ダイニングの大きな窓から、男達は私を担ぎ上げて外へ向かう。
 ある者は私の腕を、ある者は私の脚を肩に担ぎ、残りの何人かは他の場所を支えるようにして。

 外の芝生には、大きく描かれたワープ陣。
 窓の枠を越え、段差を降りて、芝生に踏み入れる男達。
 目前にあるワープ陣は、淡く光り始める…!

 鋼一行が来てから何度目かの絶体絶命な状況。
 叫べないよう私の口を塞いでいる男の手に恨みを覚えながら、まるで狩りの獲物のように運ばれてゆく。

 必至に手足をばたつかせるが、男達はぐらりともしない。
 一応ぐらつかない程度には鍛えているらしい。
 そして間もなく、陣の中へ入ってしまう。
 少しずつ陣の光が強まってゆく。
 私は頭を真っ白にさせつつ、両手をぎゅっと握り締めた。

 ――と。
 その瞬間に思い出した。
 そういえば………。

 私は、握り締めた右手を思い切り振った。





stigmata・23
風邪ひき2・後編
〜scramble〜





『ばほっ』

 そんな音がして、私を担いでいる男約一名の頭に大量のココアがぶちまけられた。
 そう、私は右手にココアの缶を持ったままだったのだ。(しかも開封後)
 今まで無意識に零さないように頑張ってきたけど、ここで活用できるとはね!

「ぅげほっ!!げほげほ!ごふっ!!」
 男が盛大に咳き込む。
 そして、その動作のせいで辺りにココアが飛び散る!
 あっという間に辺りはココアだらけに!!
 本日、花粉よりもココアが高密度で飛散しております。

「なっ、何だ!?げほっ!!」
「うわぁ!?目に入った!」
「何だ何だっ」
「げほっ、げーほげほごほっ」
 男達は次々と被害に遭っております。
 んでもって、私の腕やら脚やらを掴んだ男の力は緩んできております。

 よっしゃ、今だ!
 私は思い切りもがいて、男達の手を振りほどいた。
 …が。

『どごっ』
「いだぁっ!!」

 男達は私を担ぎ上げていたので、その手を振りほどいて降りたという事は、結構高い位置であるそこから落っこちたという事に他ならない。
 おまけに担がれた時に仰向けにさせられていたので、地面との距離も測れず。
 思い切り背中を打ち付けましたとも!
 ああぁっ、ヘタに殴られるより痛いってばよ…(作品違う)

 しかしいつまでも痛がってはいられない。
 男達が怯んでいる間に逃げないと…!

 私は茶けた空気の中、カサコソとゴキ○リの如く高速匍匐前進を開始した。
 そして何とか立ち上がり、ダイニングへ入ろうとして……

「わっ!?」
「逃がさんぞっ、呪印の娘!」
 背後から服を引っつかまれました!うわぁしぶとい!

 ワープ陣が一層光を増した。
 私は既に陣から出てるけど、私を追ってきた男(約1名)も、陣から出てる。
 くそっ、これじゃ全員を送り返せないじゃん!

「さあ来るんだ!早く!」
「のおおぉー!!」
 私の服を掴んだ男は、ワープ陣の方へ私を引きずっていこうとする。
 私は窓枠を掴んで抵抗を試みるが、男の力の方が断然強い。
 くぅ…っ、このままでは持って行かれる!(男に)

 男は私の両足を抱え上げて引っ張り始めた。
 窓枠にしがみついてるだけのこっちに対してそれは卑怯じゃなくて!?
 てか、この状態だと私は足の先だけワープの光に入ってる事になるんだけど、これってこのままだと足だけワープしちゃう?
 いやいや、それってめちゃんこグロくないか?(体はこっちに残るから)
 勘弁してくれ!(ただの憶測だけど)

 しかしそんな事を考えていられる時間もそろそろ終わりらしい。
 私の両手はもう限界に近いし、窓枠から手を放してしまいそうだ。

「くっ…もう駄目ぇ…!!」
 あぁ、さようならエド、アル、大佐…!
 私は最後にお別れを言うことなくワープ陣まで引きずられて去ります…!
 ……………って、


 …そういや、もう口塞がれてないじゃん。


「助けてええぇーっ!!」

 私は力の限り叫んだ。
 あ、でももう手遅れかもしんない。

 ワープ陣が、まばゆい光を放つ。
 駄目だ、タイムアップ…!!

 と。

さんっ!!」
 信じられない程の力で、私はダイニングに引っ張り上げられた。
 直後、背後で凄まじい光が溢れて、数秒後におさまった。
 その数秒の間ずっと敵の男がワープ陣の方へ私を引っ張っていこうと奮闘していたけど、結局できずに終わった。
 そう、私を引っ張り上げてくれた人…アルが私をダイニングに引きとどめてくれていたから。

 光がおさまった後、そこに残ったのは黒ずくめの変態が2名、アル、私の計4名。
 変態め…どうやら私を最後まで引っ張ってて陣に入り損ねた人と、それを手伝おうと陣から出たもう一人が残ったらしい。

「てかアル、どうしてここに?叫びを聞いて駆けつけたにしては随分早いよね」
 早いっていうか、叫んだ直後だもんね。
 どこ○もドアでもないと辿り着けないよね。

「偶然降りてきてたんだよ。兄さんの様子見たら熱で干からびてたから、何か飲み物を持って行こうと思って」

 干からびてたのか

「…おいっ、さっきから我々を無視して和みおって…!呪印の娘をさっさとこちらへ渡せ!」
 思い出したように、男2名が私の脚やら服やらを引っ張り始めた。
 アルは反対から私を引っ張る。
 うおっ、結構痛いぞコレ!

「何さー!置いてけぼり喰らったくせしてまだ引っ張ってんじゃないよ!」
「そうだよ、引き際が大切なんだよ!変態さん!」
誰が変態だ!それにこんな事もあろうかと、今回はこの世界の時間で5分後にもう一度ワープが発動するようになっているのだっ」
「今回はあのお方の調子が良いからなっ」
 さも誇らしげに言ってのける変態2匹。(匹?)
 …って、『あのお方の』? 『調子』が?

「あのお方って、あんたたちのトップだよね?調子がいいから2度連続でワープできるってこと?」
「! バカ、敵にそんな情報を教えてどうするっ」
「すまん!」
 …あ、さっさと気付いて口を閉ざしちゃいましたよ変態組。
 うーん、やっぱし前に来た某饒舌な敵みたいにはいかないか。

 けど、今ので分かった事が一つ。
 調子が良くないと2度連続でワープを使えないって事は、ワープは敵側にとって結構負担になるって事。
 私のお父さんが残した記録からすると、ワープを使う時に錬金術と呪印(もしくは賢者の石くらい膨大な力を持つもの)を組み合わせれば負担は軽いはずなんだけど、負担がそんなにかかるっていう事はお父さんの書いた理論とは別の方法でワープしてきているのかもしれない。


「呪印の娘を渡せえぇっ…!!」
「渡さない…!!」

 …色々考えてる間に綱引きに熱が篭ってきてますね。(綱は私)
 アルは私の手を、男2名は足を掴んで引っ張りまくってます。
 てゆか、とっても痛いです!
 この面子が力いっぱい引っ張ったらとんでもない状態になるのは言うまでもない。

「痛い痛い痛い!!やめて引っ張らないで!腹がちぎれるっ!あと3秒以内に放さなきゃ内臓が飛び出てスプラッタに!!
「「えぇっ」」
「ご、ごめんさんっ」

『どすっ』
「あイタ」
 途端に両方が手を放しました。
 うふふ、どっちも私の母親になれるわね…v(大岡裁き)
 てか、敵なら痛がっても連れて行くのが本当なんじゃないのか?
 そのおかげで助かってるけど。

 両方が手を放した事で床にお腹を打ち付けたが、何とか咄嗟に手をつけたので衝撃はさほど酷くなかった。
「ごめんねさん、痛かった?」
「痛かったけど、私のために頑張ってくれて嬉しい」
「そんなの当然だよ」
「アル…」

「…女の妄想にありそうなロマンチックな会話はどうでもいいから、呪印の娘を渡せ」
 ぼそりと呟く変態1号。

「…って、そりゃ違うぞ変態さん!ヲトメの脳内にある妄想はもっと腐敗してるわ!!
「「「は?」」」
 今度はアルを含めて首を傾げる男一同。
 いいじゃないか本当の話なんだからー。(全員がそうだとは限らないけど)

「…と、とりあえずさんは僕の後ろに」
「うーい」
 アルが手伝って立ち上がり、そそくさとアルの背後へ回る。
 そこまで来て初めてはっとしたような表情をした敵2名は、

「ひ、卑怯だぞ!我々の意識を逸らして呪印の娘を守るとはっ」
「先刻までの行動は全て我々を呆れさせる罠だったのだなっ」

 などと喚いた。
 …いやいや、腐女子としての本音ですから。

さん、後ろに敵はいない?」
「多分これだけしかいないと思う」
「じゃ、逃げて!」
「分かった」
 頷いて、私はくるりと踵を返す。
 そして駆け出そうと一歩を出した。
 …その時。

「逃がすかっ」
 どんっ!と私の背に強い衝撃が走る。
 とっさに首だけ振り向かせて見てみると、男が私にタックルを仕掛けてきた事が分かった。
 え、アルは?ここまで男をすんなり通すわけが――

 って、もう一方の男がアルの行動を邪魔してますね。
 そりゃそうか、人数を生かさない手は無いし。

「ぅがっ
 私はヲトメにあるまじき声を出してうつ伏せに倒れた。
 その上に男が乗っかっている。
 …私……上に乗せるなら鋼メンバーの誰かが良かった・・・(何の話)

 と、冗談は置いておいて。
 こんだけ身長のある男が上に乗っていると、半端なく重いんですが!
 呼吸が苦しくてじたばたもがくが、意味は無い。

 やがて男は、私の背に片膝を押し付けて両手を肩甲骨の辺りで一まとめに掴んだ。
 くっ、余計に動きにくい。

さん大丈夫!?」
 男と激しい体術戦を繰り広げながら、振り返ることなくアルはこちらに質問を投げてよこした。
「うー、捕まっちゃったぁ」
「怪我は!?」
「そこんとこは大丈夫!」

 元気に答えて、この状況を何とかしようと更にもがく。
 がしかし、何だか妙にごつごつした感覚が手首にあって、腕が動かせない。

「…って、縛られてる!?」
 感覚で気付いた私は驚いて声を上げた。
 てゆか、いつの間に縛ったんだ。多分手を一まとめに掴んだ辺りだろうけど。
 そんなに素早くできたって事はやっぱり訓練とかしてる人なんだろうか。
 でも縄はどこから出したんだ。スーツの中か?
 アナタのスーツは四次元なのね!

「この変態っ!押し倒した挙句に縛りか!」
「妙な事言うな!」

 事実じゃん

 多少むっとしていると、今度は脚に何かをきつく巻かれる感覚。
 うおっ、脚が縛られる!?
 私は思い切り両脚をじたばたと動かし、懸命に作業の邪魔をした。
 すると男は動きを止めてじっとした。
 私は縄が完璧に外れるまでもがき通した。

 ……数秒後、疲れてぱったりと脚を下ろしてしまいました。
 そこを見計らっていたかのように、男が素早く私の脚を太ももから足首までぐるぐると縛った。
 …いや、実際見計らってたんだろうな。
「うわーん、変態に嵌められたー」
「変態ではないと何度言ったら分かるんだ!」
「…他人がこの状況見たらまず変態だと思わざるを得ないと思うけど」
「・・・・・。」

 あ、黙った。
 認めたね!私の勝ちだね!(何が)

『ガコンッ!』
「わぁっ」
 アルが殴られたか蹴られたかしたのだろう、金属音が響いて声が上がった。
 うつ伏せになったまま振り向いて状況を確かめようとするが、その前に私の体は宙に浮いた。
 要するに、私を縛った男に担ぎ上げられたのである。

「ぎにゃああぁ!降ろせっ、降ろしなさい!今日は見たい番組が仰山あるんじゃあぁ!!
「…他の日ならいいのか?」
駄目。エド達を観察できなくなるから」
(((観察・・・・・?)))

 あ、微妙に固まってる。
 いいじゃん、観察なんて普段からやってることなんだから。
 無許可だけど。

 男が私を担いだまま歩き出す。
 男の肩で米俵のように担がれて、へにょりとしなっている私は、男の歩調と共にゆさゆさと揺れる。
 くそっ、手足が自由なら後頭部殴って逃げ出すのに!(鬼)

さんを放せ!」
 アルがこっちに駆け寄ろうとするが、今までアルの相手をしてきた男がまたその道を塞ぐ。
 すかさずアルが男の鳩尾へ拳を繰り出して、しかし男はそれをぎりぎりで右に避けた。
 うわぁ、こんな格闘技を間近で見ると迫力がありますなー。
 …じゃなくて。

「っこの!!少しは倒れるか何かしなさい!!」
 縛られているなりに芋虫のようにうねうねとうねって、男1号(私を担いでる方)を転倒させようと頑張ってみる。
 …う、全然倒れないよ。
 それどころかこのまま再び窓の外に連れ出されそうな勢いなんですが!!

「いやあああぁ!!放せ放せっアル助けてー!!」
さん!!」
「騒ぐな、面倒な奴が増える!」

 面倒な奴って、エドと大佐の事?
 そういやこいつらにはまだ、二人が来ないって事は知れてないんだったね。
 じゃ、こいつらが焦るようにもっと騒いでおこうか。
 はい、おぉ〜きく息を吸い込んで〜(ラジオ体操風に)

「…そういえばさっきから随分騒いでいるのに来る気配が全く無いな?」
「もしや、あの二人は今居ないのか?」

 男二人、何か疑問に思っている模様。
 こ、これじゃ騒いでも焦らせる事なんてできない。

「い、いないわけじゃないよっ!騒いでたらその内来ちゃうかも!」
「『かも』って何だ」
「ねー、アル。来ちゃうかもだよね!」
「え、うん。居ないわけじゃないよね」

 何とかして男達の疑問をごまかしてみようと試みるが、いかんせん私とアルはいらん所が正直でした。
 顔にも言葉にも出るから結局ごまかせず。
 男2号(アルと戦ってる方)はニヤリと笑った。(男1号の方は私を担いでいるので見えない)

「どうやら、居てもここに来る事ができる状況ではないらしいな」
「よし、騒いでもこのまま連れて行こう」
「状況悪化!!正直根性のバカー!!」
 こんなんだから大佐に本当の事とか察されるんだよ!
 でもアルは正直な所も素敵だからオールオッケなんだよ!!(だから何)

さんは連れて行かせないっ!!」
 アルが行く手を阻む男2号に素早い攻撃を仕掛け、再び激しい攻防戦が繰り広げられる。
 私を担いでる男が窓際まで来ているので、その戦いははっきりと見て取れた。

 絵本やらに出てくる『囚われのお姫様』ってこんな心情なんだろうか。
 アルはあんなに戦えるのに、私は何て無力なんだろう。

 見ている方の目が疲れるほどの戦いが続き、次の瞬間、男に隙ができた。
 それを逃さず、アルが見事な回し蹴りを炸裂させる!
 男はくぐもった声を出してテーブルに激突。激しく咳き込んだ。

さん!今助けるよ!」
「宜しく頼みますー」

 窓枠を越えようとした男1号に、アルが駆け寄ろうとして。

『ブンッ』
「ふへっ!?」
 私は、今度こそ本当に宙に浮いた。…否、舞った。
 要するに、外にあるワープ陣の中へと放り投げられたのである。

 今着地したら危ないって!縛られてるから手つけないし!
 しかも顔面が下ですよ!!ヲトメの顔面潰す気かー!!

 アルがこっちに向かってダッシュをかけるけど、この位置じゃ低すぎてスライディングしても間に合わない。
 私は覚悟して目を閉じた。
 ―――刹那。

『ボンッ!』
 横から、何かが爆発する音と爆風が!
 私は爆風にほんの少し押されて、直下するはずが横向きに落ち、ごろりと転がった。
 転がったおかげで僅かにではあるけど衝撃が軽減されて、おまけにお腹とは違う場所から落ちたので何とか大ダメージは回避できた。
 爆発時の煙と落下の衝撃で少し咳をして、状況を把握しようと部屋の中に視線を移す。

「全く、人が安静にしている時に何を騒いでいるのかと思えば」

 部屋の外に居て尚且つ仰向けに寝ている私には、窓枠の段差が邪魔になっていて部屋の中が良く見えないけど、ちらりと見えたその姿と聞こえたその声は……

「大佐!!」
君、大丈夫かね?」
「私より、大佐は大丈夫なんですか?」
「これしきの熱で君の危機を見過ごすわけにはいかないさ。薬も効いているしな」
 …鼻声で言ってもコミカル度が上がるだけだと思うんですが。
 ドアを大きく開いて立っていた大佐は、ドアを閉めてからてくてくと窓際まで歩き始めた。

「大佐!さんの近くで爆発起こすなんて、危険じゃないですか!」
「ちゃんと加減はしてある。空砲に近い」
「おーい、私は大丈夫だからケンカはやめとくれー。それより縄解いて欲しいな…」
「あ、じゃあ僕が解くよ」
「いや、私が」
「いやいや、僕が」
「どっちでもいいから」

 私が突っ込むと、二人は顔を見合わせて、それから一度ふっと笑った。
「…君の安全確保が先だ。位置の近い君が行きたまえ」
「了解っ」

 アルが頷いた直後、私の周囲の世界は少し光を帯びた。
 …これは……

 首を傾けて地面を見てみると、ワープ陣が光っていた。
 ぎゃー!!そういやワープまで5分って言ってたっけ!

「早く早く!ヘルプミー!」
「そうはさせるか!」
 今まで黙っていた男1号(私を投げた男)が、アルの腕を掴んで膝裏に蹴りを入れた。
 つまり膝カックンの強化バージョンである。

 アルは危うくバランスを崩しかけるが、大佐が駆けつけてアルの腕を引っ張って持ち直させた。
「こっちは私に任せろ」
 言うが早いか、窓の前に立って通せんぼを決め込もうとしている男1号を殴り飛ばした。
 男は私を飛び越えて落下した。
 が、どうやら防御していたらしく、すぐに体勢を立て直した。

 男1号は私の前まで来ていたアルを邪魔するように横から蹴ろうとして、その背後から大佐の足払いが決まる。
 男は両足を見事に大佐の足に引っ掛けられて左に倒れた。
 大佐はそれに巻き込まれない内に男の背後から退くが、男が倒れる過程で大佐の服の袖を掴んだので思わず前につんのめる。

 戦いを見ている最中にアルがしゃがんで仰向け状態の私を転がし、うつ伏せにしてから手首の縄を解き始めた。
「……解ける?」
「…ナイフ持ってくれば良かった」
 どうやら結び目は固いらしい。
 そうこうしている間に陣の光はどんどん増してゆく。

 つんのめった大佐は、仰向けに倒れた男の鳩尾に手をついて力を込め、男の力が緩んだ隙に握られた袖を男の手から抜き取って、鳩尾についた手を軸にして勢い良く立ち上がった。
 男1号は息を詰めて動かなくなった。

「アルフォンス君!そっちは!?」
「駄目です、思った以上に結び目が固い上に複雑で…」
「ナイフを持ってくる時間はあると思うか?」
「…微妙です」

 微妙ですかアルフォンス君。
 いや、実際本当に微妙なんだけどね。

「縄を燃やすにしても、君が火傷を負う可能性が…」
「あぁもう、こういう時兄さんが居てくれれば…!」

 兄はナイフ代わりですか

「……というか、君を陣の中に居させなければならない理由は?」
「「あ。」」

 そんな理由は無い事にようやく気付いた私とアルは、そこで初めて陣の外に出るという選択肢を思い出した。
 こんだけ騒いでたら何となく忘れてましたよ。

「よし、じゃあとりあえずさんを部屋の中に移動させましょう」
「分かった」
 大佐は頷いて…何度か咳をした。

「…大佐が運んだらさんに風邪が伝染りそうなんで、僕が運びます」
「………」

 大佐が何だか微妙な表情をしたが、アルは構わず私をひょいと持ち上げて姫抱っこをした。
 ……と。

「陣の中から出るな!」
 部屋の中から黒ずくめの男が出てきて、身構えた。
 …あ、もしかしてさっきアルがテーブルにぶつけて伸した奴が復活した?

「時間が無いというのに…」
「そういえばこんな人もいたね…」
「こうなればお前らごと向こうの世界に飛んでやる!」
 呆れる一同と、道連れ自殺を希望しているような発言をかます男2号。
 いや、実際向こうに行ったら私達はどうなるか分かったもんじゃないんだけどね。

 光が一層増した。
 大佐が男に殴りかかるが、間一髪の所で避けられてしまった。
 どうやらこの男、1号の方より強さは上らしい。

 さっきから大佐は火を使わないけど、まぁ家に火がついたらヤバいしね。
 大佐と男が戦っている隙にアルは他の方向に行って陣から出ようと試みるが、その度に男が飛んだり跳ねたりして行く手を遮った。
 も、もう時間が無い!!

 ―――と。


「何やってるんだよ」

 すとん、と段差を降りて部屋の外に出てきたのは……

「エ、エド!?」
「騒ぐなよ、頭に響く…」
 何とエド参上。
 まさか来るとは思わなかったよ。大丈夫なんだろうか?

「兄さん、寝てなきゃ駄目じゃないか!」
「苦戦してる奴に言われたくない」
 陣の外でよろりとしゃがみ込んだエドの顔は、真っ赤。
 うわ、まだ熱下がってないな。薬、効いてないのかな。

 大佐と格闘している男が陣の中に入ったのを見計らって、エドは両手を合わせて地面についた。
『バチィッ!!』
 電気のようなものが迸り、次の瞬間には地面から大きな円錐が陣の中の男めがけて突き出ていた。
 その円錐は男の服を引っ掛けてにょきにょきと伸び、男の足が地面につかなくなるまで伸びて止まった。
 男はぶらりとぶら下がって「降ろせ!」だの何だの叫んでいる。

 それから数秒もせず光が強まって、網膜を焼いた。
 陣の中にいた私達は素早く室内に戻って、ギリギリセーフ。
 ちなみに逃げる途中で、さっき大佐が鳩尾を圧迫して動けなくした男が陣から僅かにはみ出していたので、アルがそっと陣の中に蹴り入れていたのを見た。

 目を閉じても強さの分かる光が数秒間に渡ってその場を白く染め、それが終わった時には男2名の姿は消えていた。

「…あー、危なかったぁ」
 私はアルの腕の中で脱力した。
 変態ズの中にもわりと手強い相手は居るのね…。

 庭に残った白い陣は、光を失って沈黙を守る。
 まるで嵐が去ったみたいだ。


「アル、を降ろせ」
「あ、うん」
 エドが言って、アルは私をゆっくりと床に座らせた。
 エドはふらふらと危なげな足取りで私の背後に来て、オートメイルを刃に変換。
 私の手首の縄を切った。

「エド、もう大丈夫だから寝た方が…」
「…水……」
「…へ?」
「喉…渇いた…」

 ぼそりと呟いたのが聞こえた後、私の背中にずっしりと重みが。
 しかも熱い。

「エド?」
「兄さん!」

 どうやらエド、私の背中に寄りかかってダウンしたらしい。
 うわぁ、エドの体温が…!エドの体温が…!!(興奮)
 しかし私はまだ脚が縛られたままなのでバランスが取りにくい。
 このままじゃ二人揃って横に倒れる!

「この熱でここまで来るとは大した根性だな、鋼の」
 言葉と共に背中の重みが消えた。
 振り返って見ると、大佐がエドを持ち上げて椅子に座らせていた。

「さて、キッチンからナイフと水を取ってくるとしようか」
「もう兄さんに縄を切ってもらうのは無理みたいですしね」

 頷いてキッチンに向かう2人を、私は床に座って見上げていた。


 ***


「…ふぅ」
 部屋の中をぐるりと見渡して息をついた。
 ここはエドとアルの部屋で、たった今散乱していた本を片付け終えた所だ。
 …と言っても、どれが読破したものでどれが未読のものか分からないから、重ねて置いておいただけなんだけど。

 現在エドはベッドの上でぼんやりと天井を見上げてます。
 意識は…多分ある、と思う。

 ちなみに私は大佐の部屋への入室をアルに禁止されたからここにいるんだけど、理由がいまいち掴めない。
 『絶対に入っちゃ駄目だからね!』と押しに押されただけだし。
 何かあったんだろーか。
 ちゃんとした理由を言わないなんてアルにしては珍しかったから、特に問いはしなかったけど。
 まぁ、私の代わりにアルが看病してくれるだろうし、大丈夫だとは思う。


「…普段エド元気だから、静かだと違和感あるよ…」
 呟くと、エドは天井から私へちらりと視線を移して、また上を見た。
 …一応話は聞ける状態なのね。

「私…小さい頃お兄ちゃんにこうして看病して貰ったんだ。お粥とか作るのは、それはもうヘタクソだったけど。ずっと側にいてくれて、それが嬉しかった」
 私はベッドサイドに椅子を持ってきて座ると、エドの額に手を当てて熱を確かめた。
 ……まだ高い。


「今は一人じゃないだろ」

 不意にエドが掠れた声で言って、額にあてていた私の手を右手で掴んだ。
 …あ、こっちの手はやっぱり冷たいままだ。

 熱のないオートメイルの右手で掴まれて、私は何となくそれが痛々しく思えた。

 エドは握った私の手を数秒顔の上にかざして眺めた後、元の位置に戻して右手をぱたんとベッドに落下させた。
 どうやら手を動かすのも疲れるらしい。

「そうだね、騒がしいくらいだよ。…ありがとう」

 満面の笑みを浮かべてそう返すと、エドは少し視線を泳がせてから目を閉じた。

「…寝る」
「あ、じゃあ私は出た方がいい?」
 問うと、数秒の間があって、

「…好きにしろ」

 短く返答があった。


「じゃ、ここにいる」
「……」

 私はエドの額に置いていた手を外して、椅子の上で膝を抱えた。

「何してるんだよ」
 目を開けてこちらを一瞥して、エドが眉を寄せた。
「私も寝る」
「……」

 そしてその部屋は、静かになった。





 エドが完全に眠った頃、私がアルに部屋の外へ連れ出されて「あんな所で寝たら風邪が伝染るじゃないか!」と怒られたのは…一応エドの知らない話。





〜To be continued〜




<アトガキ。>

ぎゃー!!気付いたらかなり間が開いての更新だー!!(滝汗)
も、申し訳ない…!

この回では戦闘シーンを書けたりギャグを書けたりで書き手としては結構満足です。
最後らへんエド夢になってますが、前回描写が少なかった反動かしら。
エドはいつもおいしい所を持って行きますねー。

さーて、次回は梅雨の話です。ずぶ濡れになって貰います。(誰に?)
大佐に真実を言った事やら、アルが真実を言おうとしている事が色々と心情に変化をもたらしますが、その辺はお楽しみに。

2006.3.8