あぁ、以前にもこんな事があった。
 今のように空中に体が投げ出されたわけではないけれど、何もかもが終わるんだと感じた瞬間が。

 それは一年前、俺が男装を始めた日。
 俺とが“親友”から“元親友”になった日。
 そしてそれは、大好きな親友を、俺が初めて諦めた、日。

 あの時は中学の卒業式を間近に控えて、他の人たちは浮かれたり高校の合格発表がまだで緊張してたり。
 …その中で俺とは、誰とも違う雰囲気をどろりと漂わせていた。
 まるで………

 まるで、二人の間に泥の川が流れているかのように。





自鳴琴・21
“俺”
〜『いえない』傷〜






 の恋人が私に「好きだ」と告白してきて、私は即答で断って、
 だけどそれを知ったとの絆にヒビが入って、数日が経った。
 今日、久し振りに学校に行く。

 登校中、こっちを見た同学年の人達が一様にぎょっとしていた。
 それはそうだ、数日前まで普通の女子生徒だった人物が今日になっていきなり男子用の制服を着て歩いているのだから。

 学校でに近寄る事を拒否されてから、数日間ずっと学校を休んで悩むだけ悩んで、とこれからも一緒に居る為にはどうすればいいのか考えて、出した結論がこれ。……“男として生きる事”。

 が私を認めないのなら、私という人格と一緒に外見も性別も一旦放り投げてしまおうと思った。
 それだけの傍に居たかったし、ずっと隣に居たのに今更離れるのが怖くもあった。
 そして私が私を捨てる事には、密かに謝罪の意味も込めてあった。

 もう一つ男装の大きな理由として挙げられるのは、彼氏との一件で『女子』という存在自体がの拒絶範囲内に入ってしまった事。
 他の女子まで、近付いただけで強い拒絶を示される。
 これでは話もできない。女子の、ままでは。


 から離れられないのは、罪の意識が私の心の中に溜まっているからというのもあるかもしれない。
 償いたいという思いも、確かにそこにあった。

 今のを考えると離れた方がいいのかもしれない。
 でも、そうするとは父親を失った苦しみと恋人を失った悲しさを一人で抱え込む事になる。
 私が傍に居て何が出来るというわけでもないだろうけど、今たった一人にさせるわけにはいかないと思った。

 『女としての私』を拒絶するなら、そんなもの捨ててしまえばいい。
 それで近づけるなら。それで償えるなら。

 そして昨日、去年卒業した先輩に学ランを借りて、男装をした。

 父親を奪った私をずっと許そうとしていた。それを裏切るような形で、無自覚とはいえ恋人まで奪ってしまった私は、もう許されるはずも無いのだろうけど。
 それでも傍に置いてくれれば、それだけでいい。


 校門をくぐると、先生達はこの格好を叱るというより「どうしたの」と驚いて、しかし私は真剣な目で「この服装でないと駄目なんです」とだけ言った。
 普段真面目だった私は、何かあったのだろうと黙認された。

 教室に入って、目的の姿を探す。
 教室の中も外も私の姿にどよめいていたけど、そんなものは関係が無かった。
 求めているのはの言葉ただ一つ。

 探していた人物は窓際の席にすぐ見つけられたけど、私が声を掛けるまでもなく騒ぎの所為でこっちに振り返った。
 …そして、目を剥く。

「……何よ、それ」
「今までの事、許してくれなくていいから償いたいんだ。だから…傍に居させてほしい。その為なら、私……俺は、自分の全てを投げ出してもいい。俺はが大切だから」
「………」

 机二つ分くらいの間をあけて言った俺の言葉に、はただ黙った。
 黙って俺の目を見ていた。
 何か、言いたげに。

 俺が傍に居る事を認めてくれるのかどうかが気になって、黙ったままのに聞こうとした直後、チャイムが鳴って遮られた。
 結局何も聞けないまま、席に座った。






 放課後、窓から夕陽の光が差し込む頃。
 俺は中学最後の委員会の仕事をしていた。
 本当はとっくに終わってるはずなんだけど、卒業間近だけにクラス全員で先生達へ寄せ書きをしたり色々作業をしていたら委員会の仕事を始めるのが遅くなってしまった。

 場所は保健室。
 節水を呼びかけるポスターを作るのが今日の仕事。
 なるべく事務的な見た目にならないようにカラフルにしよう、と先生と決めたので、折り紙を切って貼って、色を添える。

 作業の音は、自分の横からもう一つ聞こえてくる。
 ……そう、この作業をしているのは俺ともう一人。
 、だ。

 この学期の最初、学校生活で同じ場所に居られる最後の時だから、なるべく一緒に過ごせるようにと同じ委員を選んだ。
 …その時の関係とは、随分かけ離れたものになってしまっているけれど。

 先生は居ない。用があって少し出ている。
 従って、保健室には俺との二人だけ。
 折り紙をハサミで切る音と、カッターで切る音、それから糊で貼る音だけが静かに聞こえる。
 二人で黙々と作業を進める。

 今日の朝以来、俺とは全く口を聞いていなかった。
 が俺を避けているようで、そしてなぜか俺からに近付くのも怖くて。

 正直、の言葉を待っていた。
 『勝手にしなさい』でもいい、『嫌』でもいい。
 このままずるずると無言で居たら、卒業しても話せなくなってしまう気がしていた。
 認めてくれるか否かの前に、何も話せないまま終わるのは嫌だった。

 俺は作業をする手を止めて、を見た。
 話しかけようか話しかけまいか大分迷って、ようやく口を開く。

「あ、の…。…俺、これからもの傍に居ていいかな。今まで通りじゃなくていいから…」
 他に何も望まない。ただ傍に居られればそれで満足。
 それだけを望んでいた。

 懇願するように言ったが、は何も聞こえていないかのように淡々と作業を続けていた。
 一瞥すらくれない。

「迷惑かけないから…その為なら今までの俺を捨てる。女だとも思わなくていい」

 何も、言わない。
 怖くて、何か言って欲しくて、必死になって言葉を探す。
 だってこんな風にを失いたくない。
 いつでもしっかりしていて、時には姉のように、時には母のように、一緒に悩んだり喜んだりしてくれた
 とても綺麗な彼女の笑顔が、大好きで。

「俺、を傷つけてたのに気付かなくて凄く後悔してる。…俺なりに償いたいんだ。だからこんな形で離れたく」
「耳障りよ」

 ようやく聞こえたの言葉は、たった一言放たれたその言葉は。

「…?」
「耳障りだって言ってるの。本当は同じ部屋にも居たくないのに、わざわざあんたの存在を知覚させないでくれる?」

 その、言葉は。

「取り繕ってるんじゃないわよ」
「何、言って――」
「私の傍に居たくて男装したって?随分滑稽な謝罪の形ね。じゃああんたは私が命令すれば何でもする人形だっていうの?」

 はバンと音を立てて机にカッターを置いて立ち上がり、俺の学ランを掴んだ。
 回転イスを利用して真正面から向き合うように回される。
 向き合ってすぐ、は俺の学ランのボタンをむしり取るように外した。

「女らしい体つきを誤魔化すわけでもなく、それでよく『女だと思わなくていい』なんて言えたものね」
 学ランの下には、カッターシャツに包まれた柔らかな女性の体が見て取れた。
 まだ、さらしの巻き方を知らなくて、体のラインを誤魔化せていなかった。

「あんたが何をどう償ったって私が失った人は戻ってこない。それとも何、今までの事は忘れてこれから頑張ろう、とかいう陳腐な意味なの?忘れられないから苦しんでるのに、忘れたくないからあんたを恨んでるのに、奪ったあんたは私の痛みを『さっさと忘れろ』って言える立場なの!!?」
「……っ」

 違う。
 忘れてほしくて躍起になってるわけじゃなくて。
 にはこれからの希望も未来もあるのに、過去に囚われたままでいるのは悲しいから、
 だから前に進んでほしかったんだ。

 そしてもっと重かった言葉。


 恨んでる


 その一言が酷く重くて、痛くて、私は言葉を失った。
 今まで冷たい目を向けられた。存在を否定された。もう多少の事では絶望しないつもりだった。
 それでもこんなにはっきりとした憎悪でもって貫かれるのは、あまりにつらくて。


「気付かなかったの?私はあんたの事なんて――」


 あまりに、つらくて。




「あんたの事なんて、もう友達だなんて思えないくらい恨んでる!!」




 がらんとした保健室に、響いたの言葉がとても痛かった。
 恨まれているという事実が頭の中に鈍く響いてもう何も考えられなくて、視界すら揺れそうで。


「あんたを庇った私のお父さん、火傷で死んだでしょ。体中が見る陰も無い程ぐちゃぐちゃになって、苦しそうに呻いてたわ。体が腐りきる前に死んだからまだ楽だった方だろうって、医者は言ってたけど」

 かたん。
 がカッターナイフを持ち上げた。

「優しかったお父さんが死んで、どうしてあんたが生き残ってるんだろうって、それは何度も思ったわ。けど友達だったから、よかったって思うことにしてた。…でももう限界」

 ちき、ちき、ちき。
 太めのカッターナイフの刃が、少しずつ伸ばされてゆく。

「私の心の風穴を埋めてくれる人まで、奪われて…」

 私の肩を左手で掴んで、右手に持ったカッターを、


「やっと見つけた居場所だったのに。やっと掴んだ安息と幸せだったのに。……これだけ酷い事してきたんだもの。罰くらい、あってもいいでしょ?」



 私の左胸へと、体当たりするように力強く突き刺した。



 がたん!!
 朦朧としていて元々力の入っていなかった私は、その力にあっさりと負けて、背もたれの無いイスから後ろ向きに落ちた。
 一緒になって床へと倒れこんだがカッターを放さなかったから、が私の上に乗るような形になって、衝撃で更に私の胸へ刃が食い込む。

 白いカッターシャツが、じわりと暖かく濡れるのがわかった。
 刃の硬さと冷たさが皮膚の下で妙にリアルで、体温で徐々に生ぬるくなっていくのが気持ち悪い。
 喉を切られたわけでもないのに呼吸が苦しく感じられて、痛いというより重苦しかった。

 カッターナイフを握っているの手が僅かに震えているのが、刃を通して伝わる。
 それはもっと深く突き刺す為に力を込めようとしているのか、それとも。

 冷静に考えているようでその実あまり状況を理解しきれていなかった私は、が恨みからこの行動に出たのだとようやく思考を追いつかせて、泣きそうに喉を震わせた。

 もう戻れない。
 との関係はもう修復できない程に枯渇してしまった。
 傍に居る事も、もう許されない。

 私は彼女に、死を望まれてしまった。
 彼女にとって私はただの敵。

 あぁ、何もかもが、終わる。
 その時そう感じた。



 緊迫と混乱がない交ぜになったその場に、不意に別の音が混ざりこんだ。

『ガラッ』
「…なっ、何してるの、二人とも!?」

 保健室の先生だった。
 小用を済ませてきたのだろう。
 そこではじめて、私はここが保健室なのだと思い出す。

 青ざめた。
 この状況を作り出したのは間違いなくだが、……いや、だから、焦った。
 このままではが。

 私は、抜けた力を振り絞ってを自分の上から退かすと、倒れたまま小声で必死に言った。

が、こけて、私に偶然カッターが刺さっちゃって…!!」

 刺さっていたカッターナイフはの手から離れると自重で私の胸からずるりと抜け、カランと床に落ちた。
 その時傷口は鈍く痛んだけれど、これだけ喋れる所を考えるとどうやら思ったほど傷は酷くないらしい。

 は私の言葉に驚いたように目を見開いていた。
 その表情が先生から見えない位置だったから、よかったと思う。

「い、今救急車呼ぶから!!」
 ばたばたと電話に駆け寄って、急いで電話をかけ始める先生。
 それをぼんやりと見詰めていると、不意にが言った。

「…そういう所が、嫌いなの…」

 私は……俺は、目尻に涙を溜めながらそっと首を左右に振った。
 だって、が俺の事で大勢の人に詰問されるのは嫌だから。…そう正直に答えようとして、やっぱりやめた。







 それから病院に行って、胸の傷を縫った。
 切れていたのは胸の脂肪だけで、肺には達していなかった。
 それでも傷跡が残るくらいには深かった。

 学校には「がカッターナイフを持ったままこけて、その勢いで刺さった」で通してある。
 があの行動に走ったのは俺の所為でもあるし、何より事実を話せばを警察に送る事になるから。

 俺は殺されかけて尚、を嫌う事が出来なかった。
 警察に突き出さないことが友情だとは思わないけど、が捕まる事になる方が余程恐怖の対象だった。

 驚いた事に、正義感の強いが事実を言おうとしなかった。
 俺が誤魔化すままに、ただ黙っていた。
 何か思う所があったのかもしれない。

 結局その事は、地方のニュースにすら出る事無く収まった。
 事故扱いになっているし、誰も死んでいないからだろうと思う。
 何より怪我をした方が事故だと主張しているし。


 それ以降俺はに近寄れず、嫌いではないのに恐怖だけが残った。
 男装は自分への戒めの意味も含んでいたからやめたくなくて、結局元には戻さなかった。

 そのまま中学を卒業して、別々の高校に入って、とは連絡もしていない状態だけど、それでも男装をやめなかったのは。
 …習慣化していた事と、今更女の格好をするのに違和感があった事。
 そして一番の理由は……この胸の傷が痕になって、消えなかった事。

 これを見るたび、肌の引き攣れた感触を感じるたび、男装という戒めを解く事に罪の意識を覚える。
 咎める者が居なくとも、この傷が後ろ髪を強く引くようで。
 償いの為に今までの自分を捨てたのに、元に戻したら全ての決意が薄っぺらだった様に思えて。
 …そんな半端な気持ちで性別まで誤魔化しているわけじゃ、ない。


 この傷の事は六にも言えなかった。
 言ってもプラスになることが何一つ思い浮かばなかったからだ。
 俺の行動を馬鹿だったと思われるかもしれないし、を悪く思うかもしれない。
 六なら軽はずみなことは言わない、大丈夫だ、と頭の中で分かっていても、片隅で怖がりの自分が『言うな』と叫んだのだ。

 結局誰も信じていない自分に吐き気すら感じながら、それでも言えない。
 これからも、多分。

 ……これから?


 ああ、もう『これから』は無いかもしれないのに。
 俺は今、またに存在を否定されて殺意を向けられたのに。

 涙が溜まって落ちるだけの暇もなく、体は落下する。
 ここで死んだら城の皆に迷惑をかけるだろうか、と一瞬よぎって、
 どうしようもない、と切り捨てた。


 瞬間、どん、という音と共にぶつかったそれは、おかしな事に弾力があったように思う。





〜To be continued〜




<アトガキ。>

あぶぶぶぶ、ポプキャラが名前以外出てこない罠…!!(しかも一人しか!!)
前回予告した通り、夢主と友人の過去話です。
ええもう、ドログチャですいません…!色んな意味で。(あわわわ)
でも避けて通れない場面だったんですよ。ずっと伏線張ってた場所ですから。
一番初めの伏線は第3話ですね…今まで長かった…。
ひとまずこれよりもドロドロな場面は出ないはず。

サブタイトルの『いえない』は、“言えない”と“癒えない”がかけてあります。
どんなに慕っている友人でも、こんな風に縁切られたら誰でも恐怖しか残りませんね…。
しかし友人も、何も考えずこんな行動を起こしたわけではないです。
数話後に友人視点の話を書きますので、それはその時に。

そして今回は過去話だったので、夢主の一人称が「私」だったり「俺」だったり揺れが激しかったです。
動揺すると「私」に戻る感じでしょうか。男装開始から間もなかったんで。

とりあえず次回はスマとかスマとかスマが活躍します(スマ贔屓っ!!?)
最近拍手やBBSでスマの株上昇のお声がちらほら頂けて嬉しいので、よっしゃとばかりにタガを外して愛を注ごうとか考えてるなんてのは秘密です。(スマラヴ…v)
そしてリュータが出てくる…かもしれない(何)
ではまた次回で。

2007.5.20


<……改定後。>
さて根本的な所を随分書き換えてしまいました。
最初に書いた時は随分煮詰まっていたので変な表現がバリバリ入ってたんですよ…。
それで納得いかないなぁとかずっともやもやしていて、ちょっと頭を冷やしてから書き直しました。
前のままだと後ろ髪引かれたままでどうも次回作が書けそうに無かったので。
一度UPしたものをそんなに大幅に変えていいものかと悩みましたが、次回作が書けなくて打ち切るのはもっと無責任で嫌ですしね。
では、気持ちも新たに次回作に取り組みます。次回、スマの企み(?)が明らかに。
2007.5.25