ!」
「自分の家から?」
「うん!でも、もう無いんだって」
「………、何が?」
「さあ。持ってこれないって言ってた」

 得られなかった回答の中に不穏な何かを感じながら、スマイルは腕の中の彼女を見る。
 少女は普段通りの顔で―――といってもあまり表情が動かせないようだから、この薄暗がりの中では分かりにくいのだけれど。
 それでも彼女の持つ雰囲気はいたって普通だった。

 だから、余計に気になる。


「キカはさ……、」


 言いかけて、詰まる。
 ――この問いかけは、彼女に失礼なのではないかと思ったからだ。

 悲しいとは思わないのか、なんて。
 精一杯生きている彼女には。


「なにー?」
「…――、キカは今何歳なの?」
「えー?…何歳だろー?」

 苦し紛れの問いかけは、予想外にキカを困らせた。
 首を捻って考えだす。
 実際、外見では年齢を判断し難かったから、気にならないでもなかった。

「思い出せない?」
「うーんー。えっとね、…わかんない!」
「そっか」
「あ、でもねでもね?この家に来るちょっと前に、8歳の誕生日お祝いしたの!」
「―――……」

 回答を得て、思わず一瞬で色んな事を考え――スマイルは硬直する。
 年齢を聞いて何かを確認しようと思っては、いなかった。けれど、そこから得られた情報に、無意識に推測が枝葉を伸ばした。
 この言葉をすんなり流せる程、スマイルはキカの事を何も考えないわけではなかった。


 ここに追い出されたのが数年前。
 だったら、実年齢として今は10と少し。
 最初に会った時推測した年齢とほぼ同じ。
 けれどそれは、人間界を練り歩いていたせいで反射的に思ったもの。

 妖怪としては、この成長速度は―――


「スマイル?」
「……ああ、うん。そっか、おめでとう」
「えー?何がおめでとうなの?スマイルったら変なの!!」
 けらけら、と笑われる。
 それすら耳に入らなかった。


 ぎゅ、と腕に力を込めてキカを抱き寄せる。

「きゃー!なになに、ぎゅーなの!?」
「――キカ」

 ごわついた髪をぐしゃぐしゃ撫でまわす。
 ぽんぽんと励ますように頭に手を置いた事はあれど、子供を優しく撫でた事なんて無いから、加減なんて分からない。

 腕の中の少女は、楽しそうに笑った。


 思わないでもなかった。
 というより、会って凝視した時から、妖怪らしい確証なんて何も見つからなかった。
 それに、曲がりなりにも彼女の『おかーさん』は、彼女を“匿ってくることが出来た”のだから。

 最初から、分かっていた事。
 でも…それと同時に、考えるのをやめていた事。

 だって、それを肯定すれば。


 ―――この子は、尚の事。




「…キカ。キミの仲間は、少し残酷みたいだ」

 呟けば、キカは何でもないように「スマイルはざんこくじゃないよー?」と返ってきたから、スマイルは最早何も否定しなかった。


 夜は、まだまだ深い。






 ―続いてみる―






**後書き**

スマと幼女の奮闘記(幼女言うな)
スマって無邪気なものには振り回されるタイプだと思いました。

弦楽器についてですが、スマってベーシストに任命された事に対して『地味で目立たないから不服』って公式設定があるようで、ならば目立つような曲を以前は弾いてたんだろうなと思いまして。(まぁギャンZ売り込みの為に弾き語ってたくらいだから確かに目立ちますよね)
だからイメージとしては『ギターに近い弦楽器』で弾き語り。

あ、ちなみにこのサイトでは敢えて公式設定をスルーしている部分があるのですが。
『肌は、塗っていないと透明で見えないから青く塗っている』これが公式らしいです…が、種族柄の特徴として元々肌が青いって事にしとります。
っていうのもそれすら冗談の一環だったんじゃね?という解釈。
「青いのは塗ってるんだよー。こうしてないと見えないでしょ?」みたいに言ってて本当はそれが実際の肌だった、とか。
実際、視認できるように服とか包帯とか身につけてる割にはそれごと透明になれたりしますし。で、実体化も出来るんですよね。
塗ってるとか言うくせに他の色に塗ってるの見た事ないですし。
スマだし…どこまでが本当でどこまでが冗談なのか分からないのも彼らしいと思いまして…。(都合がいいですね!)
口だけ消せないのも実はわざとで、突っ込み待ち…なんて深読みしすぎですか。(とりあえず愛があるのは分かりました)

とまぁ、そんなわけでスマへの愛が(斜め45度に傾きながら)今日も注がれています。
ではまた次で。