全てが終わる前夜。
 皆に謝りたいと…と話をしたいと決意を固める俺に、六は手を伸ばし頭を撫でた。

「…お前という奴は」
 そっと、唇に苦笑が乗る。

「最後まで……」

 躊躇った様子はないけど、六はやんわりと言葉を切る。
 俺は何を言われるのかと、頭の上の手を気にしながら待った。

 やがて六はごく自然に再び口を開く。

「――最後まで、『元の世界へ帰りたい』とは言わなかったな」
「…あ」

 指摘されてはじめて、忘れていたということに気付く。
 そうだ、元々は帰るために相談をしに行く話だったのに。
 …いつの間にか、どうやって対話をしに行くかって考えてた。

「いや、まぁ…のことで頭いっぱいで、すっかり忘れてたっつーか…」
「重要なことだろう。それで、どうする?」
「……うーん」
「どうした。MZDに帰り道を作らせるほど帰りたかったんだろう」
「それは…凄く苦労かけたし申し訳ないんだけど」

 俺は、ずっと考えないようにしていたことを今ようやく正面から見詰める。
 これは多分そう、MZDから『元の世界へ帰れる』って聞いた時から感じていた違和感。

「帰りたかったのは本当だ。何せ右も左も分からない場所にいきなり放り出されたから、家に帰りたいと思うのは自然なことだし。帰るのが解答としては正解。…でもそういうの抜きにすると、実はあんまり帰りたくはないなと思ってさ」
「…いつでも帰ることができる旅行とはわけが違うんだぞ」
「それは解ってるよ。でもそうだなぁ……言ってしまうと結構前から帰宅のことは頭になかったかも」
「……どういうことだ」
「こんなこと考えちゃいけないんだろうなって、見て見ぬふりしてたんだけど。…今なら素直に受け入れられる。本当はのことで悩んでる内に、帰りたい気持ちが無くなってたんだよな。単に逃げなんだけどさ」

 自分の中で何となくそうだろうなと感じたのは、MZDから「元の世界に帰れる」と聞いた時くらいから。
 でも無意識になら、もっと前からなんだろう。
 こんな風に逃げてしまうのが駄目なことくらい分かってて、だからずっと心に蓋をしてきた。
 今なら、それをはっきりと見据えることができる。

「勿論今は逃げたいとかじゃないよ。正々堂々と話し合うつもりだし、その結果によっては俺が帰っても問題ないと思ってる。…ただ、それでもなぜか『絶対に帰りたい』って気が起きなくて」
「なぜそう無気力なんだ。そうやすやすと手放していいものじゃないはずだが」
「手放すって……いつかは帰れるみたいだし、その時になったら時間巻き戻して送り届けてくれるらしいから、何のデメリットもないんだけど」
「元の世界にとってはそうでも、お前自身はどれほどの間故郷と離れることになるか分からないんだぞ」
「………あ」

 その一言(一文字?)で六が呆れたように目を細める。
 んでそれと同時に、俺にとってさほど重要じゃないのが分かったみたいで、どうしたとも聞かれない。
 代わりに溜息一つ。聞こえるか聞こえないくらいの。

「…家族が居るんじゃないのか」
「あー…まぁ居るよ。両親」
「なら、会いたくはならないのか?」
「んえっと。…さほど。今すぐってわけじゃないなぁと」
「えらくあっさりした見解だな。その歳で既に独立でもしていたのか?」
「いや?俺高校生だしさすがに一緒に住んでたよ。親のすねもかじってたし」
「……なら」

 なぜ。
 と問われましても。

「俺にはお前が「一度諦めたなら今更手放すとしても同じだ」と議論の機会を放り投げてとやらを追い返そうとしているようにしか見えん。それならば必ず後悔する日が来る。何一つお前のためにはならん」
「え?いや、……あれ、概要としてはそうなのか?でも多分違うよ、うん違う。決して諦めて譲るとかそういうネガティブなのが決定打ってわけじゃない」

 長いこと持ってた鮭入りおにぎりを皿に一旦戻して考える。
 考えるっていうか、頭の中を整理する。
 何せ今まで自分ではっきりと考えたことのない領域だったから。
 その間六は俺の言葉を待っててくれた。

「……んーっと。まず追い返したいわけじゃないし、元の世界がどうでもいいわけでもない。第一、とは納得いくまで話すんだ。解決とまではいかなくても自分が逃避のためにこの世界に留まるような事態にするつもりはない。あと元の世界は、やっぱ俺の故郷だから大切だよ。帰れるなら帰る」
「…だが、今すぐ帰還する気は起きないと」
「うん。……そうなんだよな。じゃあ元の世界への未練になり得ることをつらつら言ってみると、一つ目はのことだったけど、これは明日話し合うからいいとして。二つ目は両親。三つ目に学校とか云々。最後に、見慣れた場所へ戻りたいっていう感じかな」

 ふむ、多分普通に考えてこんなもんかも。
 そして俺はそれを一つずつ分解して考えていく。

「両親かぁ。俺の親って実は凄くドライでさ、あんまり恋しくなるような感じじゃないんだよな」
「ドライなのはお前じゃないのか?独立もしていない学生が親から離れても何とも思わないというのも普通ではないと思うが」
「う。…まぁ俺自身薄情なんじゃないかと自問自答したりもしたよ。でもこればっかりは親のが移ったと思いたい。何せ共働きってことを差っ引いても随分薄味な関係だったんだ」
「…例えば?」
「んー。なぁ六、俺自分の事を話してる時に親の話題出したこと無いだろ。あってもほんの一言くらいだと思う。あれって話題を避けてたんじゃなくて、本当に関わってこなかったからなんだ。まぁそんくらい影が薄いっていうか、関係が希薄だった。放任主義で何してても口出し手出ししない、普段挨拶くらいでしか話もしない」
「ふむ」
「学校の行事にも参加しない、誕生日にも何もしない、っていうかそもそも親同士も仲いいのか悪いのか分からない、家庭内で家庭らしいことしたことがない、そういえば俺が男装始めようが一人称俺になろうが胸ぱっくり開かれようが何も言われた覚えがない。必要最低限っていうか、さっぱりしてるっていうか、関心ないっていうか」
「……おい」
「唯一記憶に残ってるのは火事が起きた時の事後処理と、あととその母親に話をしに行ったり葬式に一緒に出たくらいで」
「………」

 ぼそっと、それは親子の思い出とは言わん、とツッコミ受けました。
 うん知ってる。
 アニメとかゲームで吸収しまくった知識があるので、これが普通じゃないんだろうなとかはよく知ってる。知識源に感謝、ヲタ業マンセー。
 最初は自分の現実とかけ離れた表現に驚愕したもんだ。

 知っても羨ましいとは思わなかったけど。
 うちはうち。よそはよそ。
 寂しくないかと問われれば、最初からそうなので特にはっていう。
 ゲームの端役NPC以上の長さで会話した覚えがとんと無いのに寂しがれって方が無理だっつの。

「というわけであまりに無干渉で俺空気だったんで、俺も両親のことをどうこう思わない。なので帰りたい理由にならない」
「あまり良い環境じゃあなかったのか」
「え?いやそういうわけじゃないよ。きちんと育ててくれたし何も困ることはなかった。愛情がなければ育ててなんてくれてないよ。そこに恩もあるしいつかは親孝行すべきなんだろうなと思う。ただ、無味無臭なせいで恋しがれないだけで」
「…そういえば今日に限らず今までも帰りたいだの何だのは聞いたことがなかったな」
「そーだなぁ、ホームシックどころか家のことを思い出すことすら無かったよ」

 勿論両親が居るのは忘れてなかったし、帰らなきゃとは思ってたんだけど。
 恋しい、って気持ちとはちょっと違う。

 …ぶっちゃけ城でずっと一人放置されてても泣きださなかったのは元の生活がこんなだったせいだ。
 ずっとを追い求めてたのも、ひょっとしたら人間として繋がりらしい繋がりを持てた最初の人だったからかも。
 そういう意味ではこの世界で出会った皆も俺の中で特別。

「俺がこの世界に来る直前の時間まで巻き戻して帰宅できるなら、元々何も言わない両親が普段通り薄味に迎え入れてくれるだろうし、俺自身はこの通り問題ない。両親のことはこれで大丈夫。次」

 あ、その何か言いたそうな目は何だい。
 確かに普通に考えて薄情だけどこれがうちの事情ってもんで。
 ってわけで流しとく。

「学校とか普段の生活にまつわるものはー…俺友達居なかったしバイトもしてなかったからなぁ」
 自分で言ってて落ち込みそうになる。
 ていうかここまで非リア充だと逆に清々しい気もしてくるけどどうだろうか。

「あとはー、元の環境とか日常に戻りたいって根本的なもの。これについてはぶっちゃけ自宅でそんなに薄味なら自室のヲタグッズ……じゃなくて、うん、個人的な持ち物に対する執着以外は特に無いよ。寧ろ城に住み始めてから自宅より家庭っぽい雰囲気を味わえたりしてたし友達も出来た」
「そんなになのか」
「うん、そんなに」

 多分ユーリの城のが家庭らしいって所に反応したんだろうけど、驚くようなことだろうか。
 だってアッシュのオカンっぷりったらないんだぞ。普通のオカンよりオカンしてると思うんだけど。
 お母さんがアッシュで、お父さんがユーリで、俺が長男、スマが次男だ。…あれ、こんなこと前にも思った気がする。デジャヴ。


「――と、いうわけで。普通考え得る『帰宅したい』って望む理由を挙げてったわけですが。オールクリアな状態でして」
「…言っていて寂しくないのか」
「そこは言うなよ…」

 なんか本当に寂しい人みたいじゃんか。
 未練がないだけで他は普通だ。……ぼっちって普通だよな!?

「まぁ、それで。いつか帰れるなら今じゃなくていいし、そのくらいなら俺が帰りたいって主張して権利巡って争うよりもが帰った方が建設的な気がするんだ。帰りたいって言ってたみたいだし、何よりを置いて帰ったら皆が苦労する。あとも知り合いが居なくて困る」
「……色々気になる点はあるが、それでいいのか」
「ん。……ただ」

 この世界のこと、元の世界のこと。
 沢山考えて、一つだけ思う。

「まぁ、やっぱ長期間離れる身としては『行ってきます』のひとつくらいは言いたかったかもしんない。…そんだけ」
「……そうか」

 六は一度頷いて、それ以上は聞かない。
 俺は俺で心の中でようやく整理がついて一息ついた感じだったから、それ以上考えずに済んでとても楽だった。
 結論は出た。


「だから、俺はこの世界に残るよ」


 自分の言葉に、何より自分が納得する。
 これが今の俺の正直な意見。
 何の嘘も遠慮も入ってない。

「それがお前の答えか」
「うん」
 自信持って頷く。


 そして。


「あとさ。…これだけ色々して貰って申し訳ないんだけど、一つ頼みがあるんだ」
「何だ?」
「……もし、Deuilに許してもらえなくて、城に帰れなくなったら。…ここに来てもいいか?」

 何となく引き受けてくれるかなぁなんて思って言ってみた。
 何だかんだで居心地がいいのは確かだし、見たところ一人暮らしみたいだし。
 誰かの了承を得たり気を遣わせたり、なんてこともなさそうだ。
 尤も、六がいいと言えばの話だけど。
 バイトしてアパートでも借りるまでの間ってことで。
 次いつ帰れるか分からないんだから、ずっと頼ってるわけにもいかないしなぁ。

 …とか考えてると、六は一瞬黙って、それから何か言いたそうな顔でこっちを見てきた。

「……」
「え、…あ、駄目だったか?」
 一瞬焦って頼み事を取り下げようとした……ら、何故か溜息をつかれた。
 いやほんとどうしたんだ。そんなに嫌だったのか。軽くショック。

「……お前はもっと女だという自覚を持った方がいい」
「…え」

 ・・・・・・・ぱーどぅん?

「何、どういう意味だよ?」
「城で平気だったならここでも何ともないんだろうが…一応俺は『知っている』のだからな」

 そこまで言われて気付く。
 そっか。よく考えなくてもこれって男女が二人っきりで一つ屋根の下。
 いやこれ今もなんじゃ。

「で、でもさっき俺を匿ってくれるって言ったじゃん。それと何か違うか?」
「俺がお前を預かるのと、お前が身を寄せるのでは違うだろう」
「……う」

 そりゃ、うん、……非常事態で庇ってくれるのと同居しよっかって持ちかけるのとじゃ大分意味は違うような。どうだろう。
 …何だろう、これ。久しく感じたことのない……あ、女の子扱いか。

「………」
「………」

 ちょっと乱れてる着物の合わせを、何となく片手でそっと引っ張って合わせてみる。


「…取って食やしない」
 そう言って立ち上がった六は目を合わせてくれなかった。

「後で皿を取りに来る」

 おにぎりが二個半ほど乗ってる皿を置いて、退室された。
 残ったのはどことなく恥ずかしい空気だけ。

 ……何この雰囲気。
 何この雰囲気(大切なことなので二度ry


 一旦皿に置いてたかじりかけの鮭入りおにぎりを、高速で平らげた。





自鳴琴・34
結論
〜着地点〜





「MZDには申し訳ないよ。あんなに頑張って帰る方法を探し続けてくれてたのに。それに皆も、ごめん。帰るまで行くあてがないってことで置いてもらってたんだよな。でも、……それでも、私はを帰そうと思う」
 静かなリビングに私の声はよく響いた。
 唐突だったせいで、皆まだ状況を飲み込めてないみたいだ。

 しかしその中でいち早く硬直が解けた人物があった。

「何で。――何が問題なの?どうしてそんなこと言うの?ここに来てからずっと、帰るのが第一の目標だったはずなのに」
 必死に言い募ったのは、スマイルだった。
 若干怒ってるような気配もある。

 帰ってほしいと暗に言われてるようでチクリと胸が痛んだけど、不義理を働いたのは自分なんだから仕方がない。

「その子が関係あるっていうなら、そんなの間違ってる。権利は平等なんだから話し合って決めればいい。出来ないなら僕らが出来る環境を作る。だからキミも帰りたいって主張してよ」
「ごめんな。でも、もう決めたんだ。のことも、勿論あるよ。でも元の世界のこととか自分の気持ちとか色々考えて、こうするのが一番だと思ったんだ。それに私が帰れば残るのはだろ、今でもこんななのに、それは駄目だ。だから――」
「でも!!―――それじゃは救われない!!」

 不意を突かれて私の思考は一瞬止まった。
 救われないって……、じゃあ。

 そっか。私を帰したいのは、私を大切だと思ってくれてたからなんだ。
 こんな時なんだけど、少しだけそれが……嬉しかった。
 スマイルでもこんなに感情をむき出しにすることがあるんだなぁ。

「大丈夫だよ、スマイル。なにも無理に諦めたとかそんなんじゃないんだ。…なんか今になってよく考えたら、この世界も中々いいなって思えてきてさ。私としてはいつか帰れるなら今じゃなくてもいい。それくらい、気に入ったんだ。…で、そう思えるなら、私じゃなく今帰りたい奴を帰せばいいんじゃないかと思って」
「……――
 思案するような、探るような呼びかけ。
 ああ、六もこんな風に「いいのか」って目で私を心配してくれた。
 ……今までの苦労を水の泡にして、しかもこんなに心配かけて、ごめんなさい。

 その気持ちを伝えようと口を開いた、その時だった。


「冗談じゃないわ」


 全てを打ち消すように、震える声でが言う。

「それじゃ、アンタから故郷を奪ったって何の意味もないじゃない!!アンタが望んで残るなんて……そんな、」
「じゃあが残るのか?」
「……っ!!嫌に決まってるでしょう、こんな所!!」
「…うん、だから私が残る」
「―――っ…!!この偽善者が!!」

 悲鳴じみた罵倒に、私は表情を動かすこともなかった。

 するとは、押さえつけられてて動けないのが分かっているのに、今度は腕なんて折れてしまっても構わないとばかりに無理矢理暴れだした。
 流石に折る気はない六が一瞬面倒そうな顔をして、何とか受け流そうとする。
 けれど手加減のない暴れ方に苦戦してるみたいだ。…というかこれ以上力任せに押し込んだらそれこそ折ってしまう可能性があるのかもしれない。

「いいわよ、渡すもんですか。折角貰ったチャンスですもの、私が帰ってやる!!故郷を捨てても何も感じない冷血女の代わりにね!!――もう何言ったって撤回させてやらない!!!」

 ぎりぎりと音をたてる体にも何とも思わないのか、抵抗は激しさを増すばかり。
 これじゃあが―――、

「――致し方ない」
 見かねたようにユーリが短くそう言って、六の隣、の視線の真ん前へ跪く。
 背後から捕らえられていると、ユーリの赤い瞳が肩越しにかち合った。

「了承もなしに、というのは本来許されないし私も好まないが。…これ以上暴れられても困るからな、許せ」
 説得、というより一方的に語りかけるようにした後、ユーリは六と目配せをして(多分「押さえてて」とかそういう意味?)ずいっと身を乗り出す。

 そうしての髪を払いのけその首をうなじまで露わにし、軽く頭を押さえながら(あれ、そう見えるけどユーリの力だとどうなんだろ?)、白く柔らかな首筋へ―――何の臆面もなく 唇 を 寄 せ た 。

 っちょ、おい!!!
 ままままさかの18歳未満お断りシーンが降臨!!?え、いつの間にそんなフラグが!?


「――ユーリまさか、」
 アッシュが何かに気付いたように焦る。いや俺も焦ってるけど。
 その矢先にが「いっ、」と短く痛そうな悲鳴を上げた。

 俺はというと、目の前でいきなり繰り広げられた色っぽすぎるイベントに赤面するやら驚くやらで一瞬視界が「しばらくお待ち下さい」状態になってた。

 え、だって、首筋ちゅーって、しかもいきなり襲い掛かるっていうかこの体勢だとソファ使って押し倒してるように見えますがどうなんですか。
 美少女と美形ですよヤバいよ絵面的に、え、R-18なの大人向けなの、了承なしっていわゆるアレですか、ああそんなディープに牙なんて突き立てて……って、牙。


 牙。


 はっと我に返ってよく見てみれば、の首筋には細長い牙…らしきものが深々と食い込んでた。
 そしてユーリの喉が幾度か上下すると……それまで力の限り暴れていたが徐々に落ち着いて、っていうか力が入らないのか腕が止まり足が止まり最終的には頭ん中で必死に抵抗してたのかしばらく唸り声を上げてたけど、やがてとろんと眠そうな目をしたまま動かなくなった。
 ぽすんとソファに横っ面が沈む。

 それを確認してからユーリはを解放し、口を軽く拭った。
 若干ほっぺたに伸びる赤い液体。

 …今のって、……血、吸われたってこと?
 それってが貧血でぶっ倒れてるとかそういう?
 でも苦しそうには見えないんだけど。寧ろ眠そう。
 ていうかそういえばユーリって吸血鬼でしたね(凄く今更)

 抵抗が止むにつれて押さえつける力を弱めていた六は、がぼんやり半分目を閉じて動かなくなってからゆっくりと手を放す。
 突然起き上がって飛び掛かってくることも…ない。

「…まったく、いきなり血を吸うなんて乱暴すぎるっスよ」
「他に手もなかろう。どっちみち押さえつけたままでは帰せん。第一…結論が出たのだ。どちらが帰りどちらが残るのか、両者とも意見が合致した。ならばこれ以上は無意味……むぐ」
「ほんとに、ユーリはもう少し羞恥心というものをっスねぇ、」
 アッシュが説教かましながら袖でユーリのほっぺをごっしごっし拭く。
 あ、こら、血液染みは落ちないだろオイ。そんなとこで拭いたら後が大変だぞ。

本人にとってもとんでもないっスけど、見せつけられた方のことも考えてほしいっス、特には女の子なんスよ!」
「…む、…すまない」
「いやいいけど。びっくりした」
 ついでに鼻血出そうになったとは言えない。
 子供は見ちゃいけない花園…否、エデンがそこにはあったのである。まさかユーリさんのそんなシーンを見ることになるなんて思わなかったから心臓ががが。

「えと、ちなみに今のはどういう状態なんだ?…貧血?」
 紛らわしがてらに聞いてみたら、ユーリはなんてことないように「いや、」と首を振った。

「陶酔状態、と言えば分かるだろうか?吸血鬼にとって吸血とは捕食行為だ。それに伴ってどうやら相手を逃さぬよう力を抜き動けなくする効果があるらしい。本人には夢の中を漂うような感覚があると聞くが、特に害はないから安心しろ。数時間もすれば元に戻る」
「色々複雑だけど了解」
 納得いかなそうに「む?」と首傾げるユーリさんは本当に羞恥心がホームランされたんだと思いました、まる。

「とにかく、普段ならば了承を得てからでなければ失礼を通り越して非常識だが、今は仕方がなかろう」
「まぁうん、あのままだと大変なことになってたしな」
 ソファの上でうつ伏せになって脱力してるをチラ見して思う。…吸血鬼恐るべし。

 うつ伏せとはいえ今まで後ろ向いて睨んでたからの顔は埋もれず横向いてる。
 起きてるのか寝てるのか、陶酔ってことだから完全に寝てるわけじゃないんだな。

 ちょっと放置するには苦しそうだと思ったらしいアッシュが、を抱えてソファに座らせた。
 くにゃんくにゃんになってて落っこちかけたけど、周りの皆が手伝って何とか大丈夫。
 私は……手を差し出しかけて、ふと今に触れたら一瞬にしてシラフに戻るんじゃないかと思わず手を引っ込めた。
 …何か、情けない。でも長年の恐怖は、やっぱ完全には払拭できない。


「――さて、今は何時だ」
 六が部屋の中に時計を探しながら問う。
 私はすぐに見つけた…というか知ってたけど、何だか放心状態だった。
 ぼーっとして、自然と溜息が滑り出る。

 あれ、これ次はどうするんだろう。
 でも昼になったら全部終わる。
 …それでいいんだっけ?


「昼、が何時からを意図するのかは分からねぇっスけど、感覚的にはまだ少し先っスかね?」
「ふむ。ではMZDを待つのみか」
 ユーリがいつもの指定席に座ると、こっちもどっと疲れが出て体が重くなる。

 あー、なんかもう、何日分の疲れだろう。
 ほとんど寝てないしすっごく緊張したし怖かったし、もう限界かも。

 の真似じゃないけど、近くにあった椅子に腰を下ろして脱力する。


 …昼が来たら、終わる。
 は強制的に黙らせてしまったから、どうすればいいんだろう。

 ……いやいや。相当疲れてるらしい。
 仮にが起きるまで待って、もう一度話し合ったところで平行線のまま変わることはないんだ。
 それに「が帰る」ってことには本人含め誰も異論がない。

 ということは、もう話すことがない。
 …つまり、………終わりなんだ。もう、これで。
 を帰して、終わり。

 うん、大丈夫、やれることは全部終わった。

 長いこと続いた全部に、完璧にとは言えないけど区切りをつけた。
 気持ちをぶつけて、本音で返されて。…わりと殺意ばっかだったけど。
 結局の気持ちには決着がつけられないから(だって決着つくならイコール死だし)、無理矢理終わらせる形になっちゃったよ。
 でもこれ以上話しても恐らく何もない。
 が今日この時だけでも俺を殺す事より帰還を選んでくれた事は大変な進歩なんだろう。
 だから……これで終わり。

 正直、「故郷を奪って、それで許す」って発言に1ミリも期待しなかったかというと、やっぱ、ほんのちょっと。
 でもこの流れだとそれも無しなんだろうなぁ。
 許してくれたらそれが一番の終止符になるんだろうけど、聞けないまま終わってしまった。
 私が絶望しないから。
 が何の心置きもなく納得して帰ってくれるなら、ああ全部終わったなーって実感できただろうに。

 ……いや、それはそれで帰った後に何かありそうでやだなぁ。
 それなら今も理想の終わり方も同じのような気がしてきて、こりゃ駄目だ混乱してるなと自覚する。…落ち着け。

 にとっては何も終わってないのかもしれない。
 それでも、沢山の事に結論を出せた。万々歳じゃないか。

 強いて言うなら、は帰るって納得してたけど強制的にこんな状態にしちゃったし、このまま帰したらどう思うだろう。
 怒るかな、怒るだろうな。悪いようにはしないから許してくれないかな。
 ううーん………。


「頑張ったな」
 不意に言われて振り仰ぐ…前に、頭が優しく押し戻される。
 六が昨日みたいに頭を撫でてくれた。
 …なんか、褒めてくれてるみたいで嬉しい。

 そっか。もう皆はとっくに終わったことを分かってるんだな。
 自分だけ迷走してたんだ。
 当事者が一番分からないって、あるもんなあ。

 けど。


「本当にいいの?……帰らなくて」


 されるがままに撫でられて目を細めてたら、それまで黙ってたスマイルが真剣な声で尋ねてきた。
 それが最後通告のようで、疲れた頭なりに考える。

「――ん。スマイルはこれじゃ俺…じゃなかった、私が救われないって言ったけど。私はここで凄く幸せだったから、きっとこれからも幸せなんだ。救われないなんてことはない。………あ、皆が困るならここ出てどっかに住むけど」
「………」
 あれ、スマイルさん何かすご―――く複雑そうな顔してるけど。
 これもしかして既に困ってる?

「あのー、スマイル?」
「…ヒヒヒ、何でもない。が自分から残るって言い出すなんて思ってもみなかったから…少しビックリしてるだけ。僕はがそう言うなら歓迎しないわけないよ」
「え、でも俺…私、女だし。住んでると更に迷惑かけるんじゃ」
 よくよく考えると女だって分かってたらわざわざ住まわせないよね。許す許さない抜きにしても。
 はあんまり滞在する予定じゃなかったから見逃したんだろうけど、俺は次どのくらいで帰ることになるか分からないんだ。

 他の意見を求めて部屋の中をきょろきょろしてみる。
 城主さんとコック長は何て言うだろうか。


 ………すると、途中合っちゃならんところで目が合った。
 主に天井付近で。

「!!?」
 いつの間にかの座るソファの上辺りに浮遊しつつ片手上げて挨拶してきた―――MZD。

「よっ」
『!?』
 がばっと全員分の視線を独り占め。
 唐突すぎる来訪に驚かない奴なんて居ない。
 お前は忍者かっつの。いや、何もない所から文字通り湧いて出るんだから忍者よりタチ悪い。

「よ、じゃないっつの。いつからそこに……」
「ん?言ってもいいのか?」
「え、どゆこと」
「まぁ、この座標に出現する一歩手前でそっと見守ってた程度だけどな」
「え……」

 座標とか一歩手前とかよく分からないけど要するに?

「覗き見!?どのくらい前から!!?」
「おい人聞きが悪ぃな。ワープ先の事情まで考えてねーんだよ」
「見てたことは否定しないんかい!!」

 ユーリの子供立入禁止なワンシーンはいざしらず(コラ)、
 時間によってはとの修羅場を見てた可能性が。
 いやあれは見せたくない上に不快な思いまでさせるしうわぁうわぁ。

 ていうか殺す殺されるなんて会話酷すぎて聞かれたくないよマジで。
 冷や汗出てきた。

「どのくらいっていうと、まぁ、とりあえず決着ついたってのと俺が必要になったのが分かる程度に」
「!?」

 決 着 とな。
 その単語からやな予感がしまくる。
 そして今言った流れを把握できるってことはわりと前から居たんじゃなかろうか、うわこれ駄目なパターンじゃないか!!
 そもそも俺の女装…じゃなかった女の子らしい姿見て何のリアクションも無い時点でアウト!?

「心配しなくても何も突っ込まねぇし干渉しねぇよ。とりあえずお前が残るのは分かってるってだけで。それより、いい加減全部元の調子に戻して話せば?」
「だ、だってあんな人間どころか人外でもやらないだろう修羅場を垂れ流しちゃったからには動揺なんて隠せないわけでして元に戻すなんて………は?元に?って何を?」
 頭の中こんがらがって色々混じったぞ!?
 いや今の俺に戻る何かなんてあったっけ?元の世界になら戻らないけど?

「だから『私』ってやつ。どうせ他の口調はいつも通りだし、そのわりに一人称だけずっと言いづらそうだしよ。もう全部終わらせたなら自由にしたっていいだろ。それとももう戻すつもりはねぇのか?」
 MZDの前で『私』って言った覚えないんだけど、っていうツッコミは不可ですか。さいですか。
 一体どっから見てたんでしょうね。

「元に戻すも何も、元から女だからそれは普通のことなんだけど…」
「今更戻してもなー、ってんなら違うと思うぞ」
「……うう」

 まぁさっきから頭ぼんやりしてて時々「俺」に戻っちゃってるけどね。
 油断したら口に出るってことは、言いやすいのは明らかなんだけど。

 何にしろ男装してた頃に戻すってことは、皆を騙してた頃に戻すっていうことで。
 ばつが悪くて迷う。
 別に騙すために一人称変えたわけじゃないけど…、でもなぁ。

 とか思ってたら、

「女の子らしくしててもいいんだけど、僕としては今まで通りでもいいと思うなぁ」
 スマイルがこちらの思考を読んできたかのごとく軽く挙手してそんなこと言うもんだから、ちょっと驚いた。

「そっスね、その方がらしいっス」
「そうだな」
 次いでアッシュやユーリからもゴーサインが出る。
 え、ちょ、わりとあっさりプッシュされたけどいいのか。

「だそうだが」
 MZDがグラサン越しでも分かるくらいじっとこっちの様子を窺ってくる。
 いやうん、分かってる分かってる。これってMZDなりの気遣いなんだろって。
 んでもこれってそんな簡単なことじゃないような。

「皆の気持ちは嬉しいんだけど、自分自身どうすればいいやら……も今そこに居るし。特別な意味を込めて男装してたから、慣れてるとはいえそんな簡単に戻していいのかどうか…」
 ここまで決心して女の姿で女らしく「私」って言ってきたのに、事が済んだら戻すとかそれでいいんだろうか。
 半分寝てるみたいなもんでも、が見てるし。

「……うーん」
「居はするが、今の彼女にとっての現実は夢と同義だ。それでも気にするのなら、お前に任せる」
 ちらちらとの方を見てたらユーリが軽く説明してくれた。
 ってことは、今何しようとあやふやで終われますと。

 でもなぁ。


「そうだなぁ…。でもやっぱ、自分が納得出来ないから、やめとく。せめてが帰るまでは『私』で通しとくよ」
「…そうか」
「まぁ帰った後は自由にさせてもらうけどな」

 そう、遠足は帰るまでが遠足だからね。
 別れるまで、私は私でいる。
 さてそうと決まれば疲れててもボロが出ないように気を引き締めないとな。

 で、纏まった所でMZDが天井付近から少し降りてきてにっと笑った。

「まぁお前自身が決めたことなら誰も文句は言わねぇよ。というわけで、それならとっととゲート開いて送り返すとしますかね」
「え?」

 ゲート、って。

「それって帰り道のことか?…もう開ける状態なのか?」
 そういやここにMZDが来る理由は本来『道』を開くことなんじゃないか。
 でも『道』が開く時って体調不良が悪化するとかじゃなかったっけ。
 今そんなでもないんだけど。いやほんのちょっとはだるかったり熱っぽかったりはするんだけどな。

「んー、時間的にはちょいと早いんだが、もう皆スタンバイオッケーみたいだし。実は既にやってやれなくもないとこまで完成してっから、早々に開いちまおうかと」
「それってこじ開けるってことじゃ?無理してないか?」
「いや?開店準備が整ったから営業時間より早く店を開くかって感じ」
「妙に庶民的な比喩で分かりやすいな」
「そりゃどーいたしまして」
 の座るソファの上らへんを浮遊しながら、MZDは仰々しく肩をすくめる。

「ふむ。状況としては話し合いも済んで全員が納得済み。…特に送り出しても支障はないな」
「そっスねー…本人が起きてない以外だと強いて言うなら昼までまだ時間があるくらいで。…あるんスよね?」
「あぁ、大体正午を予定してたからな」

 じゃああと2時間もあるや。
 本当に早期開店だ。

「俺はとっとと送り返した方が良いと思うが。…万が一目を覚ましてまた暴れられたらかなわん」
「普通の人間だから早々ないだろうが、個人差があるからな。もう一度と気軽にすることでもなし。私も賛成だ」
「こらこら、こーいうのは本人……に聞くのは無理だし、に聞いた方がいいんじゃないのー?」
「それもそうっスね。仮にも知り合いのことなんスから」

 そんなこんなで集まる視線。
 急に大勢で見られるとびっくりするって知ってるか皆。

「あー、まぁ、……そうだな」
 思わずたじろいでしまったけど、結論はもう出てるわけで。
 あと気になることといえば。

「…というかMZDが全部知ってること前提で恐ろしいほど違和感なく進んでるけど、が帰って私が残るってことで大丈夫だよな?」
「おう、そこんとこはバッチリだ」
「バッチリなのかよ…」
、気にしちゃ負けだよー?このチート神は見てるったら見てるんだし知ってるったら知ってるんだから、驚く方が損なのさー」
「まぁ言ってみればいつものことなんス」
「……そうなんだ」

 そういや最初に来た時のMZDの扱いは酷かったけどそれ以前に何があっても「さもありなん」的な対応で皆終始落ち着き払ってた。
 MZDがいる時点で何でもありってことなんだな、今更学習。

「んで、そんな俺様へ他に何か質問があるのか?」
「あ、えーっと。……本人ぼんやりしてるけど、いいのか?」
 もう気にすまいと普通の質問をする。

 この状態で送り出すことに問題あったりとかしないだろうか。
 儀式(?)に本人の意識が必要、とか。
 の上らへんにぽっかり浮かぶMZDを見上げて質問する。
 そしたら何か考えるような間があってから返答があった。

「…こいつがこの世界に来る直前に居たのがどうやら自宅みたいだから問題ないだろ」
「へぇ。そういえば最初から私服だったな」

 というわけで大丈夫らしい。
 あとはー…、本人も納得済み(かなり頭に血がのぼってたけど)、荷物らしい荷物は落ちてきた時なかったから多分大丈夫、お別れを言うような人は………この凄まじく荒れてたには無いとは思うけど……、

「一応聞くけど、この世界でに別れを言いたがるような人は」
 全員に問いかけるようにして視線を巡らせると、戸惑ったように皆顔を見合わせる。
 その中から声が上がった。…と言っていいのか、首かしげながら意見が出る。

「いや………、…いや、あれは違うっスから、城外には居ないかと」
「てことで居ないみたい」
「???…そっか」
 なんか引っかかるけどこの際置いとく。

 で、ひとしきり考えて。…が考えらんないから、その分な。

「…ん、気になることはもうないし、多分大丈夫。送ってやってくれ」
「ほいよ」

 本人がYESもNOも言えない状況で勝手に送り出す事になるけど、まぁそこはそれ。不都合がないか一生懸命考えた後なんだから我慢してもらうしかない。
 この世界に未練もないみたいだったから出来る芸当だ。

 MZDは今まで浮遊してた場所からほんの少しずれる。――の座る一人掛けのソファからちょっとだけ後ろへ。
 そして何もない空間を指さし、なぞるようについっと動かした瞬間、指先へ白い光が灯った。


「じゃあ、始めるからな」



 真剣な眼差しが私を――私達を見下ろした。





〜To be continued〜




<アトガキ。>

長すぎてどこで切っていいのか分かりませんでした(ぇ
次の半分くらいまでは下書き状態で存在するので、骨組みだけはいい感じ。

さて。………どっからツッコんでいいんですかこれは。
とりあえず六ともフラグ立ちかけてたってことで宜しいでしょうkげふんげふん。
じゃなくって。…ラスボス戦終了ってとこですかね?

ついにここまで来ましたねぇ。
辿り着きたかった所だけに、何だか感慨深くもあります。まだ最終話じゃないですけども。
裏話として、
ずーっと前に書いた構成(例によって物凄くざっくりとしか書いてませんが)を見るに、ラスト付近は話し合いというより夢主さんが友人さんをゲートに突き飛ばして(帰る権利を強引に譲って)終わり、というTRUE ENDなのかBAD ENDなのか今読み返すと謎すぎる仕様だったので、がっつり盛り込んで限りなくTRUEな感じへ寄せてみました。
ええ、独断と偏見で、ですが。…GOOD ENDに寄せるわけじゃないのは仕様。
長く年月重ねてから見てみるとやっぱ粗が見えてくる時もありますよね。ていうか高校の時の私の脳ミソがワンダフルだった。

そういえば少し前の後書きに「あと5〜6話で終わる予定」とか書いたのですが、その6話目が今回だったりします。
…有言不実行(笑
やはり延びましたか。今の感じで行くと次の次くらいで終わる気がします…が、それもどうなるやら!

ではまた次回で!

2015.3.11