嘘だ。
 嘘だ嘘だ嘘だ。

 俺は必死に自分の見たものを否定する。
 が、目の前の光景は変わりやしない。
 一体何がどうなっているんだ。






stigmata・EX
牛乳Day
〜さぁ頑張れ一気飲み〜





「……うぁ?」

 妙な声を出しながら、目を開く。
 カーテンを閉め忘れたお陰で、窓から直射日光が入ってきて眩しい。

 俺が体を起こすと、隣のベッドの上で既に読書を始めていたアルが本から顔を上げて「おはよう」と言ってきた。
「あー、おはよう」
 寝惚けた声で返して、後ろ頭をガリガリと掻く。

 俺が寝ていたベッドの上にも、その下の床にも、至る所に本が転がっている。
 片付けるのも面倒で、しかし直さなければ本を読む作業にも支障が出てくるので、後から直しておくかと自己完結。
 いつものことだ。

「さて、そろそろ下に行こうか。朝御飯の支度の手伝いしたいし。兄さんも早く着替えて」
「あー…はいはい」

 …朝着替える、という習慣がついたのはいつだっただろうか。
 元の世界では単に上着を脱いで寝ていただけだったし、何より面倒だった。
着替えるようになったのはが強制したからだ。

 随分こちらの世界に染まったな…と考えながら、クローゼットの中身を漁る。
 その間に、アルが「先に行ってるよ」と部屋から出て行った。


 ***


 リビングには、大佐がいた。
 ソファで半目状態になりながら虚空を眺めている。
 …寝惚けてやがる。

 一瞬、顔に落書きでもしてやろうかと思ったが、それでは証拠が残ると考え直して、大佐の背後に回る。

「大佐、さっきから書類が減ってねーぞ」
 小さく言ってみる。勿論からかい目的で。
 すると、

「いや…今日提出でないのなら大丈夫だろう…」
 気のない声が返ってきた。

 うわ、半分寝てるんじゃないのか?
 つーか、寝てるだろ。
 確か大佐は昨日夜遅くまでテレビを見ていたような……

「そんなこと言って、さっき見た時中尉怒ってたぞ」
「……誰か彼女の拳銃乱用癖を直してくれ・・・」
「・・・・・・・」

 その声があまりに切実さを訴えていたため、思わず口を噤んだ。
 やがて、悪戯をする気がなくなって「頑張れ」と言い残し、ダイニングへと向かった。

 リビングには、まだ寝惚けている大佐が一人残される。





 ダイニングを通り過ぎて、キッチンに辿り着く。
 アルがを手伝うと言っていたから、とりあえず自分も来てみた。

 しかし、アルとだけで人では足りているようだ。
 2人はのんびりと朝食を作っている。

「あ、エド?おはようー」
「あぁ、おはよう」
 少しだけ振り返ったと挨拶を交わした。

 俺は起き抜けで喉が渇いていたので、棚からコップを一つ取って冷蔵庫へと歩く。
 麦茶でも入っていたらいいな、等と考えて、冷蔵庫を開いた。


 そして視界に入った光景。


「・・・・・・・・・・」
 思わず絶句。

 見間違いか?
 俺も大佐と同様に寝惚けてるのか?
 それとも、この冷蔵庫は今日から異次元に繋がるようになったとか?

 いやいやいや、そんなはずは。
 どう考えたって、冷蔵庫が異次元に繋がるなんてことは。

 …じゃあ何だこの光景は。


 冷蔵庫にぎっしりと詰まった、1リットルパックの牛乳。

 正面にも、上のスペースにも、ドアポケットにも牛乳。
 もしやと思い、少し外に出して奥まで見てみるが、そこにもみっちりと牛乳。

「う、う、」
 顔面の血の引く音がして、


「うわああぁっ!!?」
 盛大に叫んだ。


 嘘だ。
 嘘だ嘘だ嘘だ。

 俺は必死に自分の見たものを否定する。
 が、目の前の光景は変わりやしない。
 一体何がどうなっているんだ。

「何!?どうしたのエド!!」
「兄さん!?」
 慌てて駆け寄ってくるとアル。
 俺は冷蔵庫から数歩下がって冷や汗を垂らす。

「な、なな何でこんなに牛乳ばっかしぎっしりと・・・!!?」
「あー、それ?ごめん、驚いたでしょ。何だか偶然が重なっていっぱいになっちゃってね。セールの日に買ったのと、試供品で昨日訪問販売の人が無料でくれたのと、他にも…」
「・・・・・・・」
 延々と続くその言葉に、思わず体が砂になりそうになる。

 もしかしなくともこの家の住人で牛乳を消費できる(可能性のある)人物はと俺と大佐の3人だ。
 それすなわち、3人だけでこの牛乳を消費しろという事。

 無理だろ、これ絶対無理だろ!!

「こんな量の牛乳どうすんだよ…!」
「それなのよね。腐りやすさを優先して冷蔵庫の中身全部出して牛乳入れちゃったから、そこの棚が凄い事に…」
「じゃなくてだな。俺らだけで使いきれるかって言ってんだ」
「うーん、それは頑張り方にもよるかな」
「兄さんも頑張って牛乳飲んでよ」

 会話をしながら、魂が抜けそうになる。
 いや、もしかすると半分くらい抜けたかもしれない。
 冗談じゃない、これだけの量の牛乳を賞味期限までに全部飲めるものか。
 料理に使うにしても限度があるはずだ。

「勘弁してくれ…」
「何情けない声出してるのさ」
 開きっぱなしだった冷蔵庫を閉じて、呆れた声で言うアル。
 …これで俺がダメージを受けないわけがないと分かってるだろ、こいつ。

「でも、これだけあったら牛乳風呂が出来そうだね。そうだ、エド試しに牛乳風呂やってみなよ!朝風呂朝風呂!」
「じょ、冗談じゃない!!そんなのに入れるかっ」
 嬉々として勧めてくるに、俺は拒否の言葉を突き返してコップを戻すために2人へと背中を向けた。

「ちぇー、お肌すべすべなエドもいいなぁとか思ってたのにー」
「兄さんの意気地なしー」
「うっせぇ!!あんなもんに浸かるくらいなら普通に飲んだ方がまだましだ!!」
 コップを棚に戻してからキッチンを出ようとして、

 背後に妙な気配を感じた。

「あ、飲むんだ?エド飲んでくれるんだ?」
「僕もこれは賞味期限までになくなるか心配だったんだよね」
「はぁ!?」
 話の飛び方に驚いて、振り返る。
 何なんだ急に!?

「だって、『飲んだ方がまだまし』って言ったしv」
「ち、違う!あれは言葉のあやってやつで…!!」

 しまった、失言だ!
 牛乳に浸かるのも嫌だが、飲むのも嫌だ!

 2人は、俺にじりじりと近付いてくる。
 ここで捕まったら否が応でも牛乳を飲まされる気がする…!

 俺は入口に向かって後ずさりをする。
 その時、ふと鼻を掠める苦い匂い。

「おい、何か焦げてねぇか?」
「「え?」」

 俺を含む3名の視線が、コンロの方へ向かう。
 そこには、火にかかったままのフライパン。

「あぁっ!!火つけたままだった!!目玉焼きがーっ」

 目玉焼きかよ。

 慌ててすっ飛んでいく
 アルも後始末の手伝いにかかるが……

「ごめん、あとはアルに任せていい?私はエドに牛乳飲ませに行ってくるから。本当にあの量は問題なのよ」
「うん、いいよ。捨てるのも勿体無いしね」
「!!!」

 がコップを持って走ってくる。
 ついでに言うと、目がらんらんと光っている。

、お前目つきが危ういぞ!
「えー、だってエドが牛乳飲むなんて珍しいから見てみたいし!これで身長伸びるかもよ!」
「うるせー!そんなもん飲めるか!!」
 が冷蔵庫を開けて牛乳パックを取り出す前に、俺はキッチンのドアを開けてダイニングに逃げ込んだ。
「あ、待ってよ!」

 コップを持ったままのが追いかけてくる。
 捕まるわけには行かない…!!

 俺はダイニングを突っ切ってリビングへと出た。
 熟睡してしまっている大佐の近くを疾走し、リビングから廊下へと駆け抜ける。
 も、右手にコップを携えてこちらを追いかけてくる。
 これはどこかに隠れてやり過ごすしかないか…!?

 しかし、隠れようにもとの距離が近すぎる。
 もう少し離れなければ隠れてもすぐにバレる。
 何とか撒いて、距離を開けてから隠れなければ。
 どこに隠れる!?

「待てーっ」
「うわっ」
 考えている暇が無い!!
 はリビングを出て、廊下を脱兎のごとく駆ける俺を一直線に追う。

 牛乳くらいで何やってるんだ俺は…。
 いや、牛乳だからだが。


 階段を登ろうとしてうっかり通り過ぎてしまい、焦る。
 1階に隠れられる場所はあっただろうか。
 トイレ、風呂、中庭…どれも来られたら一発で見つかるな。
 キッチンやダイニングに戻るのは無理だ。
 それなら……


「うりゃああぁっ!!!」
 俺は全速力で廊下を駆け抜け、突き当たりの角を曲がった。
 との距離を開けて、それからすぐ近くにあったドアを開けて音を立てないように素早く中に滑り込む。

 ドアを閉め、息を殺して、聞き耳を立てる。
 外から聞こえた足音は、ここを通り過ぎていった。

 ここはワインの保存庫。
 の兄がワインを集めてそのままにしているらしいが、俺が入ったのは掃除の時くらいだ。
 しかし、相当な数のワインが保存されているのは印象に残っている。
 ここなら棚と棚の間に隠れる事もできるだろう。

「あれー?おかしいな…」

 部屋の外から、戻ってきたらしいの声が。
 俺は足音を殺してドアから遠ざかる。
 部屋の奥へ行って、棚の後ろへ回り、そこに身を潜めた。

 …しかし、何だか嫌な予感がする。
 ここに隠れるまでに勿論ワインを何本も見たはずだが、視界を掠めたそれらは…

 何だか白かったような。


「………」
 いや、そんなはずは。
 そんなはずはない。
 だが、冷や汗は止まらない。

 俺は、そっと近くにあるワインを見てみた。


「っっ!!?」
『ガタン!!』

 そこに保存されていたワインは…否、物体は、パック入り牛乳だった。

 室内をよく見てみれば、そこに保存されているワインだと思っていたものは全て牛乳だった。
 大きなビン入りの牛乳だったり、
 スーパーで売っているようなパックだったり、
 果てには綺麗な細工を施されたガラスの中に牛乳が入っているものが置かれていたり。

 な、何だこれは…!!
 ある意味アームストロング少佐の筋肉自慢より見たくなかった光景だ。

 青ざめて冷や汗をだらだらと流す。
 ここには居たくない。
 本能がそう告げている。

 そして次の瞬間、

『バタンッ!!』
「ここにいたのね!」
 が勢い良くドアを開けて入ってきた。
 しまった、さっきの音でバレたか!!

「丁度いいや、ここにある牛乳でもいいから飲んでよ」
「いや、何でこんな所に牛乳なんか保存してるんだよ!ワインは!?」
「冷蔵庫だけじゃスペースが足りなかったの。ワインは昨日物置に移動させちゃった。それと実は私のお兄ちゃん、ワインだけじゃなくて牛乳も集めてたの
「嘘だぁっ・・・!!!」
「嘘なんかじゃないよ。ほら、早く飲んで」

 のその目は、最早狂気に満ちているようだった。
 俺の目をその射抜くような視線で捕らえて離さない。
 表情は確かに笑んでいるのに、何を言っても全く通じなさそうな恐ろしさを感じる。

 異様だと思った。
 しかし、情けない事にそれを指摘する勇気が出ない。

「私は正直、牛乳なんてこれだけ集めても仕方ないと思ってるから、数減らして欲しいし。ね?」

 コップを持ってじりじりとにじり寄る
 20度程度に設定された室温の中で、俺は滝のような汗をかく。

 は、手近にあったパック牛乳を掴み、ベリベリと音を立ててパックの先を開いた。
「これはかなり有名な銘柄の30年物!熟成してておいしいから!!…多分。」
「多分って何だよ!しかも牛乳の30年物って明らかに腐りまくってるだろうが!!
「大丈夫大丈夫v エドならいける!私信じてるっ」
「ンなもん信じるなー!!!」

 泣き叫ぶが、は全くやめようとしない。
 徐々に距離が縮まる。
 俺も後ずさるが、壁に背が当たって逃げ場がなくなったことを知る。

「嫌だ…嫌だ…!!」
「観念しなさい!」

 がコップに30年物の牛乳を注ぐ。
 中からは、極限まで薄まった白濁色の液体と、固形化した真っ白な物体が混ざって出てきた。
 コップの中に入る度、固形物がジャボジャボとしぶきを上げる。

「ひ…ひぃ……っ!!」

 体中から脂汗が噴き出す。
 視点が定まらない。
 呼吸がうまく出来ない。

 そしてそのコップが目の前に突き出され、


「ぎゃあああぁぁっ!!!」


 断末魔の叫びのような大声が、屋敷の中に響く。



 ***



「―――――はっ!?」
 がばりと体を起こす。
 全身が汗でぐっしょりと濡れている。
 動悸も、激しい運動をした後のように……あるいはそれ以上に速い。

 状況が掴めずに辺りを見回す。
 窓から入り込む日の光。
 隣のベッドの上にいるアルフォンス。

 …あぁ、夢だったのか…。

 一つ大きな溜息を吐き出し、額の汗を拭った。
 …そうだよな、あんな変な事があるわけないよな…。

「おはよう、兄さん。…どうしたの?さっきからうなされてたけど」
「いや…何でもない」
「本当に?汗ぐっしょりだよ?」
「本当に何でもない。気にすんな」
「…うん」

 無理矢理アルを頷かせて、俺は着替えるためにクローゼットを漁る。
 さすがにこのままは気持ちが悪い。

「あ、僕は先に行ってさんの手伝いしてくるね。丁度朝御飯を作る時間だし」
「おお」

 パタン、とドアが閉まる。

 ……。
 ……………。

 この会話、前にしたような…?
 ……何だか嫌な予感がする。




 俺は手早く着替えて、リビングに向かった。
 ガチャリと音を立ててドアを開くと、大股で中に入る。

 そこには、

「…大佐…」
 ソファに、寝惚けているらしい半目の大佐。


 …嘘だ……


 ショックを受けながらも、自分の考えを否定するように頭を振ってから、ダイニングへのドアを開ける。
 ダイニングを走り抜け、キッチンへ。

 そこにはとアルがいて、のんびりと朝食を作っている。


「あ、エド?おはようー」
 が少し振り返って挨拶をする。
 が、俺はそれどころではなかった。

 無言で冷蔵庫の前まで行き、そこで必死に祈る。
 無宗教だが、何かに祈る。
 切実に、自分の予想が外れて欲しいと願う。

 震える手で冷蔵庫の取っ手を掴み、2〜3度繰り返す深呼吸。
 頭の中がグラグラとしていて、とても冷静になんてなれそうにないが、それでも落ち着かなければ。

 訝しげな顔をしてとアルがこちらを見てくるのが分かるが、それに構っている暇はない。

 ただの夢で終わってくれ。
 ただの杞憂に終わってくれ。
 牛乳なんてたっぷり入っていないでくれ。


 縋るような思いで、冷蔵庫を開いた。


「―――!!!」
 俺は、声にならない声を上げた。




「エド?ねぇ、エド?」
 エドの目の前で手を振ってみるが、反応無し。
 冷蔵庫を開いたままの格好で固まっている。

「兄さんどうしたの?」
「駄目、全然反応ないよ。何か驚くようなもの入ってたかな…」

 私は冷蔵庫を覗き込む。
 牛乳パックが正面にずらりと並んでいた。

「…これで石化したとか?」
「そんなまさか。いくら正面に並んでるからって、たった4本でしょ?しかもその内の半分は中身ゼリーだし」
「だよね。牛乳パックを型にして大きいゼリーを作った事は昨日の夜言ったはずだし…」

 私達は首を傾げた。



 その後、しばらくエドの石化は解けなかった。
 そして付け加えると、その日から牛乳嫌いがレベルアップした気がする。

 ちなみに、なぜかそれから1ヵ月くらい、エドがワイン保存庫に出入りして何かを確認していたみたいだけど…その理由は全く分からなかった。





〜Fin〜




<アトガキ。>

えー、35000hit企画の姫野様からのリクエスト小説です。
遅い仕上がり申し訳ありません…!!色々と立て込んでおりまして。(言い訳)
本当にすいません;

幻作のお願いで連載主人公にさせて頂きました…!ありがたや。
鋼のエド寄りギャグとの事で、一番に思い浮かんだのがこれでした。
それにしても、朝起きて冷蔵庫を開けてあれだけみっちりと牛乳が詰まっていたら誰でも驚きますよね。
というか、恐いですよ。
もしかしたら、冷蔵庫を開けるシーンで既に夢オチだと分かった方がいらっしゃるやも…;

この文章は姫野様に限りフリーとさせて頂きます。
奇妙な夢ですが、よろしければどうぞお持ち帰りくださいませ…!

2005.9.17