逃げた。
ひたすら逃げた。
横腹が痛い。ぜえぜえ息をしてるせいで喉の奥も痛い。
鞄を持っている手が汗で滑った。
どのくらい走ったのかも、もう分からない。
頭の中はぐっちゃぐちゃ。
何を考えたらいいのかも、その考え方すら忘れてただ走った。
……唯一、すれ違いざまに見たリュータの傷ついたような目が心の奥を引っかいて、掻き傷を作っているのは分かった。
「……っ」
それに後ろ髪を引かれて、徐々に走る速度が落ちてゆく。
――あんなに。
あんなに、優しくしてくれたのに。
居場所を作ってくれた。何も事情を言えない自分に一つも嫌な顔をせずに、受け入れてくれた。
それなのに、……自分のした事は。
心の重さに引きずられるようにして、足が完全に止まった。
…ぽつり。
空から冷たい雫が降ってきたのは、そんな時だった。
ざぁざぁと音を立てて、急に雨が降り出した。
元々曇ってはいたけど、降りだしたら止まらなくなったみたいだ。
長距離走った後だから、俺は肺も喉も痛む程呼吸を繰り返した。
…まぁ、もう既にあちこち痛いけど。
これだけ深い息をするには、雨が少し邪魔だった。
だから俯いて、手を膝について呼吸を整えようとする。
持ってきてた鞄も邪魔で、どさりと放り出して。
でも思ったより体は疲れてて、ちょっとやそっとの休憩じゃおさまりそうにない。
そりゃそうだよなぁ、これだけの距離を走ったのなんていつぶりだろう。
城でランニングもしてたとはいえ、こんな走り方なんてしなかったし。
時々速度を緩めたりしながらだったけど、体感的にマラソン大会ぐらいなんじゃないかって程。
雨にけぶる景色の中、俺は周囲を見回した。
細い道路のど真ん中。
家々が並ぶその通りには、特徴的なものなんてない。
ついでに雨宿りの出来そうな場所も無い。
呼吸を整える合間に咳が出る。
咳き込んでちょっとだけ涙が出た。
それも雨に溶け混じって、涙なのか雨なのか。
…ああ、もう。
全部捨てて逃げてきた自分には、こんな状況が一番似合いなのかもしれなかった。
助けてくれたスマイルも、あんなに居心地の良かった城も、……一緒に居てくれたリュータも裏切って。
こんなのいけないって分かってるのに、恐怖には勝てなかった。
の冷たい目。
恨みの籠った言葉。
…突き飛ばされた感触が、まだ背中に残っている気がした。
体ががたがたと震える。
これは雨に打たれて冷えたのか、…怖いのか。
急に何かに追われるような感覚が甦ってきて、素早く辺りへ視線を巡らせる。
誰も居ないとは思うけど……、雨で視界が悪い。
顔にべったりと張りついた髪をかき分けて、もう一度目を凝らす。
…一所に居るのは、まずいような気がした。
まだ完璧にはおさまっていない呼吸のまま、一回深呼吸をしてから鞄を持ち上げる。
そうして何かに追われるように、小走りに駆けだした。
すぐに横腹の痛みが復活。
日頃の運動不足が分かる。
そして、駆け出して間もなくふと思う。
…俺は、今からどこに行けばいいんだろう。
あてもなく走っていたせいで気付かなかったけど。
…俺の居場所なんて、もうどこにも。
そう思った途端、足に重りがついたように動かなくなって、駆け出したばかりなのに再び止まった。
嫌な感情は溢れだしたら止まらない。
そうだ、そういえば最初からこの世界のどこにも居場所なんて無い。
自分の家だって無いし、あの3人だって頼まれて引き受けただけ。実際、ばれたら大変な事になるし。
俺が居たってデメリットしかない、仮の住まい。
帰る場所なんて、最初からどこにもない。
じゃあ、元の世界に戻らないと。
戻ればきっと……、
あれ、でも。
…元の世界に、自分の求めていた『居場所』は。
一番切望していた何かは。
もう、…とっくに。
ない。
ぎり、と奥歯が噛み合って脳にまで音が響く。
ずっと蓋をしていた『気付いてはいけなかった何か』が、不意に音も無く開いて姿を見せた。
記憶の隅で、在りし日のの笑顔が明滅する。
…それから、それを取り戻そうともがいていた自分も。
そんなものは、もう無駄だと…の隣に居場所なんて二度と作れないのだと、随分前から分かっていたはずなのに。
――認めたが最後、残るのは足元の崩れ去るような絶望だけ。
本当は、罪悪感に耐えかねて償いたかっただけなのかもしれない。いつか、どういう形ででも。
それは心のどこかを常に占領していた部分だった。
……けれど。
今日にまで響いてきた『心残り』は、とうの昔に手のつけられない所まで行ってしまっていた。
もう、償ったって何も響かないし届かない。
こんな事、知っていた。
だから元の世界に戻りたいと切望する事も、今まで無かった。
ただ…自覚する事がこんなに心を切り刻むものだとは思わなかった。
やめようとしなかった男装、粗雑な言葉遣い、いまだ夢に見る過去の事。
それらは全部への『心残り』であり、今の自分を構成する大部分。
それが意味を成さなくなって抜け落ちた瞬間――それこそ自分の大部分を否定されたようで、目の前が真っ暗になった。
頬が雨で冷たい。いや、暖かい。何で。だってこれは雨で、涙なんかじゃなくて。
喉が痛むのだって、走ってきたせいだ。喉奥にこらえた何かのせいなんかじゃ、決して。
―――だって。
泣きだしたって、守ってくれるものは何一つ、無い。
全部雨のせいにして、立ちすくむ。
右手に持った鞄がやけに重く感じた。
全身がずぶ濡れで、水の中に浸かっているようだった。
もう何も考えたくない。
しゃがみこむ事すら億劫で、道の真ん中だっていうのに止まったまま。
現実味の遠ざかった世界で、雨だけが正常に動く。
いっそ、もう何も見えなくなって、聞こえなくなってしまえばいいのに。
ぼんやりとそう思って、緩んだ手から鞄が落ちた。
ばしゃり。すぐ傍で水しぶきが上がったけれど、既に全身濡れている俺には関係の無い事だった。
そうして、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
「――…」
誰かが何かを言いながら近付いてきているのに、気付いても敢えて反応しなかった。
もう、どうでもよくて。
居場所も無い、帰りたいとも願わない、死すら望まれる。
…こんなんじゃ、もう何もかも放り出したって構わないんじゃないかって。
たとえすぐ傍に来たのが、でも。
――今なら、その希望に応えられる気がした。
だから振り返らない。
全部全部――諦めた。
思考が濁っていくのも、もう知らない。
「――」
呼びかけられたような、遠い世界での出来事のような。
不意に自分にかかる雨が途切れて、全身が温かいものに包まれた。
それらを無関心の虚ろな瞳に映しても、何の意味もなかった。
「……心配、した」
視界の端に映る水色が、そんなことを呟いた、気がした。
***
「初めまして、急に呼び出してごめんなさい。雨まで降ってきてしまって…。あの、ニャミさん…ですよね?」
「あ、うん。ニャミでいいよ!」
ニャミは城の玄関で出迎えてくれたと名乗る少女へ、にっこりと笑みを向けた。
実は先程携帯に電話がかかってきて、助けてくれと頼まれたのだ。
番号からするとDeuilの城で間違いなかったのだが、彼女は知らない人物だ。
その少し前にユーリとスマイルから電話があったから、まだ何かあるのかと思ったのだけれど…声の主も電話の目的も全く違った。
とはいっても、ユーリとの会話内容は「はそちらに居ないか」という旨の事だけだったが。
さほど話さない内に会話がおろそかになって、最終的には適当に話を打ち切られたので、そんなに重大な事でもないのかもしれない。
現に今ここで騒いでいる人は居ないのだし。
その後にスマイルから「リュータの家の場所を知らないか」と聞かれたから、きっと遊びに行ったのを知らなかっただけなんじゃないかとも思う。
知った場所から、知らない人物が電話をかけてきた。
それでもここに来ようと思ったのは、ひとえにの存在のお陰だろう。
はじめに出会った時も、ポップンパーティ関係者でもないのにここに居る事を驚いたものだ。
最近は自分の知らない客人が居てもおかしくはないのだろう、と思って。そして困っている様子だし。
何より城に入る事が出来ているのなら、その時点でDeuilとは親しいと思ったのだ。
仕事に区切りがついてからでいいのなら、と言い置いて電話を切り、その数時間後にここに居る。
「ちゃん、だっけ?Deuilの知り合い?」
「知り合い…というよりは、私が一方的な居候をしてます。ちょっと事情があって…」
困ったような笑みを浮かべる彼女は、どこか儚げだ。
丁寧な態度も相まって、どこかの令嬢なのかと思う程。
「そっか、じゃあ君と同じような感じなのかな」
「……はい、そうですね」
返答に間があった事は、ニャミにはさほど気にならなかった。
真面目に返答しようとして考えただけなのだろう、と。
「今日、君について電話があったけど、何かあったの?」
「いえ。そんなに重要な事は……多分思い違いです。出かけたのに気付かなかっただけで」
「そうなの?」
確認すれば、少女はこくりと小さく頷いた。
綺麗な黒髪が揺れる。
「じゃあいっかぁ。…それで、電話の内容だけど。閉じ込められたってどういう事?」
玄関は開くみたいだし、と振り返って扉を見る。
城自体から抜けられなくなったというわけでもなさそうだ。
「…あの、それが…。お城の外に、見えない壁があるみたいで」
「壁……って、『歪み』のこと?」
「――ひずみ、ですか。…それは、世界同士を繋ぐ道の事じゃなく?」
真剣に問い返すに、ニャミは首を傾げる。
「そういうのもあるみたいだけど、私が言ってるのは日常で使う奴だよ。『歪み』の事、知らない?」
「…はい。私はこの世界に来たばかりで、勝手が分からなくて」
「ああ、そうなんだ。あの3人ったら…何も説明せずに出かけちゃったの?」
わざわざ面識のない相手に電話をかけてきたくらいだ。
この城には今誰も居ないのだろう。
「私が突然来たから、そこまで気が回らなかったんだと思います。お仕事も忙しいみたいだし…」
「んー。君も今は出掛けてるんだよね?」
「はい。今は私一人で…」
「そっかぁ。説明もせずに女の子一人にしとくなんて皆酷いよねーっ」
むーっ、と唇を尖らす。
その様子に、は微笑んだ。
「私は大丈夫です。…でも困ってて」
「ああ、出られないよね。でもこの雨の中何しに行くの?」
「――それは」
微笑んだまま、の動きが止まる。
ニャミは一つまばたきをして、あ、と呟いた。
「もしかして買い物?来たばっかりだったら何かと必要なものだってあるよね」
「――…そうですね」
「私も前に君と一緒に買い物行ったんだ。服とか買ったの!たーっくさん!楽しかったなぁ」
「……」
黙って微笑むの瞳の奥が、どす黒い色を帯び始めた事に気付かない。
――城の外にもこんなに親しそうな人物が居る。
そういえば城の住人達が電話をかけた時、そこそこの回数をかけていたかもしれない。
それがアイツの知り合いの数だとしたら、そんな人数に囲まれてさぞ幸せだったに違いない。
私の事を何もかも忘れられるこの世界で悠々と。
でも。
――人間の友達が出来ないからって、皆異形ばかりじゃないの。
知らず、いびつに口角が上がる。
ニャミという目の前の少女だって、人に近いけれど本来耳のある所には耳は無く、代わりに頭から猫のような耳が生えていた。
元気に喋る彼女に合わせるように時折動くのだから、本物なのだろう。…この世界なら納得できる。
元々アイツは、友達が出来ない奴だった。
だって、だから私にこだわるんでしょう。
それが叶わないからといって、こんな風に得体の知れないものにまで気を許してしまうなんて。
…惨めな奴。
「――でもちゃん」
「!」
不意に呼ばれて、我に返る。
畳まれて下を向いている水玉模様の傘をニャミが気まぐれに揺らして、その度に玄関の床をいくつかの水滴が濡らした。
「何ですか?」
「買い物が必要なのは分かるけど、この雨だと大変だと思うよ。人数も必要だし。君の時だって私を含めて5人で行ったんだよ」
「……どうしても、今日必要で」
「うーん。ならしょうがないね。女の子には女の子の必要な物があるもんね」
天真爛漫な彼女を前に、じり、との中で苛立ちが募る。
教えてくれるのか、くれないのか。
利用出来るのか、出来ないのか。
「あの。…それで、『歪み』っていうのは?」
「ん。簡単に言うと世界を区切ってる壁みたいなもの。『鍵言葉』って呼ばれてる合言葉を唱えたら通れるんだよ」
「……合言葉、ですか」
「実際にやってみた方が早いよ。私がついていくから、一緒にやってみよ?買い物も一緒に行きたいし!」
大きな瞳が、を見詰める。
は態度には出さず、たじろいだ。
……監視付きでは、アイツを探せないじゃないか。
「……」
「あ、でもね。一つ注意しなきゃいけない事があるんだ。ここの住人達…ユーリとアッシュとスマイルは超売れっ子芸能人やってるの。だから、ここから出る場合は誰も居ない事を確かめてからにしてね。じゃないと大変な事になっちゃう!」
「……そう」
「ちゃんって可愛いからスキャンダル間違いないよ。でも、それさえ気をつければ君みたいに外出も――」
「じゃあ、今日はやめておくわ」
「――え?」
続くはずの言葉を冷めた声音で遮られ、ニャミは思わず聞き返す。
それまでの印象と、あまりにかけ離れていたから。
「やっぱり大変そうだもの。皆が居る時にしようかなって、思って」
再び視線を合わせたは、やはり今までのイメージと寸分違わず優しく、か弱そうな少女だった。
…思い違いだったのだろうか。
「そ、か。…うん、そうした方がいいよ!折角男だらけなんだから、使っちゃえばいいのよー。でもちゃん、女の子一人でこんなとこに居て大丈夫?」
「大丈夫です。だから『鍵言葉』とやらだけ教えて」
「――…、」
にこりと微笑んでいるのに、どこか威圧感を感じる。
けれどそれが何故なのか分からないから、何とか気を取り直して普通に応じた。
「ええっと、…ちょっと長いからメモした方がいいと思う。確かリビングに紙とペンあったよね?私書くから、貸して貰っても――」
「そのくらい覚えられるから、早く言って下さい」
「………、」
今度こそ、明確な違和感を感じた。
…それでも、どんな事情があっての態度なのか分からないから言及はしない。
しない、けれど。
気後れするのには、充分だった。
「あの、ぅ」
「早く」
「……」
こんなに言葉が出にくいのも、珍しい事だった。
別に『鍵言葉』を忘れたわけでも、教えたくないわけでもない。けれど、詰まった言葉が出てこない。
そうして数拍間を置いた事で、何となく別の所に思考が及ぶ。
…後日Deuilやと共に出かけるのなら、今に『鍵言葉』を教える必要は無いのではないかと。
でも、彼女は今すぐ欲しいとばかりに急かす。
ニャミは正体不明の引っかかりを感じて、視線を俯かせた。
――人と触れ合う機会の多い職業だからこそ、感情の機微に何となくの直感が働く。
…ニャミの胸に残ったのは、言い知れない不安感。
「……ちゃん」
「何ですか」
この遣り取りも、さっき同じようなものをしたばかりなのに。
…温度が、随分違う気がして。
「出かける時にきっと教えて貰えるよ。その方が、分かりやすいから。……家主に断りなく教えちゃうのもいけないかな、なんて今更思ったりして」
これは半分嘘。
と初めて会った時にはすんなり教えてしまったものだし、それがいけないとも思わなかった。
けれど……今はそれが、間に一つ柵を置いてしまいたくなるような何かを感じていたから。
ぽつぽつと言葉を紡ぎながら視線を上げて、の顔を見る。
その顔は、怒りの表情でもなく無表情で、ほんの僅かほっとする。
…いや。
さっきまでの儚い印象に似つかわしくないという時点で、これは酷く大きな変化なのではないだろうか。
それすら直後に判断が出来ない程、自分は動転しているらしい。
「…教えられないっていうの」
「あ、…う。えっとね…。」
「どうして」
「だ、だから」
「どうして!!」
苛立たしげな声が玄関に響く。
ニャミはびくりと肩を震わせて、目を見開いた。
はそんな彼女を静かに睨む。
青白く光る刃を、そうっと首元に押し当てるように。
しばらく二人の間にある空気は硬直していたが。
「――ニャミさん。」
にこり、と微笑んだの呼びかけに再び時は動きだす。
ニャミは視線を外し……傘を持っていない方の手で、どくどくと鳴っている心臓を押さえた。
「ご、ごめんなさい。私…次の仕事に行かなきゃ」
――きっと、次に目を合わせたら逃げられない。
そんな予感がして、ニャミは目を逸らしたまま身を翻した。
「――っ!!」
いけない。
きっと、このままここに居てはいけない。
頭の中に響く警鐘。
ニャミは逃げるようにドアを開き――傘も差し忘れて、駆け出した。
玄関に残されたのは、一人だけ。
射殺すような鋭い視線で、ニャミの後ろ姿を追っていた。
―――それが分かっても、キミには何もできないよ?
また頭の中で反響したその声が、の自尊心を苛む。
――うるさい。
うるさいうるさいうるさい。
何も分かっていないくせに、アイツの側になんてついて。どうせアイツの適当な穴埋めとして親しくされているだけのくせに。
それなのに隙の無い程アイツを守るのだから、心が金切り声を上げて黒く塗りつぶされる。
何も奪えない自分が悔しかった。
「――――っっ!!」
言葉にならない声を上げながら、傍にあった大きな花瓶を殴りつけた。
ガシャアアァン!!
激しい音を立てて、床に破片と水と花が散らばる。
それらを踏みつけながら……は城の奥へと消えていった。
***
雨音は、強くなるばかりだった。
アッシュはテレビ局の外でユーリを待つ。
屋根があるとはいえ、全く雨がかからないわけでもない。
…が、ユーリにいち早く会いたくて、ここに居る。
――が見つからないまま、仕事の時間が近づいていた。
携帯で連絡を取り合いながら捜していたものの、誰もの足取りを掴めなかった。
唯一、ユーリは携帯を持っていなかったと気付いたのは捜索を始めて少し経った頃。
その事をスマイルやリュータに伝えれば、ひとまずどっちみち仕事現場では合流する事になるのだから、その時にでも話を聞けばいい、という結論に至った。
今の所可能性があるとすれば――ユーリが見つけている事だけ。
それがなければ、雨の降るこの中で、きっと二人はまだ捜すと言うのだろう。
仕事班に割り振られたアッシュは、をこれ以上捜せない悔しさに拳をぐっと握りしめた。
…ユーリもそろそろ到着しなければ、雨に濡れたまま仕事など出来ない。
軽くリハーサルもあるはずだ。
そんな事を思っていると、目の前にタクシーが一台停まった。
そこから出てきたのは……ずぶ濡れのユーリ。
彼にしては珍しく、雨に濡れる事も厭わず走り回った証拠。
「…ユーリ」
タクシーの運転手と少々の遣り取りをしてから、ドアが閉まる。
振り向いた紅の瞳が、ゆっくりとアッシュを捉えた。
「何だ、タクシーの座席を濡らした事の小言なら、聞かんが」
「……いいえ。」
肝心な事を何も告げないその様子を見て……アッシュは悟った。
――ユーリもを見つけてはいないのだと。
「アッシュ。そっちはどうだった?」
「…何も。ユーリの方は?」
「………」
分かっていながら尋ねれば、ユーリはゆるゆると首を左右に振った。
銀髪から、ひとつふたつ雫が落ちる。
深く、溜息が出た。
そんなアッシュを、ユーリが無言で見詰める。
…あとはスマイルとリュータに託すしか無くなってしまった。
――何も、してやれなかった。
の事も知らず、簡単に受け入れて。
追い詰められているのに、命に関わる事まであったのに、…今は傍に居る事も出来ない。
……スマイルは、きっとそれ以上の感情を抱えているのだろう。
実際、彼が捜索に残る側とならなければ後々大変な事になりそうだった。
(――お前のに対する執念は、一体どこから来るのか)
城での、の目を掻い潜った密談中に、彼の零した言葉が思い起こされる。
『そうだねぇ。…僕としてはわざと見過ごしてもいいんだけど。この世界に居てくれるなら』
笑いきれていない出来損ないの笑み。
そこに宿るのは…珍しく垣間見えた、彼の本音。
――普段の顔が一瞬でも崩れるなど、スマイルにしては余裕が無かったのか。
何にせよ、あのままスマイルを仕事に回していれば後が怖かったのは確かだ。
…良からぬ方へ向いている感情でないと言いきれるから、こうしているのだが。
最も真剣、かつ最も感情的。
彼のに対する行動を表現するのなら、そんな風。
危なっかしい程なのだから、任せなければ傷ついてしまいそうで。
そして何より、うっすらと見えた彼の本音を大切にしたかった。
「アッシュ。そろそろ仕事だ」
「……はい。でもその前に、連絡だけ」
言って、アッシュはスマイルへと電話をかける。
ざあざあと、雨は勢いを緩めない。
スマイルへの現状報告が終わると、やはりこのまま捜すと返答され――それを止める事など出来なかった。
リュータには自分から伝えておく、とスマイルが言い残して、電話が切れる。
祈る様に両手で携帯を、閉じた。
〜To be continued〜
<アトガキ。>
やばーい。やばーいマジやばーい(何
夢主さん久しぶりに登場させたら凄く書きやすかったのですよ!
やっぱり文体が硬いのは他のキャラだけだったからなのね!(えぇぇ
実際他の視点の所ではわりと硬めですしおすし。
というわけで26話です。色んな所が動きました。
友人さんは脱出失敗、捜索隊は何も発見できず。
じゃあ夢主さんは一体どうなって…? というのは次回で。
今回、ニャミちゃんと友人の接触は気分的にガチホラーでした。ニャミちゃん逃げて、超逃げて。
ちなみに予定に全く組み込まれていないせいで、
1.このまま猫かぶりに成功して脱出の機会を得る
2.色々見抜かれて脱出失敗
この二択で迷いました。
でも1だと少なくとも脱出した事は後々ばれると思うので、
・Deuilが友人さんに気付かれない内に『鍵言葉』の再設定をしちゃう→帰っても守ってくれるかな…と夢主さんが縋るような思いで帰ろうとしたが入れない→閉め出されたとショック受け絶望(SAN値減少)
……みたいなコンボをすぐに思いついたのであまりに鬱すぎるとやめました。(なにそれ)
まぁその…
・友人脱出→あてどなく彷徨う→どっかでDeuilの名を出して騒然
とかそういう普通の事を思いつくべきだと思うんですけどね!夢書いてる人として!!(笑
明るいお話もその内書きたいなぁ…。
予定に書いてあった事を踏むとか言いましたが、微妙にかするくらいで終わってしまいました。
文章量だけはなぜか嵩むお話。
どの辺がかすったかって、夢主さんが誰かと合流する事、だけですかね!(本気でかする程度だな!)
さて。……色々場面切り替えの多くなってきた感じですが、頑張りますぜ。
2014.4.18