Deuilの長期休暇も今日で終わり。
有名人の休暇といえば外国旅行が思いつくので(そこ、発想が偏ってるとか言わない!)、3人はどうして行かないのかと聞いてみたら、ライブやら企画やらでいつも大移動しているので、逆に休みの時くらいゆっくりしていたいんだそうだ。
まぁ、今の俺はそれに賛成。
何だかバーベキュー企画以来、だるさと熱っぽさが体から抜けない。
でも実際に体温計で熱測ったらアッシュに気付かれた時物凄く心配されそうで申し訳ないし、正確な体温は測れずにいる。
風邪…のような感覚じゃないんだよなぁ…。
疲れてる、ってわけでもなさそう。実際体力は余ってる感じするし。
何ていうか、こう……。
あぁ、言葉で表すのはちょっと難しい感じ。
…とりあえずこんな時は、朝風呂でも入ってすっきりしよう……。
俺は朝食の後に「朝風呂行ってくるー」と宣言して、バスルームへ向かった。
……………。
何でだ。
思わず誰にともなく問いたくなるくらいの光景が、そこには広がっていた。
それは………
「俺一人の為に風呂の湯張っちゃったんですか」
王宮かと思うくらいだだっ広い浴室にある銭湯のような馬鹿でかい浴槽には、なみなみと暖かいお湯が入っていた。
夜は俺も使ってますよ、ええ。
しかし今は朝なのですよ、ええ。
入るのは俺だけなのですよ、ええ。
アッシュに朝風呂宣言したのが間違いだったのか。
俺が脱衣室に入ろうとしたら「もうちょっと待つっスよ」とか言われてリビングに戻されたから素直に待って、いいと言われて入れば(そういえば結構待たされた)この有様。
俺一人ごときにこんなにお湯使っちゃっていいのか!!?
これだから金持ちはーああぁ!!
シャワーで済まそうと思ってた俺は思いがけず贅沢させられて内心冷や汗かきまくりである。
自然の恵みを何だと思ってるんだ金持ちめ。
こうなったらこの城の住人全員朝風呂に入れたろか。
のんびりと湯に浸かりながら両手両脚をぐぐーっと伸ばす。
ぷはぁ、と息を吐いてから湯の中に頭の先まで沈み、ゆっくりと浮上する。
うーん、朝風呂はいいなぁ。
今度湯船にバラでも浮かべてみようかな。…ユーリなら既にやってそうだけど。
―――等と考えていると、
『ガチャッ』
「石鹸切れてたっスよね、持ってきたっス」
「!!!」
突然浴室のドアが開いて、石鹸所持したアッシュが出現!!
俺は声にならない叫びを上げる!!!
あわわわ何てことしてくれるんだチミいいぃ!!
お風呂に乱入してくるなんてそんな男性向けのゲームにありがちなシチュエーション遵守しちゃってからにぃぃ!!
俺は体を隠すように顎まで湯に浸かって、叫びを上げたいのを必死で堪えた。
アッシュはそんな俺に気付かずスタスタとタイルの上を歩いて石鹸を補充して、さっさと浴室を出て行った。
あああぁぁ…心臓に悪い…。
ぱたんと閉められた磨りガラスのドアを見ながら、俺は思いっきり脱力。
まぁ…入ってるのが俺以外でも普通にこういう事するんだろうから仕方ない気もするけど…。(入ってるのが男なら、の話)
それだけ『気心知れた仲』だと思ってくれてるのかも。
いやそれは嬉しいけど内心滝汗だぞ。
びっくりしたぁ。
「バスタオル、積んどくっスねー」
ドア越しに言われて、慌てて「はーい」と返事する。
まるでお母さんだ。
「湯加減はどうっスかー?」
「おっけーいい感じー」
「は何だかここ最近調子悪いみたいっスから、のんびりするといいっスよー」
……気付いてたのか。
あぁ、だからわざわざ湯船にお湯張ってくれたのかな。
のんびりできるように。
アッシュはどこまでも主夫だなぁ。嫁になる人はきっと幸せだ。
磨りガラスから人影が消えるのを見送って、言われた通り俺はのんびりとした時間を過ごした。
***
結局1時間半も風呂に入って寛いでいた俺は、ふやけた指先をひらひらと振って乾燥させながらリビングへと向かった。
たまにはこんなリラックスタイムもいいもんですな。
そしてリビングのドアの前でふと立ち止まる。
………、3人以外の声がリビングの中から聞こえた。お客さん?
でもこの声には聞き覚えがある。
俺はふやけた手でドアノブを回して、ドアを開いた。
「よー」
リビングには、Deuil全員と、それからソファで寛いでいる神様の姿があった。
「あれ、MZD。来てたのか」
「おう。待ってたぜ、。ちょっとお前に話がある」
「話?しかも俺に?」
ソファに座っているMZDは、普段と違った大真面目な顔で手招きした。
…え、いつから待ってたんだろう。
でも待ちくたびれたって感じはしないから、ついさっき来たんだろうな。
俺はリビングのドアを閉めてから、招かれるままに近付いて、MZDの正面のソファに座った。
いや、本当は萌え本能の赴くがままに隣に座りたかったんだけど、話があるとか真面目な顔で言われたから、渋々話しやすい場所に座った次第でして。
ちなみに俺の隣にはスマが座ってるから、結果オーライだ。
アッシュは一人用のイスに、ユーリはいつもの専用席に。
「そんなに改まって、何なんだ?……もしかして帰る方法絡みか?」
「まぁ…それに近い」
「近い?」
「、お前最近体調崩してたりしねぇか?」
「え?」
唐突に話題が変えられて、思わず目が点になる。
しぱしぱ、と瞬きをして、その間に考えた。
「まぁ…ちょっとな」
「実はそれ、この世界とお前の居た世界が繋がる前兆…みたいなもんなんだよな」
想像もつかなかった所で繋がる話題に、俺は今度こそ言葉を失う。
何だそれ、つまりこの世界と俺の居た世界を繋ぐものが出来るって事なのか?
しかもそう遠くない内に?
「っつってもこっちからは通る事が出来ない。向こうの世界からこの世界への一方通行だ。だからお前が帰る事はできない。…近い内にそんな『歪み』がこの世界のどこかに出現する」
「え、一方通行で帰れない上に出現地すら不明?」
「何の為の報告なのさー?」
スマイルが「意味ないじゃーん」と肩を竦めるが、MZDは変わらず真面目な顔で「いや」と返した。
「近い場所同士の間に自然現象で『歪み』が繋がって誰かが行き来した例は過去何件かあった。…ところがどっこい、がここに来てすぐに説明したように、のいた世界とこの世界との間みてぇな、とてつもなく離れてる場所同士が自然現象で直接繋がる事はまずありえない…はずだった」
「…それが繋がる、と」
「あぁ、しかも自然現象でだ。一方通行とはいえこれは通常じゃあり得ねぇ」
っていうかこれから起こる予定の自然現象なのに予知できてる辺りが俺的にあり得ない。
…いや、神だからこれが当然なのか。
「超常現象って奴だろうな……つまりそんだけ凄ぇ現象が起こるわけだから、向こうの世界に関係のあるは本来自分が身を置いてた時空の流れやら何やらを感じて体が反応しちまってるんだ。体調崩したりな」
「…、寝ていた方がいいのではないか?」
ユーリの言葉でその場の全員がじっ、と視線を大集合させた。
ちょ、ちょっと待て、そんないきなり見詰められましても!
「いや別に、ちょっとだるいとか熱っぽいとかその程度で…日常に支障は然程ないから」
「でも気をつけるっスよ。急にもっと酷くなるかも…」
「そんな事ないって!…多分」
尚も心配そうに見詰めてくる人(主にアッシュ)をどう安心させようかちょっと迷って、意外な事にMZDが「まぁまぁ」と割り入った。
「体調は『歪み』が消えたら治る。多分そんなに何日も後の事じゃないし、酷くもならないだろ。…で、だ。今回の一方通行の『歪み』は無収穫じゃないんだな、これが」
「随分長い前置きだったねぇ、ヒヒッ」
「必要な説明だ。んで、心して聞けよ。………は、」
「は、帰れる」
…耳が痛いほどの沈黙。
あれ?何か、話と繋がらない言葉が聞こえた気がする。
「え、さっき一方通行だから帰れないって言ってたじゃないスか」
「その『歪み』じゃ確かに帰れねぇ。が、考えてみれば一方通行とはいえ目的地と繋がるんだ。俺がその『歪み』の構造を直接探って、似たのを創ればいい。…今度はこっちから通れるやつをな」
「…要するに?」
「『歪み』の見本見て、今度は使えるのを俺様が創ってやろうって事」
「なるほど」
確かこっちの世界に来た直後、俺の居た世界とこっちの世界を繋ぐ『歪み』を創るのは難しいとか言ってたよな。
照準を合わせるのは簡単じゃない、とか何とか。
照準、っていうものが大砲の打ち上げ角度と似たものだとしたら、その微妙な角度に困ってたって事だろう。
でも近い内にお手本が現れるんだから、それと同じにすれば何とかなる。
これで悩みも一挙解決って感じだろうか?
うん、解決。
俺は帰れるんだ。元の世界に帰れるんだ。
日常が、遠く離れてた日常が、戻ってくるんだ。
……、
でも、あれ?
俺、それを心から求めた事、あったっけ?
ふと疑問に思ってしまった事が心の端に擦り傷を作ってしまって、不穏な痛みを生み出す。
その正確な正体を掴む事が恐ろしいような気がして思わず蓋をした。
「それにしても、が居なくなると寂しいっス」
「長い事居たからな。いつかは帰ると思っていたが…こんなに突然…」
「ずっとここに居る事って、出来ないのー?」
「え、それは……、う……」
だって今までMZDが体調崩すくらい頑張ってくれてたのに、その成果を無碍にする事は出来ないし…。
第一、俺には本来居るべき場所が…ある。
「こらこら、が困ってんだろ。あるべき場所に収まるんだ、文句言うなよ。本人が望むなら尚更」
「へぇ、MZDもたまにはまともな事言うんだ?」
にこやかに失礼な事を言って、スマイルはそれきり黙った。
MZDは「うっせー」と少し口を尖らせる。
「ま、そういうわけで俺は帰る。送別会とかやるなら俺も呼べよ?」
「了解っス」
何だか今、MZDの顔と声が物凄く優しかった気がする。
それは彼なりの気遣いなんだろうか。
MZDがソファから立ち上がって、ふわりとその場に浮き上がる。
ワープして帰るんだろう。
そうして彼がこの場から消えようとした……
…その時。
『パチッ』
電気が走るような、小さな音がした。
小さい音だったけど、それは部屋の中に居た全員に聞こえてた。
え、漏電?
でも、たこ足配線もしてないし、水零してもないし……?
『バチチチッ』
また音がした。今度はさっきより大きい音。
「この音どこから?」
「部屋の中っスよね」
「しっ、静かに!」
MZDが人差し指を口に押し当てて、皆を黙らせた。
皆は部屋の中に視線を走らせる。
すると―――
『ヂヂヂヂヂッ…バチッ』
庭に繋がる大きな窓の近くで、青くて長い針のようなものが幾つも飛び交っていた。
空中で、窓付近にだけちりちりと音を立てながら、針は流れ星のように飛ぶ。
やがてそれらは一所に集まって、球体になってゆく。
「何、あれ…」
「やべ、たった今始まりやがった」
「は?」
「あれが、さっき言ってた世界と世界を直接繋ぐ『歪み』だ。間違って近付くなよ、一方通行なんだから近付くと押し潰されるぞ!」
「!!」
ええええぇ、さっき言ってた一方通行のあれが現在とっとと来ちゃったんですかい!?
何日か置いて来るもんだと思ってたからビックリしたじゃないか!
しかも場所がここかい。
ていうか押し潰されるって、何気に凄く物騒だな。
世界を跳び越すくらいの力が篭ってるんだから分からないでもないけど。
こうしてる間にも『歪み』は綺麗な球体になっていって、完成したと思ったら今度は平べったく変形してゆく。
円形に変化。
「なぁ、MZD。これの構造見て後日別の『歪み』を創ってくれるんだよな?」
「そーそ、今密かに分析中だぜ。創るのに何日かはかかるが、まぁできる前日くらいには言いに来てやるよ」
「了解」
『ヂヂヂヂッ…パシッ、ピキッ』
完全に円形になったと思ったら、今度は中心から穴が開き始めた。
丁度薄っぺらい輪が出来てる感じ。
輪の中心…空洞であるべき場所には……………
「…え、何アレ、輪っかのくせして向こう側が通り抜けて見えないじゃん」
「ヒッヒッヒ、『歪み』だからねぇ。あの輪の内側がの世界と繋がってるんだろうね」
「そっか」
それなら、あの輪の中覗いたら向こうの世界が見えるのかも?
あぁでも近付いちゃ駄目なんだっけか?
輪は何だか少しずつ大きくなって、フラフープくらいになった。
穴は下向いてるから中が良く見えないままだけど、バチバチって音は随分大きくなってる。
「よし、まずまずの結果だ。これで創り方は分かった。『歪み』は何分もしない内に消えるだろうからほっとけばいいぞ」
「あ、そうなの?」
MZDという安全弁が居る為か、全員が落ち着いていた。
ソファに座ったまま、徐々に『歪み』が狭まっていくのを眺める。
このままこの輪は消えるか。
―――と、思ったら。
『パヂィッ!!―――どさっ』
「いっ…たぁっ!!」
え、何か不穏な音がしましたよ?
突如、輪から大きな塊が通り抜けて、リビングの床に落っこちた。
一瞬それが何なのか分からなくて一同は顔を見合わせたり瞬きしたり。
MZDですら想定外の事だったのか、口をぽかんと開けて。
その塊が出た直後、早回ししたみたいにさっさと『歪み』が消えて、塊だけがフローリングに残された。
…「いたたた」とか言って塊が体を起こした時点で、それがようやく人間なのだと気付く。
「…MZD。なぜ人間が落ちてくる」
「いやまぁ……一方通行だから向こうからは通れるし、その可能性も無きにしも非ずって事で?」
「つまり向こうの世界からこっちの世界に落ちちゃったって事っスか」
「これは俺も予想してなかった。まぁと一緒に送り返せばいいんだけどな」
あぁ、俺と似たようなもんなのか。落っこちてきちゃったんだな。
つーことは、あれだ。こっちの世界に来た当初の俺と混乱度は同じだ。
じゃあ色々教えてあげないとな。
折角同じ世界からの同胞なんだ。
「状況説明、してあげた方がいいよな」
「そっスね。多分何も知らずに落ちてきたはずっスから」
「じゃあ俺、こっちまで連れてくるよ」
俺は立ち上がって、落ちてきた人間の方へ歩き出した。
こっから窓際までちょっと距離があるから、落ちてきた人間がワンピース着てる女の子って事くらいしか分からない。
女の子はこっちを凝視して、微動だにしない。
何が起きたのか理解できてないんだろうな。
そう思って、なるべく怯えさせないように微笑を浮かべて、近付く。
―――そして、
女の子の顔がはっきり見える位置に立った瞬間、俺は凍りついたように動けなくなった。
どうしよう、と。……まずはそれを思った。
次第に冷や汗が頬を伝うようになる。
…知ってる。
知ってる、俺は、この女の子を。
……怖い。
心臓が悲鳴を上げる。
握りこぶしの中で冷や汗が溜まる。
浮かべていた微笑がじわりと無くなる。
助けてくれ。助けてくれ。
助けてくれ助けてくれ助けてくれ。
冷や汗と一緒に浮かんだ涙を、目の前の少女は射抜くように見詰める。
…何でだよ。何でこいつなんだ。
「…久しぶりね」
恐ろしく感情の篭っていない声で、彼女は俺に再会の言葉をかけた。
俺は張り付いてしまいそうなくらい渇いた喉を一度鳴らして、小さく「久しぶり」と返した。
俺は彼女を知っている。
知らないはずはない。
何せ彼女は俺を……………
恨んでいる、のだから。
父を失った原因であり、恋人が去った原因である俺を、深い恨みの対象として見ている彼女は。
…俺の元親友の………。
じりじりと後退し始めた俺を冷たい目で見るは、最後に会ったあの時とよく似ていた。
恐怖だけが身を焼いて、意識など消し飛んでしまいそうだった。
「、何してるっスか?早く一緒にこっち来るっスよー」
アッシュに呼ばれて、肩がびくりと跳ね上がる。
がたがたと震える口で「分かった」となるべく普通に返事をして、を見る。
するとは自分が何をすべきか何となく悟ったらしく、ゆっくりと立ち上がって俺を通り越し、自分一人でアッシュ達の居る方へ歩き出した。
俺は慌てて後を追ったが、追い抜く事はできなかった。
…彼女の顔をまた見るのが、怖かった。
がアッシュにイスを勧められて一人用のイスに腰掛けて、俺はなるべくその席から遠く離れた位置に座った。自然な動きだったから怪しまれてない、と思う。
「いきなり知らない所に出てビックリしたでしょー?ここはユーリの城の中。あ、ユーリっていうのはそっちの銀髪の人の事ね」
「お城…?」
「まぁ、順を追って話せばいい。まずは自己紹介からするべきだと思うが」
「了解っス」
聞こえてくる明るい会話を右耳から左耳に流すように、俺は自分の膝を見たまま顔を上げなかった。
皆が次々と自己紹介をしていって、ソファの隅のほうに座っていた俺は最後の方に順番が回ってきた。
「おい、。次お前で最後だぞ」
「えっ、あ…」
「いいわ、その人知ってる人だから、名前分かるもの」
焦って言葉が出ない俺を遮るように、ぴしゃりと撥ね付ける。
俺は開きかけた口を再び閉じざるを得なかった。
「ええぇ、とその子知り合い?」
「意外な事実発覚だな」
「知り合いが落ちてくるなんて、ある意味妙な奇跡っスね」
皆が盛り上がる中、俺は精一杯の空笑いを浮かべて、すぐにまた無表情になった。
笑ってなんか、いられない。
本当はこの場から逃げてしまいたい。
「自己紹介ありがとう。私は如月 。好きなように呼んで頂戴?」
驚くほど穏やかな声の彼女は、俺の存在など最早無視しているに違いない。
いや、それでいい。何かを言われる瞬間が怖くて仕方がないのだから。
「じゃあ、MZD。状況説明頼むっスよ」
「任せとけ。じゃあまず―――」
MZDがこの世界と元の世界との位置関係、ここに落ちた経緯、この世界の常識について説明した。
妖怪や天使の話になるとは疑わしげにしているようだったが、現物の妖怪がここに3人もいるし、更には神までいるのである。
数々の証拠を見せれば、はようやく納得したようだった。
「質問するけど、私は元の世界に帰れるの?」
「まぁ今日その方法を探れた事だし?数日後にこの世界と向こうの世界を繋ぐ『歪み』が完成する予定だから、二人一気に通れるものを創ればいい」
「帰れるのね、よかった」
ちらりと見てみると、は綺麗な笑顔を浮かべていた。
多分俺には二度と向けられることのないもの。
それを見た皆は、彼女が取り乱していない事が分かってほっとしたらしく、空気が和やかなものになった。
そしてその和やかな中、恐れていた事が起きた。
「それじゃ、『歪み』が完成するまでの数日間、をここで預かっててくれ」
「…仕方が無いな」
「じゃあベッドとか用意しなきゃならないっスね」
「そんな、悪いですよ…」
「でも行くとこねぇんだろ?素直に泊まっとけよ」
「……」
はい、と小声で返事をする。
俺は、もう何もかもが終わった気がした。
自分を怨んでいる相手と、同じ建物の中で、否が応でも顔を合わせる。
例えそれが数日の間だとしても、敵意に晒されながら生活する事の息苦しさは既に知っていた。
痛い
痛い、痛い、痛い
左胸の、古い傷が疼く
刺し傷の痕が痛い
彼 女 が 刺 し た 傷 が 、 痛 い
全ての音声が、水中に居るようにぼわんぼわんと濁ってはっきり聞こえない。
助けて欲しい、もう平衡感覚さえ失くしそうなんだ。
ここからいなくなりたい。
彼女の前からいなくなりたい。
俺がどんなに努力したって、俺の存在を認めてくれなかった彼女の前から。
「じゃ、俺は早速『歪み』を創りに帰るぜ。…って、、お前どうした?具合悪そうだな」
「?」
脂汗をかいた俺に気付いたらしく、皆視線を集めてくる。
やめろ、やめてくれ。
にまで俺を見られてしまう。
こんな俺を見てまた「そういう所が嫌いなの」と責めるんだ。
ああもう自分の思考すら分からなくなってきた。
助けて。誰か、誰か、誰か、
誰か………っ
「きっと『歪み』の影響でまだ体調が悪いんだよ。僕が部屋まで連れてくから」
ね、と言って、俺が肯定も否定もしない内に彼…スマイルは俺の腕を掴んで立ち上がらせた。
スマイルが肩を貸す形になって、俺は引きずられるようにゆっくりとリビングの出口に歩かされる。
…あぁ、スマイルが助けてくれた。
の事だとは気付いてないだろうけど、それでも助かった。
「おっかしいな、『歪み』はもう消えてるから体調が悪化するはずはないんだが…」
「後から体温計持って行くっスから、ちゃんと寝とくっスよー」
「……」
返事は、できなかった。
リビングを出て、階段を上って、俺の部屋にたどり着く。
ベッドの前で俺はスマの肩に回していた手を外した。
そのままベッドにダイブしようとして……唐突に、両肩を掴まれる。
「…スマ?」
「……」
力の入らない俺を、ぐっと引き寄せて腕の中に閉じ込めるスマイル。
身長差の所為で、俺の額にはスマの薄い胸板が当たった。
……あれ?今、何がどうなってるんだ?
ただ分かるのは、スマの体温が全身に感じられる事。
「大丈夫だからね……大丈夫……」
「……」
痛いくらいにぎゅうっと力を込められて、俺はおずおずとスマの背中に手を回す。
何だか無性に、暖かさが欲しい気がした。
俺の手に気付いたスマイルは、僅かに微笑んでしばらくじっとしていた。
そしてようやく腕を緩めると、ぽんぽんと俺の頭を撫でて、「じゃ、寝ようね」とまるで子供に言うように優しく言って俺をベッドに寝かせた。
「また来るよ」
ヒヒ、という笑いを残してスマイルは部屋から出て行った。
何だか、スマイルのお陰でゆっくりと寝られそうだった。
***
「じゃ、はの隣の部屋がいいっスかね?」
「いえ、どこでもいいですよ?」
MZDが帰った後のリビングで、一同はの部屋決めをしていた。
数日間とはいえ、きちんと部屋を割り当てておかなければ。
『ガチャ、』
「じゃあ、僕の部屋の隣においでよー」
の部屋から戻ってきたのか、スマイルがリビングに入るなりそう言った。
その顔は、誰かを遊びに誘う子供のような笑顔。
「随分遅かったな?何かあったのか?」
「が階段の途中でこけそうになって大変だったんだよー。ね、それより僕の部屋の隣においでよ!」
「…何か企んでねぇっスか?」
「そんな事ないよー?アッス君邪推ー」
ヒヒヒ!と独特の笑い方で笑いながらの座るイスの真後ろへ向かう。
そして後ろから両肩にぽん、と手を置いた。
「ね?いいでしょー?」
「まったく、スマは。相手が女の子だと見るとすぐに飛びつくんスから…」
「えぇー?そんな事ないよぅ」
「の時は隣の部屋に誘ったりなんかしなかったじゃないスか?やっぱりが男の子でが女の子だからっスよね」
「ヒヒヒ、それはそれ、これはこれ」
ユーリとアッシュが呆れた目を向けるが、スマイルはどこ吹く風。
一人が何か言おうとしていたが、その前にユーリが彼女へと確認を取った。
「いいのか?。奴の隣の部屋になっても別段迷惑がかかる事はなかろうが、男の部屋の隣だぞ」
「いえ、別にそれは…構いません」
「そうか?」
「ええ、スマイルさんが希望するなら。私はどこでもいいですし」
「なら私が案内しよう」
ユーリが腰を上げて、に手を差し出す。
女性をエスコートするように。
スマイルはの両肩から手を離して、「やったー」とはしゃいだ。
ユーリの手を取り立ち上がるは、その様子を見てそっと微笑んだ。まるで花のように。
そうしてユーリとが居なくなったリビングで、スマイルはアッシュに見えないように無表情になった。
〜To be continued〜
<アトガキ。>
はい、前回言ってましたターニングポイントです!!思いっくそ雰囲気が変わりました。
前半は今までの勢いでしたが、後半は……ねぇ。
ちょっと説明くさい部分ありーの、強迫観念ありーの。
書きたい事はまだ山ほどあります。ってかいよいよ終盤ですね。
自分を怨む人が常に傍に居る気分は、一体どんなものなのでしょうか。
次はもうちょっと夢主が苦しみます。
さぁ、彼女はどうなるのか…?
お楽しみに。
2007.3.30
ちなみに今回登場した夢主の友人、11話の過去話に出てきた『友人』本人だと分かった方はどのくらいいらっしゃるんでしょうか…?
それを覚えていないとこれから先どうもこうも読めなくなってしまうのですが…;
その前に読者が忘れるくらい話を引き伸ばすなって話ですね。あぅ;